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美女にモテモテの「わが師匠」山路徹氏から学んだこと-2

情報提供
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東京都港区赤坂にあるAPF通信社。岡山から毎週夜行バスで通い「ビデオジャーナリスト実践講座」を受けた。長身で声がよい、着こなしも品がある。何より金銭に余裕があって頼りがいがありそうな雰囲気が漂う。山路徹代表の印象はすこぶるよかった。
 留年3年休学2年の9年がかりで大学を卒業し、土木作業員兼フリーカメラマンを経た後、31歳にして筆者はやっと「山陽新聞社」(本社岡山市)に就職した。だが仕事がつまらないだけでなく、入社早々デスクに殴られ、酔った新成人にも殴られた挙句に記者職をはずされるという憂き目に遭う。嫌気がさしていた筆者の目にとまったのが「ビデオジャーナリスト実践講座」の広告で、主催者は山路徹氏率いるAPF通信社だった。これからはビデオジャーナリストの時代だ、何千万円稼ぐのも夢じゃない――山路氏の言葉を信じて会社に辞表を出した。しかし待っていたのは、テレビ界の厳しい現実だった。
Digest
  • 長身でおしゃれの山路氏が笑顔で「ようこそ」
  • 迫力映像に受講生興奮
  • 「2000万円くらいは稼げます」
  • 「紛争取材のAPF」で隠し撮りの練習
  • 「とにかく外国に行きたい」と東チモールへ
  • 「APF」を「AFP」と勘違いした韓国軍
  • 「自分で売り込んでみよう」でTBSはボツ
  • 日テレもボツで「2000万円」に暗雲

長身でおしゃれの山路氏が笑顔で「ようこそ」

「ビデオジャーナリスト実践講座 第1回受講生募集」――雑誌『週刊金曜日』2001年8月24日号の裏表紙に掲載された広告をみた筆者は、「これだ」と思った。

新聞社に入る前のように、カメラを持って気ままな取材の旅をしてみたかった。だが、会社を辞めて自立する自信はない。どうやっていいものか――煮え切らない毎日をすごしていたところに偶然目にとまったのが冒頭の広告だった。

「ビデオジャーナリストというのはテレビの仕事だ。きっとそれなりに稼げるはずだから会社を辞めてフリーでやっていけるかもしれない」と思った。

さっそくAPF通信社に電話をかけ受講を申し込んだ。毎週1回土曜日の午後から3時間。受講料は8回で12万円。東京と岡山を往復する交通費を加えれば40万から50万円ほどかかる。それなりに大金ではあったが、年収600万円、独身で家賃タダ同然の社宅に暮らす身には十分出せる金額だった。

東京に通うことを考えただけでうれしかった。こうなると記者をはずされた身がありがたかった。

記者時代は持ち場地域の外に出ることなどほとんど不可能だった。たまの休日でも事件や事故があれば呼び出される。他社にネタを抜かれても電話がくる。連休は盆と正月にせいぜい3日か4日程度だから外国旅行など想定外だった。会社と警察や役所の記者クラブに入り浸り、家には深夜に帰ってきて寝るだけ。

東京に行くには経費を安く上げるために夜行バスを使うことが多かった。毎週金曜日の深夜に岡山を出て翌日の早朝に東京に着く。その晩の夜行で引き返した。バスを降りて職場に直行したこともある。車中2泊3日の過密な旅程だったが新しい生活のためと思えば苦ではなかった。

APF通信社の事務所は東京都港区赤坂にある。地下鉄丸の内線赤坂見附駅をおりて雑踏の中をしばらく歩き、TBSの巨大な建物をすぎていくつめかの角がAPFの入居するマンションだ。

エレベータで6階にあがり、すりガラスのドアを開けた。

「三宅さんですね。ようこそ。どうぞ」

背の高い男が満面の笑顔で迎え出た。山路徹氏だった。

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APF通信社の近くにはTBSも。岡山から出てきた筆者は巨大な建物に圧倒された。山路氏の講座を受けながら、自分の撮った映像が全国放送される日を夢見た。

迫力映像に受講生興奮

山路氏のほかに、ビルマで殺害された長井健司さん、カメラマンのAさん。女性スタッフもいた。みな笑顔をたたえて親切だった。

受講生は筆者を入れて4人。女性は2人。業界紙の記者とテレビ番組制作のアシスタント経験者。いずれも30歳代。男は筆者のほか、IT関係の自営業をしているというやや年配の人だった。

広々とした事務所の中央にテーブルとイスを出して一同が座った。広い窓からは都会の街並みが見渡せた。近くの小学校から子どもの歓声が聞こえた。新鮮な気分だった。

山路氏が講義をする。まずは、ビデオジャーナリストについて――。

〈いま市販されている家庭用ミニDV方式のカメラは性能が大変よい。放送に耐える映像を撮ることができる。機動力のあるこの小型カメラをつかって現場に迫るのがビデオジャーナリストの仕事だ。略してVJ(Video Journalist)。APFはハイエイト(Hi8)の時代から家庭用小型カメラを持って紛争地などの現場に行き、映像を撮って番組にしてきた実績がある。これからはVJの時代である――〉

こんな調子で講座は続いた。インタビュー撮影の現場に立ち会ったり、機材の説明を受けたり、毎回趣向がこらされた。テレビのことはまったく素人だった筆者には新鮮だった。

テレビにVHSのビデオテープをかけて鑑賞することもあった。ソマリアやボスニア・ヘルツェゴビナの内戦レポートや、地下鉄サリン事件当時のオウム真理教に関する報道番組の録画ビデオを何本も上映した。退屈なものはなかった。ニュース23やニューステーションで山路氏がスタジオで話しているシーンもあった。

画面を通じてみる山路氏は、容貌もよく、話し方も上手で様になっていた。低めのバリトン調の声もよかった。ビデオを見終わって感嘆の息を漏らす受講生に、山路氏は小型の家庭用カメラを手にとって言った。

「みなさんにもこういうことが出来るんですよ

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地下鉄赤坂見附駅からAPF通信社に向かう道。夜行バスで東京と岡山を何度も往復し、そのたびにこの道を歩いた。「なか卯」で親子丼やうどんをよく食べた。

「ビデオジャーナリスト実践講座」最終回のことを記した日記。警察がマークしている人間を隠し撮りする「実践講座」には違和感を覚えた。

新聞社勤めの5年間はろくに休みがとれず外国に行くことはできなかった。退職してまず東チモールを訪れた。日本軍が地元市民を強制的に働かせてつくった壕の前で「立ちレポ(カメラの前でレポートすること)」をする筆者。

東チモールで撮影したビデオテープ18本と、取材で使ったビデオカメラ。国連のプレスカードは「APF」の名前で取得した。苦労して編集してTBSに売り込んだがボツ、日テレもボツとなり、お蔵入りとなってしまった。

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