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チェルノブイリ旅行記-2 放射能被害の論文発表で獄中5年の専門家は語る「高濃度汚染、実は1960年代から」

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ユーリー・バンダジェフスキー教授。「500とか100ベクレルということでなく、極力汚染されていない食べ物をとるように心がけてください」と強調していた。
 妊婦が被曝すれば、胎児への影響はもちろん、胎児の中の生殖細胞(妊婦の孫)の遺伝子まで傷つく恐れがある。取材チームは、チェルノブイリ原発事故のときの胎児が母親になり、生まれた子どもが病気になった事例に突き当たった。一方、放射能被害の論文を発表した結果、獄中5年となった専門家によれば、1960年代からチェルノブイリ以上の高濃度放射性セシウムが検知されていたという。重大な放射能汚染が隠されていた可能性があり、半世紀も住民が汚染にさらされた結果、とてつもない健康被害をもたらしている。日本でも、妊婦や妊娠する可能性のある人に関しては、別格の厳しい食品基準や汚染の拡散防止などの対策をとる必要があると感じた。
Digest
  • 原発被災者の遺伝問題取材は差別につながるのか
  • “遺伝”を話さなくなった日本の識者たち
  • 悲劇の日1986年4月26日生まれの母
  • 三世代同時被曝の可能性の母子

原発被災者の遺伝問題取材は差別につながるのか

原発事故による放射能の遺伝的な被害を知るためにウクライナまで来たものの、本当にうまくいくのか、これでいいのか、という不安が付きまとっていた。

というのは、放射能汚染の遺伝的被害を全面に掲げるジャーナリズムや社会運動が私の知る限りなく、「福島の25年後を念頭に、チェルノブイリ原発放射能被害者の遺伝を真正面から取材する」私たちは、世の中から浮いているように感じられるからだ。

たとえが悪いかもしれないが、テレビも新聞も周囲の人が全員「カラスは白い」と言っているとしたら、カラスは黒いと認識している自分がおかしいのではないか、と不安に襲われるような感覚、と言ったらいいだろうか。

もう一つの不安は、遺伝問題となれば差別につながりかねないことだ。原爆を落とされた広島や長崎の関係者で被害を語らない例もある。

しかも、今回の取材旅行の結果、福島の汚染地に住民を戻したり、福島産の農産物を「食べて応援」などとんでもない、と強く思うようになったし、違う方法で支援しようと言っていくつもりである。

遺伝問題を大きく取り上げれば、波風が立つかもしれない。しかし、放射性物質に対する甘い規制などの現状が続けば、食品や水からの内部被曝によって遺伝子を傷つける恐れがある。子孫にとって非常に重大な結果をもたらすかもしれない。

そう思ってウクライナまでやってきた。より被害の大きいベラルーシでの取材も必要だろう。

まず、子供の脳腫瘍などを治療するロモダーノフ記念神経外科病院の小児病棟を訪ね、チェルノブイリ原発被害の孫世代の幼児と母親に会ってきた。取材チームが調査しようと考えている人は、1986年4月26日に胎児だった人が母親になり、その子どもが健康被害を受けている事例である。

原発爆発時に妊婦が放射線を浴び、なおかつ汚染された食べ物や水を取り入れることで胎児にも影響し、胎児の中の生殖細胞(妊婦から見れば孫)の遺伝子が傷ついたことによる健康被害を取材するのが目的だ。

たいていの人は、被曝の影響が胎児に及ぶことまでは心配するが、胎児の中に芽生えた生殖細胞(将来の孫)の遺伝子が傷つくことまでは意外に配慮が及ばない。どういうことか。著書、『放射能から子孫を守りたい』で小若順一氏は、チェルノブイリ事故の孫世代の健康被害に関して、ある母子の例をとりあげ、こう説明している。

≪妊娠5週目~20週だったとき、胎児の大きさは1cmから20cmぐらいに成長する。この胎児が女の子であれば、この間に卵細胞が1個から300万個くらいまで増殖しました。生殖細胞が放射線に最も弱いときに被曝したため、ほとんどの精子や卵子の遺伝子が傷ついてしまったのである。

この胎児が成長して結婚し、赤ちゃんが生まれたら、25年前の被曝が原因で脳腫瘍ができたのです≫

しかし小児病棟を訪ねたときは、上の状況に該当する母子は見当たらなかった。そこで、放射性セシウムと生殖の関係などを研究しているユーリー・バンダジェフスキー教授(医師・生理解剖学者・ゴメリ医科大学初代学長)に会うことにした。

彼は、放射性セシウムによる住民被害を大規模に調査し、論文を発表した直後に不当逮捕され、5年間投獄された経験を持つ。

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バンダジェフスキー教授が働く病院の近くにあったイヴァンキフの青空市場。食料品から工具、日曜品まで様々な店がつらなっている。このような青空市場は、ロシアやウクライナではどの町にもある。

“遺伝”を話さなくなった日本の識者たち

バンダジェフスキー教授は1957年生まれの55歳、旧ソ連ベラルーシ共和国の出身で1990年、33際の若さでゴメリ医科大学(ベラルーシ)を創設し初代学長に就任した。

同医科大学は、「セシウム137」の人体への影響を調べるために大規模な住民の健康調査を実施したり、汚染食料を用いた動物実験などで数々の発表を行ってきた。

1999年、セシウムの医学的影響に関する論文を発表、さらに放射能被曝住民に対する政府の対応を批判したとたんに、逮捕された。表向きの容疑は、医科大学受験者の親から賄賂を受け取った、というものだった。

2001年6月に懲役8年の実刑判決を受けて服役

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(上)1960年代後半の大気中の放射性セシウム濃度を示すグラフ。チェルノブイリ事故直後より高濃度のときもあった。ということは、深刻な原発事故か核実験があった可能性が高く、そのことが隠されている。(下)1974年に作成されたという地図を示すバンダジェフスキー教授。チェルノブイリ事故以降の1990年代に、あたかも1986年のチェルノブイリ事故の影響かのように喧伝されたという。このことも、かなり昔から汚染されていたことを物語っている。

「家族の家」。キエフ市内の専門病院で子どもを治療させる家族が無料で滞在できる。真ん中の写真は半地下のプレイルーム。家賃が高いので、運営する団体は独自に家を建設する目標がある。一番下はチェルノブイリ事故が起きた1986年4月26日生れの母親と娘。

(上)チェルノブイリ原発事故のときに胎児だったユーリャさんは成人して母となったが、息子のデニス君はウイルムス腫瘍にかかってしまった。右は父親のセルゲイさん。(下)デニス君の治療記録。日本の母子手帳を詳しくたようなもの。実は、パスポート、婚姻情報、出生証明書、診断書などを見せてもらい、できるだけ正確な調査を心掛けた。このような協力は、取材チームを信用してもらえたからではないかと思う。

(上)インナ・サフチェンコさんと娘のユーリャちゃん5歳。腎臓芽腫。(下)ベネラ・アフメードヴァさんと息子のエミールちゃん3歳、副腎障害。

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