JAXA(宇宙航空研究開発機構)に内定した信助さんは、種子島で内定者研修に参加した。その休み時間の一コマ。彼本人だけでなく一緒に写っている同僚たちの表情もとても楽しそうなのだが、こうした多くの写真を公開できないのは残念だ。
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原田信助さん(当時25)は、JR新宿駅で痴漢と間違われ、女性の連れから暴行を受けた。自ら110番通報して助けを求めたが、新宿警察署では暴行の被害者としてではなく、逆に痴漢の加害者として取り調べられた。署を出た信助さんはそのまま地下鉄で自殺した。母親が連日、駅構内で暴行の目撃者を探すビラまきをしたところ、目撃者が続出。暴行現場を至近距離で目撃し駅員を呼びに行った人物も現れた。その詳細な目撃情報を紹介する。母親は国家賠償請求を2011年4月26日に起こしたが、12年1月17日の第4回口頭弁論に至っても被告警視庁(東京都)は証拠類を提出していない。
【Digest】
◇転職成功 送別会と歓迎会の幸福感に浸った帰路に悲劇が
◇一方的に暴行されていた
◇事件のことを当日ブログに書いていた
◇髪を染めたフリーター風、大学生風に見える人が・・
◇暴行の様子は警察主張とだいぶ違う
◇転職成功 送別会と歓迎会の幸福感に浸った帰路に悲劇が
一冊のアルバムがある。亡くなった原田信助(享年25歳)さんが大学卒業後に就職したJAXA(宇宙航空研究開発機構)の同期社員が作り、思い出の写真に個人を忍ぶメッセージが添えられたものだ。
青、緑、黄などの薄い台紙に写真を貼り付けて、一枚一枚に説明が書かれている。仕事中や研修中、同僚の自宅での飲み会などでさわやかな笑顔を見せる信助さんと同僚たちの姿で溢れるアルバム全体からは、生命力のようなものを感じる。
JAXA勤務はわずか1年半だったが、信助さんは頻繁に飲み会を催し、友人と食事し、個人宅を訪ねて語らう機会が多かったことが窺える。かなり忙しかったはずだが、あきれるほど人との交流に時間を割いていた。
一番新しい写真は2009年10月25日撮影。「本来やりたい仕事が見つかった」と女子美術大学に転職がきまり、JAXAの同僚たちが「原田君を送る会」を開いたときの10枚だ。彼の転職を祝う友人達に囲まれた笑みは、それから48 日後に起きた悲劇を一層際だたせる。
アルバムを開いた最初の部分には、同僚らによる28枚のメッセージハガキで埋められている。
「ムードメーカー的存在だった」
「私のことを笑わせてくれてありがとう・・原田君は同期が揉めた時、朝までずっと話を聞いてくれたし相手の気持ちをすごく理解してくれる人でした」
「新人歓迎会では会計と司会という一晩大変な役をやってくれて・・」
「私より大変な思いをしている原田くんがわたしを励ましてくれてメールでも『仲間がいるから大丈夫って思えた』って言ってくれてすごくうれしかった」
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新人研修で自己紹介をする故原田信助さん。2008年JAXA入社同期が作成したアルバムより。 |
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「駅から会社に向かう通勤途中で将来のことを話しましたね。あのとき原田くんは、もっと宇宙を経営側から盛り上げていきたい、と語ってくれましたね」
「・・の業務に絶望してもうJAXAを辞めようと思ったときも、原田君がイヤな仕事をみんな進んで引き受けてずっと僕のことを励ましてくれたから、僕はこれまでやって来れました」
どのハガキも丁寧な文字でエピソードがびっしりと書かれている。
新しい門出を祝う送別会で送り出されてから2か月と経たない12月10日、今度は新しい職場で「歓迎会」を開いてもらい、幸福感を伴っての帰路で事件に巻き込まれたのだった。
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新宿署 痴漢冤罪&暴行&自殺事件
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2009年12月10日午後11時ごろ、念願かなって転職した職場の歓迎会の帰宅途中、原田信助さんは乗り換えのためにJR新宿駅の階段を登り始めたところ、直前にすれ違った女子大生が「いまお腹を触られた」と言い、連れの男子大学生二人は信助さんを背後から突き落とし暴行した。
信助さんは携帯で110番通報し、かけつけた警察官によって交番に連れて行かれ1時間半聴取、さらに新宿警察署に移送(任意同行)された。暴行事件の被害者として話を聞いて貰えると思ったら、痴漢事件の被疑者としての取り調べが数時間に渡って行われたのである。
女子大生の証言と信助さんの服装が違うことなどから、「痴漢の事実がなく相互暴行として後日呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であると判明」と新宿署は「110番情報メモ」に明確に書いて帰宅を許した。
信助さんは、新宿署を出て地下鉄東西線の早稲田駅に向かい、列車に飛び込み死亡した。ところが事件直後には、被害者とされる女性の被害届も供述調書もなく、信助さん本人の自白調書もなかったのに、彼の死後49日の2010年1月29日、新宿警察署は信助さんを痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で検察庁へ書類送検(本人死亡のため不起訴)した。不起訴を理由に痴漢事件の記録が公開されず、真相を闇に葬ることができるからである。
母親の原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、1000万円の国家賠償請求訴訟を提起した。これが「新宿署 痴漢冤罪&暴行&自殺事件」であり、支援者らは「新宿署違法捜査憤死事件」とも呼ぶ。
○原田信介さんの国賠を支援する会
○新宿署違法捜査憤死事件
○母親の原田尚美さんのブログ「目撃者を探しています!!」
○ツイッター@harada1210
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(左)事件が起きた当日は工事中であり、この階段の下あたりで信助さんと学生がもみ合ったとされている。(右)工事後の階段。 |
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事件から3カ月経った2010年3月から原田尚美さんは、事件現場付近で息子と大学生との接触、暴行の目撃者を捜し始めた。その甲斐あって複数の目撃者が現れたが、暴行の様子・場所・時刻が比較的はっきり証言していたのは3人。そのうち、至近距離で学生と信助さんのトラブルを目撃し、駅員を呼んだという目撃者を訪ねた。
待ち合わせ場所のJR中央線の駅前に現れた目撃者Aさんは、いかにも仕事ができそうなタイプの女性に見える。30代か。きちんとした答え方をしてくれる。あのとき、何があったのか。しばらくAさんの貴重な目撃証言を聞いてみる。
◇一方的に暴行されていた
「実は、次の週の12月19日に引っ越し予定だったので、事件の起きた12月10日には、高田馬場の不動産業者からカギをもらい、引っ越し先の部屋を見に行こうとしていたのです。
ところが、大家さんから契約書が届いていなかったという事情もあり、カギを受け取れなかったのです。そこで友達と会い、新宿駅東口で一緒に食事をし、その帰宅途中に事件を見たわけです。
友人と食事をしていて『アッ11時になるから早く店をでなくちゃ』と思い、おそらく11時ぐらいに店を出て、まっすぐ新宿駅に向かったのです。家に帰って見たい番組があったので、だいたいの時刻を憶えていました。
新宿駅の山手線と総武線(三鷹方面)があるホーム(15番線と16番線)へ登る階段の下まできたときのことです。
最初、学生か何かのケンカだろうか、と思いました。忘年会の季節であの時間だし、酔っ払いの争いというイメージもありましたね。2メートルくらいの距離から見ていたのですが、一人が一方的に暴行を受けていたのです.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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JR新宿駅西口改札。暴行現場を2mの距離から目撃したAさんは、すぐに収まりそうにないので、この改札付近にいた駅員に事件を伝えたという。改札を通れば数十メートルで西口交番。そこから警察官が現場に駆け付けた。 |
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信助さんが身を投げた地下鉄早稲田駅。毎月11日には母親の尚美さんが献花していたが、一周忌からは年に一度に花を手向けることにした。写真は一周忌の2010年12月11日。 |
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信助さんは新宿警察署を出て、鞄など私物をJR新宿駅のコインロッカーに預けた。その鞄には、事件後(新宿警察署内でか)に書きなぐったノートがあった。「話が合わないんだよ、こうなった以上・・」と走り書きがある。また15番線と16番線に挟まれたホームから降りる階段と思われる図も描かれている。 |
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