My News Japan My News Japan ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

ニュースの現場にいる誰もが発信者のメディアです

田中知事の取り巻きはIT音痴だった ボランティアは難しい

情報提供
ReportsIMG_I1151586662128.jpg
チームニッポンでの僕の名刺
 僕はこの1年と数ヶ月、田中康夫長野県知事が代表を務める「チームニッポン」にてボランティアとしてインターネットを中心に協力していました。しかし、田中氏の先進的なイメージとは異なり、周囲の人間はITの知識がなさすぎ、結局、サイトが改善されることもなく、徒労感ばかりが残る結果となりました。
Digest
  • 「テレスポット」が運営母体
  • メディアとは完全に別人になる田中康夫
  • 「リンクするには相手の許可が必要」
  • 「もっと大人になって下さい」

僕がチームニッポンを知ったのは、2005年の3月上旬。『週刊SPA!』における同名の連載記事です。記事ではインターネットを利用した活動も予定している、と紹介されておりました。前々からネットを利用した政治活動に興味があったので期待し、「韓国やアメリカであったようなネットのムーブメントを興せないか?」とメールを送りました。

するとチームニッポン編集長の平山誠氏から「協力して欲しい」という返信が届きました。記載された携帯電話番号に連絡してみると平山氏が出て、話すことができました。

翌日、届いたメールには「金曜日はお電話ありがとうございました。ちょうど長野で田中氏と打ち合わせ中でした。できれば明後日3/16(水)お会いできると幸いです。場所は当方でよろしいでしょうか?」と書かれており、さっそく会うことにしました。事前にチームニッポンにも入会しました。

「テレスポット」が運営母体

 チームニッポン事務局は東京都港区新橋にあるビルの4階で、ごく普通のオフィスといった感じ。同室には株式会社テレスポットという平山氏が代表を務める広告代理店が同居しており、事実上の運営母体となっていました。テレスポットで作ったと思われる田中知事のポスターや等身大ポップ、長野県関連の物品等も置いてあります。

そこで平山氏と、ネット担当の若月英生氏にチームニッポンの理念や運営方針を聞きました。詳細は省きますが「いずれチームニッポンから議員を出したい」とのことでした。

ネットについて話が触れたときです。まず、既にサイトに設置されていた掲示板をリニューアルしたい、と言われました。実際、かなり簡易型のタイプであり人気が出なさそうでしたので、幾つかアイディアを提案していました。そうしていると、平山氏は「2ちゃんねる型の掲示板を作れないか」と言い出したので「ああ、あめぞう型のことですね」というふうに応じました。(※あめぞう型とは2ちゃんねるに代表される巨大掲示板システムのこと)

平山氏はパソコンでヤフーを開き「あめぞう」で検索して2ちゃんねるとは別にある、あめぞう型の巨大掲示板サイトを表示しました。「こういうのがイイんだよ!」といった感じで発言されていたかと思います。(画面に表示されたスレッドは「阪神大震災は笑えた!」という有名な不謹慎スレッドだった)

この辺りから嫌な予感がしていました。そもそも何故、匿名性が高く荒れる可能性もある巨大掲示板を設置したいのか。僕は止めたほうがいいと反対し、受け入れられました。

驚いたのは「ブログでサクラをやって欲しい」と頼まれたことです。反対すると、「目的を達成するには汚いこともするべき」等と反論されました。後日、メールで「良い方向への修正は全権ご依頼いたします」と言われたので、僕は我慢しながらも協力することにしました。

メディアとは完全に別人になる田中康夫

ネットに限らず、チームニッポンが主催するトークイベント「田中康夫塾」の準備などに関わっていきました。その際、同イベントの次の日に、田中知事がオーマイニュースのオ・ヨンホ代表と会談すると聞き、知事に尋ねてみたら「一緒に行こう」と誘われて僕は会談に同席できることになりました。

更にイベント終了後、田中知事と会食を同席する機会がありました。食事中も電話をしたり、かなり忙しいそうな感じでした。テレビ等とはまったく違っていて、大きな声で怒鳴ったり!初対面の人に「お前」等と乱暴な言葉遣いをする人でした。ちょっとガックリしました。メディアを通してみる田中知事とは完全に別人です。

ReportsIMG_H1152205676200.gif
僕への感謝状

次の日、約束どおり、ホテルにて、田中知事とオ・ヨンホ代表との会談に同席できました。車でホテルへ行く途中、感謝状を貰いました。といっても、平山氏から手渡しで貰い、田中知事は「あ、渡されちゃったよぉ」という感じでした(実際にそう言ったかは忘れた)。だから、何に貢献したから貰ったのかは自分でも分かりません。

会談で、確か田中知事は、「(JANJANの)竹内謙は鎌倉市の記者クラブを開放したと言うが、鎌倉市には最初から記者は駐在していない。長野県の脱記者クラブ宣言とは違う」「(ビデオニュースドットコムの)神保哲生は記者クラブ体制に挑戦してない」など、徹底して批判していました。他にも宮台真司、堀江貴文などが矢先に立たされていました。途中、僕にオ・ヨンホ代表に質問する機会も与えてくれました。

ReportsIMG_G1152205674356.gif
貰ったオ・ヨンホ代表の名刺

会談を終えると、田中知事は次の目的地に行きました。僕は事務局でネットに関する会議をするため、平山氏の車に乗せてもらって向かいました。ショックだったので今でも覚えているのですが、平山氏は運転しながら「オーマイなんとかってやつ?ありゃダメだ」と言って自分で貰ったオ・ヨンホ代表の名刺も「いらない」と僕にくれました。

平山氏は、後に、衆院選(昨年9月)で、北関東の比例名簿1位で新党日本公認候補として出馬する人物なのですが、田中知事とはずいぶん考え方が違う、と思いました。

その後は、何度か「田中康夫塾」を繰り返し、事務局で平山氏、若月氏とネットの議論をしました。そのうち新党日本が結党されて、党のサイトの製作にも関わったのですが、僕のアイディアは、ほとんど受け入れて貰えませんでした。

「リンクするには相手の許可が必要」

チームニッポンのサイト、新党日本のサイト、共に平山氏の側近と思われる若月氏が最終的な権限を持っていました。結局、両サイトとも、若月氏のセンスで作られていきました。

当初から僕が提案していた韓国の「ノサモ」やアメリカの「ムーブオン」「Mozilla」等を参考にしたアイディアはもちろん、サイトデザインの修正や誤字の修正、リンク切れの修正願いすら聞き入れてもらえませんでした。

例えばトップページに6つあるメニューのうち6つとも全て、リンク切れしています

この先は会員限定です。

会員の方は下記よりログインいただくとお読みいただけます。
ログインすると画像が拡大可能です。

  • ・本文文字数:残り1,852字/全文4,324字
公式SNSはこちら

はてなブックマークコメント

もっと見る
閉じる

facebookコメント

読者コメント

kajiaka2008/10/05 17:58
NPOの欺瞞2008/02/01 02:50
↓tanakaさんへ2008/02/01 02:50
tanaka2008/02/01 02:49
omeke2008/02/01 02:49
彩の国2008/02/01 02:49
越の国2008/02/01 02:49
okuaki2008/02/01 02:49
一意見2008/02/01 02:49
※. コメントは会員ユーザのみ受け付けております。
もっと見る
閉じる
※注意事項

記者からの追加情報

ボランティアは難しい。タダほど高いものはない。最初に「ボランティアに権限は何もない」「意見は聞くが決めるのは我々」といったことを合意しないとこういう問題が起きる。田中知事サイドから見ればまた違った事実であろうが、マイニュースの理念に沿って、記者の立場から見えた一事実として掲載します。(編集・渡邉)
本文:全約5,800字のうち約2,000字が
会員登録をご希望の方は ここでご登録下さい