MyNewsJapanとは
 
書く・読む 記者 登録・変更

記事の出稿

情報提供

読者コメント

ランキング

メルマガ 登録・変更

お知らせ

HOME
会員ID :
パスワード:
会員登録・解除 お気に入り記事
11/12 2009
 茂木健一郎が2006~08年に約4億円分の確定申告をせず追徴1億6千万をくらった「意図的な納税逃れ」は、この国のDNAを知る上でかなり参考になる事例だった。

 茂木は日経BPで「超一流の仕事脳」という連載を書いているが、本件が報道された前日、11月9日付のタイトルが「当り前のことから逃げない」だったのには爆笑した。茂木には「逃げても許される世渡り術」みたいな本を真面目に自己分析して書いてみてほしい。

 高橋洋一は今年3月、「豊島園庭の湯」の脱衣所で30万円相当の腕時計を盗んだ疑いで書類送検されて以来、メディアから抹殺されたが、茂木が風呂から出てきて高橋と同じように「いい時計だったので、どんな人が持っているのか興味があった」とコメントしたら、「そうですか、さすが脳科学者は違う」と感心されて、所有者にサインでもプレゼントしてやって、そのまま終わりだったろう。

 (だいたいブルガリの時計を鍵かけずにロッカー入れておく仕掛けがワナだったとみられても仕方ない。その場ですぐ防犯カメラの映像の再生までして警察が入っていくのも、普通ありえない。ワナにハマっちゃう高橋のほうが問題だけど)

 茂木の納税逃れは3年分だが、ホリエモンだったら1年だけでも確実に逮捕、3年分だったら「悪質」だとして、「海外に隠し口座があるはずだ」などと因縁つけられ、会社に強制捜査が入るかもしれない。もちろん逃亡の恐れがあるとして拘留が続く。村上ファンドの村上でも同じだ。今だったら渡辺喜美あたりは気をつけないといけない。

 権力にとって都合のよい人、既得権を脅かさない人に対しては法の適用が甘く、改革派勢力や新興勢力には厳しいのが、この国のDNAなのである。

 しかも、それに輪をかけてマスコミも同じ体質だからタチが悪い。視聴率がとれて本も売れる茂木は、マスコミのカネ儲けにとって必需品だから、ここで消えてもらっては困る。茂木べったりなPHPなど、会社存続の危機だ。『プロフェッショナル』がヒットしているNHKは、お詫び文を載せるだけで、何のおとがめもなく、終息を図った。全く同じシチュエーションでも、茂木ではなく池田信夫だったら抹殺していただろう。

 2006年に、茂木と同じく3年間で、たった1800万円の所得隠し、追徴600万円だった「くらたま」クラスだと替りがいるから、民放のレギュラーコメンテーターから降ろされてしまった。この差をみても、つくづく権力者に甘い嫌な国だと思う。

 「所得隠し」と「申告漏れ」は紙一重で、本質は同じだ。税務署のさじ加減ひとつで、そんなものはどうにでも認定できる。2年前に出した『トヨタの闇』に書いたが、あからさまなのが、トヨタの“脱税”をめぐる報道だ。

 実質的に同じ内容でも「脱税」「所得隠し」「申告漏れ」と表現はいろいろあり、トヨタの場合は悪質さにかかわらず、まるで簡単な手違いだったかのような「申告漏れ」が多用されている。

 2006年12月31日付で、各紙に「トヨタが60億円申告漏れ」という記事が載った。内容を読むと、一般人の認識としては要するに大掛かりな企業ぐるみの「脱税」でしょ、という内容だ。

 単なる申告漏れでは全くなく、自動車関連の広告宣伝費を約5億円水増ししていた、と認定されている。つまり、本来発生していない架空の5億円を意図的に計上することによって、悪質な「所得隠し」を働き、トヨタもそれを認めている。国税庁はトヨタに対し、重加算税を含め、約20億円もの追徴課税を行った。

 それでも国税庁が申告漏れと言えば、マスコミも官報よろしく、そのとおりなぞって書く。本質が脱税なら脱税と書けばいいし、所得を隠しているんだからそう書けばよい。だが、広告宣伝費という口止め料を受け取っている手前、トヨタには甘い。

 国税、警察、マスコミと、あらゆるものが権力者、強い者には甘く、逆に既得権を脅かす改革勢力には厳しい国。このDNAは知っておく必要がある。私もなるべく電車に乗らないくらいの気はつかっている。その気になれば冤罪をでっちあげるのは簡単だからだ。

 
05:40 11/12 2009 | 固定リンク | コメント(5) | アクセス数(1032)


11/02 2009
Tinyblogsimg_a20091102064137
 トルコを旅したとき読んだ村上春樹の『雨天炎天』の文章がなかなか面白かったので『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んでみた。

 「僕は1982年の秋に走り始め、以来23年近く走り続けてきた。ほとんど毎日ジョギングをし、毎年最低一度はフル・マラソンを走り(計算すると今までに23回走っている)、そのほか世界各地で数え切れないくらい、長短様々の距離のレースに出場した」というから、半端ないランナーだ。

 私はこれまで、立花隆や佐野眞一といった大物ジャーナリストの著作・大作を読むにつけ、「意地でも解明してやる」といった執念深さや偏執狂でパラノイアな好奇心がもっとも重要な資質だと思っていたのだが、もの書きとして継続的にアウトプットを続けるには、村上氏のいうことは正攻法として説得力がある。

才能の次に、小説家にとって何が重要な資質かと問われれば、迷うことなく集中力をあげる。自分の持っている限られた量の才能を、必要な一点に集約して注ぎ込める能力。これがなければ、大事なことは何も達成できない。そしてこの力を有効に用いれば、才能の不足や偏在をある程度補うことができる。僕は普段、1日に3時間か4時間、朝のうちに集中して仕事をする。机に向かって、自分の書いているものだけに意識を傾倒する。ほかには何も考えない。ほかには何も見ない。

 集中する力が必要→集中するには体力が必要→だから鍛える必要がある。これは勝間氏も同じことを言っている。したがって勝間氏は都内を自転車で移動し、村上氏はジョギングするわけである。

 長編小説を書くという作業は、根本的には肉体労働であると僕は認識している。文章を書くこと自体はたぶん頭脳労働だ。しかし一冊のまとまった本を書きあげることは、むしろ肉体労働に近い。もちろん本を書くために、何か重いものを持ち上げたり、速く走ったり、高く飛んだりする必要はない。だから世間の多くの人々は見かけだけを見て、作家の仕事を静かな知的書斎労働だとみなしているようだ。コーヒーカップを持ち上げる程度の力があれば、小説なんて書けてしまうんだろうと。しかし実際にやってみれば、小説を書くというのがそんな穏やかな仕事ではないことが、すぐにおわかりいただけるはずだ。机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生みだし、正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける――そのような作業は、一般的に考えられているよりも遥かに大量のエネルギーを、長期にわたって必要とする。
(中略)
 巨人ならざる世間の大半の作家たち(僕ももちろんそのうちの1人だ)は多かれ少なかれ、才能の絶対量の不足分を、それぞれに工夫し努力し、いろんな側面から補強していかなくてはならない。そうしないことには、少しなりとも価値のある小説を、長い期間にわたって書き続けることは不可能になってしまう。そしてどのような方法で、どのような方向から自らを補強していくかということが、それぞれの作家の個性となり、持ち味となる。僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。

 今年5月に出した『1Q84』という長編小説が、史上最速のバカ売れをして、続編執筆中だそうだ。60歳にして自身の最大ヒット作を出しているわけだから、まさにトレーニングの賜物、自らのトレーニング理論を実証したことになる。

 少しでも長く、老いてなお、よい小説を書きたいのだと述べる村上氏に対して、期せずして思い浮かんだのは、中川昭一元大臣だ。若くして亡くなってしまったが、酒、タバコ、睡眠薬と、村上氏とは正反対の生活。まさに「太く短く生きる」タイプ。あれはあれで1つの生き方だ。私は人間味のある中川氏が好きだったが、自分が明らかに村上氏のほうに近いから逆に羨望を感じるのかもしれない。

 本書で特に面白いと思ったのは、「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない」と述べている以下のくだりである。ああ、ジャーナリズムもまったく同じだな、と思ったからだ。

 「村上さんみたいに毎日、健康的な生活を送っていたら、そのうちに小説が書けなくなるんじゃありませんか?」みたいなことをどきどき人に言われる。(中略)小説を書くということは、即ち不健康な行為であり、作家たるものは公序良俗から遠く離れたところで、できるだけ健全ならざる生活を送らなくてはならない。そうすることによって、作家は俗世と決別し、芸術的価値を持つ純粋な何かにより近接することができるのだーーといった通念のようなものが世間には根強く存在する。
(中略)
 小説を書くのが不健康な作業であるという主張には、基本的に賛成したい。われわれが小説を書こうとするとき、つまり文章を用いて物語を立ち上げようとするときには、人間存在の根本にある毒素のようなものが、否応なく抽出されて表に出てくる。作家は多かれ少なかれその毒素と正面から向かい合い、危険を承知の上で手際よく処理していかなくてはならない。そのような毒素の介在なしには、真の意味での創造行為をおこなうことはできないからだ(妙なたとえで申し訳ないが、河豚は毒のあるあたりがいちばん美味い、というのにちょっと似ているかもしれない)。それはどのように考えても「健康的」な作業とは言えないだろう。
 要するに芸術行為とは、そもそもの成り立ちからして、不健康な、反社会的要素を内包したものなのだ。僕はそれを進んで認める。だからこそ作家(芸術家)の中には、実生活そのもののレベルから退廃的になり、あるいは反社会的な衣装をまとう人々が少なくない。それも理解できる。というか、そのような姿勢を決して否定するものではない。しかし僕は思うのだが、息長く職業的に小説を書き続けていこうと望むなら、我々はそのような危険な(ある場合には命取りになる)体内の毒素に対抗できる、自前の免疫システムを作り上げなくてはならない。そうすることによって、我々はより強い毒素を正しく効率よく処理できるようになる。言い換えれば、よりパワフルな物語を立ち上げられるようになる。そしてこの自己免疫システムを作り上げ、長期にわたって維持していくには、生半可ではないエネルギーが必要になる。どこかにそのエネルギーを求めなくてはならない。そして我々自身の基礎体力のほかに、そのエネルギーを求めるべき場所が存在するだろうか?
(中略)
 真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない。それが僕のテーゼである。つまり不健全な魂もまた、健全な肉体を必要としているわけだ。逆説的に聞こえるかもしれない。しかしそれは、職業的小説家になってからこのかた、僕が身をもってひしひしと感じ続けてきたことだ。

 ジャーナリズムも似ていて、闇の部分を進んで扱う仕事だ(企業や官庁のPRばかりしている自称ジャーナリストもいるが、それは広報マンというジャーナリストとは真逆の、別の職業である)。

 私も『トヨタの闇』という本を出している。闇の部分は、それ自体は不健康でネガティブだが、それを伝えることで世の中をよくするのがジャーナリズムだ。「裁判所は負のオーラに充ちている」とホリエモンが書いていたが、MyNewsJapanは裁判記事を不可避的に扱う。不動産の事故物件サイトの紹介記事など、飛び降り自殺だ、刺殺だ、火災だ、と見ていて疲れた。だが、そういう活動を伝えることで世界は前進するのだ。

 「河豚は毒のあるあたりがいちばん美味い」というのはうまいたとえだと思う。トヨタという河豚における毒は過労死だったり巨額の広告予算による報道統制だったりするわけだ。

 最近、精神的に参っていることが多いのは、不健康なオーラに自分が耐えられなくなってきたのかもしれない。トレーニングが足りないのだろう。「真に不健康なものを扱うためには、人はできるだけ健康でなくてはならない」。至言である。「毒素に対抗できる、自前の免疫システム」はぜひとも必要だ。

 小説家とジャーナリストは別物だと思っていたが、実は本質が似ている。トレーニングが必要な理由が、1つ分かった気がした。ジャーナリズムとは、真に不健康なものを扱う商売なのだ。

 
06:54 11/02 2009 | 固定リンク | コメント(0) | アクセス数(1059)



ココで働け! “企業ミシュラン”

渡邉正裕(WATANABE Masahiro)
(株)MyNewsJapan代表取締役社長/編集長/ジャーナリスト。ほぼすべての主要企業内ホワイトカラーに情報源を持つ。現役社員への取材に基づき企業の働く環境を一定基準で評価する「企業ミシュラン」を主宰。日経新聞記者、IBMのコンサルタントを経てインターネット新聞を創業、3年目に単年度黒字化。
詳細プロフィール&連絡先

twiterフォロー
facebookフォロー

新着お知らせをメールで受け取る(『編集長ブログ』は一番下)

RSSフィードで読む場合
このブログツイッターMyNewsJapan記事全体(または特定カテゴリ)

はてブ人気entry

ツイッター人気entry

  ↓最新blog entry↓
〔以下、渡邉の単行本〕

↓最新MyNewsJapan記事リスト↓