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消費される文学 『博士の愛した数式』

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 読売文学賞(小説賞)、「ダカーポ」のブック・オブ・ザ・イヤー、紀伊国屋書店スタッフが自分で読んでみて面白いと思った本第1位・・・、絶賛の嵐である。アマゾンの書評欄を見ても、やはり絶賛である。何一つとして批判が無い。

 この物語の登場人物は、「家政婦」とその「息子」、そしてその雇い主である「博士」。小説は家政婦の一人称「私」で語られる。

博士は天才数学者であるが過去の事故により脳に障害を負い、記憶が80分しか持たない。そのいわば限定された世界と、数学という定理のもつ永遠の世界。あえて単純化すれば、そのギャップがもたらす感動的な物語である。

確かにいい話ではある。だが読了後、私が抱いた感想を一語に要約すれば、「皆が純粋で、切なくて、そこそこ感動的な話」であり、前述の大絶賛とはかなりニュアンスは異なった。

私自身の感動の琴線が劣化しているのもあるのかもしれないが、思うにその最大の原因は、前述のような絶賛の嵐に基づく期待値が異様に高かったことにあるのではないかと思う。

一般に、満足度と期待値とはよく比較される。ビジネスの世界でも顧客満足度(CustomerSatisfaction)と顧客期待度(Customer Expectation)を比較して、そのギャップによって、異なる打ち手を講じるということはよくなされる。

つまり、結果として満足度が低いのであれば、そもそものサービスに問題があるのか、いたずらに期待値を高めてしまったのかどちらかということである。

本書の場合、後者による部分が非常に大きいと推察される。

いたずらに賞を増やし、帯やPOPに彩られ、作品が一人歩きし消費されていく。これは、書籍販売におけるマーケティング活動としては典型的でもあり、何も後ろ指を差されるレベルの話ではないが、個人的には違和感を覚えてしまう。

そして同様に、私は読者のスタンスについても違和感を覚える。読書という行為がいわば消費行動の一環となり、文学とHowTo本とゲーム攻略本が消費という名の下に同列に論じられるようになった現代。自らの感性に基づく選択を放棄し、年末の各種ランキングの上から順に読む、ただ無条件に芥川賞、直木賞受賞作品を、権威だから正しい評価だからと手にとる、そんな読み方をしていないだろうか。

 本書のように、等身大で十分面白い作品が、メディアにやたらに持ち上げられて、次々と消費されていくのを見るにつけ、個人的には残念でならない。

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読者コメント

あきら2008/02/01 02:50
河川2008/02/01 02:49
VJ2008/02/01 02:49
clieclie2008/02/01 02:49
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博士の愛した数式(新潮社)