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編集長海外取材記録記事一覧
「天家」島原社長の改革私案「築地はディズニーランドになれ」
島原慶将氏(38歳)の父はマグロの漁船乗りで、島原氏も幼い頃より築地を見てきた。そして今では、築地経由で仕入れるマグロのレストランを上海で展開し、成功している。今回は、そんな日中のマグロの上流から下流までを実践で知る島原氏の、築地市場改革案だ。「セリが見れる」「豊富な種類の魚を見れる」「お土産を買える」--全て公開し、セリも1日3回行い、全体をショーとして見せることを提案。魚介のフードコートだけでなく、併設する果物、野菜、花の市場とともに、フルーツパーラー、ガーデニング、スイーツの店も揃えた一大アミューズメントパークにすべきだという。
上海で起業して7年 「天家」島原社長に聞く、中国飲食店経営の実像
成長著しい上海で2004年に起業し、2011年夏現在、マグロ料理店「天家」を7店舗展開し、月500万元ペースを売り上げ、来年は売上倍増計画を立てている島原慶将社長(38歳)。取締役は、島原社長以外、全て中国人。従業員は総勢160~180人になった。どのような方針で中国人を人事管理して成功したのか。「上海日本料理協会」の前副会長でもある島原社長に、「利益が出てるのは1割だけ」という日本人経営の和食料理店をマネージするノウハウについて、じっくり話を聞いた。
築地→上海、鮮魚輸出計画の難航「国同士の問題大きい」(東市)
前回の記事(「利益出てる店は1割だけ」上海の日本人和食店経営、厳しい現実)では、和食レストラン料理人の視点から、上海の飲食店経営の実態について報告した。今回は、東市築地水産貿易(上海)有限公司のトップ「董事総経理」(=マネージングディレクター)を務める丸山雄一氏(58歳)へのインタビューをお送りする。丸山氏は、築地市場内に本社を構える大卸の1社、築地魚市場株式会社(略称・東市=東証二部上場)の監査役まで務めた、この道35年のベテラン。日中双方の魚市場について、それぞれの現場で経営に関与し、実態を熟知している。
「利益出てる店は1割だけ」上海の日本人和食店経営、厳しい現実
日本で8年、中国で9年。日中の日本料理屋で料理人を務めてきた春名敦貴さん(38歳)は、中国にやってきてから労組との対立や反日デモ、仕入れの難しさなど、中国ならではの大変さを身をもって学んできた。現在は上海で『うどんすき河むら』の総料理長を務める。「上海レストラン協会」日本料理専業委員会の副会長としても実務を取り仕切り、上海における和食店経営全体の動きを把握できる立場にいる春名さんに、自身のキャリア、および上海で和食店を経営することの難しさ等について、話を聞いた。
「中国らしさ」見えたシャングリラ事件
北京にやってきて3日め、3件の取材を終えてホテルの部屋に帰ってくると、don’tdisturbのボタンを押して外出したにもかかわらず、勝手に部屋に入られていて驚いた。洗面台の横スペースに並べておいた6枚ほどの名刺も物色され、ゴミ箱近くの棚に無造作に重ね置かれていた。取材源の秘匿にかかわる重大な問題だ。
先人の著作を読み、「旅は人生に似ている」と思う
トルコは、多くのもの書きが旅しており、その著作が簡単に入手できる。先人の跡を辿るのは、旅の楽しみ方の1つだろう。今回、かつてトルコを旅した沢木耕太郎(当時27歳)、村上春樹(当時39歳)、立花隆(当時42歳)が、何を見て、どう感じ、どう表現したのか、その内容と文体を学び、自分とどう違うのかを考え、よい点を吸収したいと思っていた。
メデューサの首&オープンカフェ
旅も終盤になって、一応、イスタンブル内で世界遺産に指定されている有名な建造物をささっと見ておこう、と思い始めた。この地には、2度と来ないような気もしたからだ。とりあえずスルタン・アフメット地区で訪れていないところをまわる。トプカプ宮殿、イスタンブール考古学博物館、そして地下宮殿。
任天堂、ソニー、そしてwagamama
ホテルは新市街を走る地下鉄「Osmanbey」駅か「4.Levent」駅のいずれかの近くが多かったので、その間にある駅「Sisli」直結の巨大ショッピングセンター「Cevahir」(ジェバーヒル)を、よく訪れた。2005年オープンで、ガイドブックによると欧州最大規模だそうだ。歩いた実感としては、言うほどたいしたことはなかった。
使えない「歩き方」、開業年さえ分かればいいのに
イスタンブルのホテル選びは、少々困った。ハノイのように安くないのだ。ハノイは5つ星ホテルでも日本の中級ビジネスホテルくらい(1万3千円程度)とリーズナブルでオトク感があったのだが、イスタンブルはその5割~8割高といったところで、今回のような3週間滞在となると、ばからしい。私はサラリーマンと違って自分の会社のカネで行くので、無駄遣いをする動機もない。
ジャーミィは残り、木造家屋とボスフォラスフェリーは消え…
新市街にあるホテルを拠点に旧市街を散策し、夜は編集・執筆する日々が定着してきたころ、フェリーでボスフォラス海峡を渡り、アジア側も歩いてみることにした。ボスポラス海峡を渡る夏のフェリーは、なかなかの風物詩である。暖かいから、風が当たらない1階よりも、海峡の爽やかな風をまともに受ける屋上階から席が埋まっていく。
イスタンブル、その名称力
名前の持つ魅力は大きい。「イスタンブル」はいい名称だと思う。時代が少々古いのでリアルタイムには聞いていないが、「飛んでイスタンブール」という曲が大ヒットした。あれは「飛んでチャナッカレ」だったら売れなかったはずだ。トルコ語の発音では「ブール」と伸ばさないが、日本語はなぜか伸ばす。どちらにせよ、響きがよい。
日本人というカルマ
イスタンブルの世界遺産といえば、この地区の中心的な建造物である「ブルーモスク」と「アヤソフィア」だ。両者は並んで建っており、見た感じ100メートルほどしか離れていない。ブルー・モスクは世界一美しいモスクとも言われ、イスタンブールの絵はがきに最も多用されている。オスマントルコ時代、17世紀の建設と、歴史はそう古くはない。
「ほぼ単一民族」の強みを残せ
イスタンブールにやってきて意外だったのは、テロの警戒度が異様に高いことだった。ショッピングセンターやホテルなど、不特定多数の人が大勢集まる施設の入り口には必ず、空港でおなじみの金属探知機(センサー)が設置され、そこを通らなければ入れない。地下鉄の入り口でも警備会社の人がいて、バックなど不審なものを見つけてはセンサーをあてている。私のバックパックも、いちいちセンサーをあてられて面倒だ。
シュリーマン型キャリアモデル
10日も滞在しているとイスタンブルも飽きてきたので、チャナッカレという街の近くにあるトロイ遺跡へ行くことにした。イスタンブル→チャナッカレが飛行機で1時間、チャナッカレ→トロイが、バスで1時間。長時間の移動は苦手なのだが、このくらいならノープロブレムだ。
人間党・街派
現地に来る前にガイドブックや写真集をざっと見ていて、一番目にとまったのは、ブルーモスクでもなくカッパドキアでもなく、イスタンブル中心部にある「ヴァレンス水道橋」という、1600年も前にできたという建造物だった。ある人が旅行先を選ぶ場合に、「大自然党」の人と、「人間党」の人に好みが大きく分かれるような気がするが、私は断然、人間党である。大自然が作ったものも確かにグレイトだが、人間が長い歴史のなかで作ってきたモノやその背景を考えるほうが面白いし、自分の日々の生活や今後の人生にも役立つ気がするのだ。
「アイラン」の圧倒的な存在感
覚悟はしていたが、トルコ料理は強烈だった。メインの羊肉がイマイチ好きでないうえ、すべて脂っこすぎ、味が濃すぎ、甘すぎで、最初の数日は頭痛がした。魚と野菜とコメと味噌汁を愛する私の口には、どうも合わない。この国では、コメはほとんど食物としてみなしていないし、魚も滅多に食べようとしない。食材、味付けにおいて、日本食とは対極にある食文化のようだ。
旅の起伏、濃度は変化していくということ
2日目は、複数のサイトで見つけた「ファロスホテル」というところを予約した。場所は、スルタン・アフメット地区という、旧市街の真ん中だ。そこに向かおうとしたところ、住所は分かるのだが、地図上の場所が不明で困った。「歩き方」に載っているホテルではなく、地図から判別することもできない。住所を書いた紙をタクシーの運ちゃんに見せても「わからない」と言う。
「もっともヨーロッパに近いイスラム国」を実感するとき
6月下旬、アタチュルク国際空港に着いて、ロビーで最初に感じたのは、トルコ人の鼻を突く体臭だった。日本で感じないのは、日本人が無臭なのか、それとも慣れてしまっているからだろうか。トルコ料理の中心である羊肉は臭いがキツめなので、食べ物のせいだろう、と勝手に思うことにした。
ろうそくがいらなくなった街
東南アジア諸国ではいまだ珍しくもないが、ベトナムでも停電は多く、かつて私が訪れた際には、ろうそくが必需品だった。当時は、それも旅する理由の1つといえた。日本とは違うものに見て触れて、カルチャーショックを受けられれば、自分のアイデンティティーが浮かび上がる。だから、異なる価値体系のもとで行われる行動にブチ当たることは、旅人にとっては望ましいことだ。
サービスの本質
今回の旅は、街歩き半分、執筆半分の予定だ。「今年は旅をしよう」と思ったのだが、久しぶりの旅なので、いきなり遠く(ヨーロッパ等)へ行く前に、まずは近場で経験値を積む目的もあった。重要な問題が、ホテルの予約である。以前、フランスを旅した際、予約なしで行ったらどこも満室で、バスの停留所で寝たこともあった。