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フジTV産経新聞と17年闘う 松沢弘元論説委員が語る産経残酷物語(前)

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08年6月、松沢弘氏たちがフジテレビの株主総会会場前で株主向けの宣伝活動を始めようとした際、モノレールの新交通「ゆりかもめ」職員やフジテレビスタッフらが同氏(サスペンダーをした人物)を取り囲んで妨害した。会場の「ホテル・グランパシフィック・ル・ダイバ」職員らも妨害に加わり、東京湾岸警察署の警官隊20名余もやってきて退去命令を繰り返し、株主・労組として当然の権利である松沢氏たちの宣伝活動を排除。松沢氏は全治5日のケガを負った。
 1994年1月、フジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループに属する日本工業新聞社(現紙名=フジサンケイ・ビジネス・アイ)の松沢弘論説委員は、御用組合の産経労組に見切りをつけ、マスコミ界初の合同労組「反リストラ産経労」(労働組合・反リストラ・マスコミ労働者会議・産経委員会)を結成して委員長に就任した。対する会社は、27回も団交を拒否し、同年9月に松沢委員長を懲戒解雇した。それから17年。経営側と御用労組のどちらにも属さず、日本で本当の労働組合活動を行うとどうなるのか、松沢氏のケースから日本の労使関係の実態が浮き彫りになる。
Digest
  • 名前も知らぬ日本工業新聞社に就職
  • フジテレビ・産経新聞の“非常に困った人たち”
  • 得票率100%で当選する組合役員は銀座クラブ通い
  • 産経残酷物語の始まり
  • 反乱の号砲第一弾 1800人の削減に反対
  • 配転でついにペンを奪われる
  • 御用組合に対決し大会代議員選挙に立候補
  • 論説委員に「昇格」で産経労組から追放

解雇以来、およそ17年間、不当解雇撤回などを訴えて闘っている松沢氏が、事件の一部始終を語った。

松沢氏個人が96年に解雇無効の確認を求めて東京地裁に提訴した訴訟では、02年に、解雇無効の全面勝利判決を得たが、高裁で逆転敗訴、05年に最高裁もそれを追認した。反リストラ産経労は94年に東京都地方労働委員会に不当労働行為救済を申立てていたが、都労委は13年近くも放置した挙句、最高裁での敗訴を待っていたかのように06年に申立を棄却。中央労働員会もそれを容認した。

そこで、反リストラ産経労は08年11月18日、中労委の不当命令取消しを求め、国を相手取って行政訴訟(訴状PDFダウンロード可)を起こした。しかし、東京地裁は2010年9月30日、組合側敗訴の不当判決を言い渡した。反リストラ産経労は、直ちに、東京高裁に控訴。2011年2月8日、第1回の口頭弁論が開かれる。

筆者が松沢氏と出会ったのは08年9月、東京文京区のトヨタ自動車東京本社前だった。国軍による暗殺の危機にさらされているフィリピン・トヨタのエド=クベロ委員長が抗議していた。多くの支援者に交って「フジテレビは争議を解決しろ!暴力総会をやめろ!」と書かれたプラカードを持っていた人物が筆者の視界に入ってきた。それが「反リストラ産経労」を率いる松沢弘委員長(64歳)だったのである。

 「ようやく私も、闘いと生活が一体化しはじめてきました」

丸顔に笑みをたたえて、穏やかに語る松沢氏は、超御用組合と会社が一体となって、社内改革者を抑圧しつづけるフジテレビ・産経新聞を軸としたフジサンケイグループと17年間も闘い続けている男とは思えない穏やかさだ。トヨタ東京本社前の出会い以来、2年以上の間、松沢氏の行動と思いを追い続けてきた。

控訴審第1回口頭弁論を前に、過去50年余にわたる“産経残酷物語”の一端を本人の肉声で徹底的に語ってもらうことにした。

名前も知らぬ日本工業新聞社に就職

私が、神奈川県の湘南高校を卒業して早稲田大学の第一文学部フランス文学科に入学したのは1965年、第一次早大闘争が起きた年でした。湘南で社研(社会科学研究会)や生徒会活動などの「高校生運動」に携わってきた私は、その延長線上で、「ここに一つの変革の可能性があるのではないか」と期待して、闘いに身を投じました。

しかし、早大闘争が敗北した後、同じパターンの学園闘争や、現象的な激しさを競うだけの街頭闘争の繰り返しでは、一向に世の中を変える展望など開けないな、と実感して、成田空港建設反対の闘いが展開されていた三里塚まで、早大や立教大学、東京経済大学などの友人たちとともに援農をやりに行ったのです。政治党派の在り方に根本的な疑問を抱いていたので、私は政治団体には一切所属せず、「非党派」の立場を貫いていました。

三里塚の農民は、畑や田を耕し子供をつくり、その土地で生活している。生活そのものと成田空港建設反対闘争が一致しているわけです。クリスチャンの戸村一作(三里塚芝山連合空港反対同盟委員長)さんが、「闘いと生活の一体化」と言っていました。

当時は学生でしたから、土日を中心に現地に行って援農をしていました。「現地に生活の場がない我々は一体何なのだ?」、という根源的な疑問も生じて、闘いに取組む意識が希薄になってしまった苦い思いもありました。そればかりでなく、東京での自分たちの生活そのものが、逆に、取り返しがつかないほどに壊れて行くという、痛切な体験さえ味わう破目に陥ったりもしました。

早稲田に6年間も在籍した後、当然ながら、生きるための糧を得なければならなかったので、最終学年の夏ごろに大手の新聞社や出版社の入社試験を受けました。しかし、私の父の戦前からの政治活動や、私自身の学生運動歴が嫌悪されたためか、学科試験には受かるのですが、最後の面接や調査で、ことごとくハネられてしまいました。

秋も深まる頃、大学の就職部をのぞきに行くと、掲示板に、時期はずれの求人案内がぶら下げられていました。当時は、その名さえ知らなかった日本工業新聞という会社が記者を募集していました。結局、ほかに行く当てもなくという感じで、そこに経済記者として入社しました。その会社は、産経新聞グループに属しており、産経労組という、とんでもない組合が経営側と一体となって労務管理を担う世界でした。

フジテレビ・産経新聞の“非常に困った人たち”

 外部の人にはわかりにくいと思うので、産経の組合について説明しましょう。

産経労組は、いわゆる産経新聞グループに属する、産経新聞社(『産経新聞』『夕刊フジ』『サンスポ』『競馬エイト』など)、大阪新聞社(02年休刊)、日本工業新聞社(現紙名=フジサンケイ・ビジネスアイ)の社員ら

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松沢氏に送りつけられてきた懲戒解雇の通告書。労使一体となった超御用の産経労組改革を通じて社内民主化を進めようしてきた松沢氏らを、会社は20年以上にわたって激しく攻撃してきた。産経労組を追放された松沢氏らが、マスコミ界初の合同労組「反リスラ産経労」を結成して、新たな抵抗運動を展開したことで、会社は「産経新聞グループ3社トップの意思だ」として、ついに懲戒解雇に及んだ。通告書には就業規則第七十八条第五号に基づき」と記載されているが、この条文は「異動命令その他業務上の必要にもとづく会社の命令を拒否したとき」は懲戒解雇する、とういものだが、この通告書には、松沢氏のどんな行為が「命令拒否」に該当するのか、など、具体的な理由は一切書かれていない。

75年から78年にかけて東京・大手町の経団連会館内のエネルギー記者クラブで働いていた松沢弘氏。一線記者時代は「フジテレビ・産経新聞グループには稀有な特ダネ記者」として名を馳せた。1989年から91年は、エネルギー・鉄鋼などを担当するデスクとしても活躍。通産省(現・経済産業省)、大蔵省(現・財務省)、日銀など、いわゆる「経済記者の花形コース」も歴任した。経営側と御用組合にいやがらせをされたとはいえ、それなりに充実した記者生活だった。

現在すすめられているのは、中央労働委員会の命令取り消しを求める行政訴訟だが、松沢氏が個人で解雇無効を求めた裁判では、02年東京地裁で全面勝利。会社は控訴し、03年に東京高裁(村上敬一裁判長)で逆転敗訴した(最高裁05年に高裁判決を追認)。画像はそのときの高裁の判決文だが、人の人生を決定する判決文に被控訴人と控訴人を取り違える間違いが3か所もある。これは殺人事件の犯人と殺された犠牲者を間違えたに等しい。いうまでもなく、この解雇無効訴訟における控訴人は、一審判決を不服として控訴した会社であり、被控訴人は控訴された松沢弘氏である。(上)ところが、判決文の「第三当裁判所の判断」の「一被控訴人が控訴人によって懲戒解雇されるに至った経緯」の7頁8行目(下線部)で、松沢氏が行った年次有給休暇の申請について、「柳沼常務は、平成6年3月1日、控訴人に対し、(略)前日までに申請するように求めた」と記している。しかし、これでは、経営側の労務担当常務が、会社に対して、休暇申請するよう求めたことになってしまい、意味が全く通らなくなる。法人である会社が有休を取ることなどありえないからだ。また、同頁17行目(下線部)でも、松沢氏が、不当配転された先の千葉支局のたった一人の支局員の人事考課表を本社に送付した件について、「控訴人は、(略)考課表を本社に送付した」と記載している。これでは、会社が自らの本社に考課表を送付したことになり、全く文意が通じなくなっている。これらは、いずれも「被控訴人=松沢氏」と記されなければ、論旨を辿ることさえ不可能となる。まさに支離滅裂だ。(下)判決文は「当裁判所の判断」の「三本件解雇と不当労働行為」の18頁14行目で、「控訴人らの上記主張は採用することができない」と記している。それを理由として、「四結論」で「本件解雇は有効」と判断して原判決を取消した。しかし、ここも、「被控訴人」でないとつじつまが合わなくなる。「控訴人=会社の主張を採用しない」ということは、「本件解雇は被控訴人の組合活動を嫌悪して、被控訴人を職場から排除するためにされた不当労働行為であり、労働組合法7条1号及び3号に違反して無効である」(判決文17頁13行目から15行目)との「被控訴人=松沢氏」の「上記主張」を是認することを意味する。そうであるならば、「本件解雇は不当労働行為として無効」、つまり、松沢氏勝訴という結論でないと、論理が全く通じなくなる。このような判決文が現在まで訂正されていないのは、裁判に対する信用性を失墜させることになる。単なるミスとして不問に付すわけにはいかないだろう。

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かとうたけし2014/05/13 18:55
経済人2011/01/25 11:16
サンケイ=日本2011/01/25 00:03
メディア読者2011/01/24 13:43
新聞記者A2011/01/22 17:46
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