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シリアから生還の安田純平氏に聞く、1×1.5mの独房で息遣いも許されぬ監禁生活――『スラムダンク』『地球の歩き方』に救われた日々
3年4か月の監禁から解放されて10月25日に帰国した安田純平氏。帰国後3週間がすぎた11月19日にインタビューした。体力の回復まで時間がかかりそうであった。また、どの武装勢力が彼を拘束したかも不明。身代金が支払われたか否かも、現時点では判明していない。

 シリアで武装勢力に拘束されて3年4カ月。ジャーナリスト・安田純平氏は10月25日に帰国した。彼の行動を支持する意見がある一方、自己責任とのバッシングもある。当の安田氏は「紛争地に行く以上は自己責任」と言い切る。今回の体験を踏まえ、情報やメッセージを社会に伝えることがジャーナリストとしての責任であり役割だろう。その体験を聞くと、現地に行って体験し見聞きしなければわからないことがある、と痛感させられる。収容所では、幅1m奥行1.5m内のエリアで身動きひとつできない状態を5か月も強要。指を折る音や唾をのみ込む音も咎められ、音をたてると見せしめに他の囚人が拷問されるという、奇妙なゲーム、もしくは調教が行われた。正気を保つためノートに詳細を記録し、『地球の歩き方』を暗記するほど繰り返し読み、漫画『スラムダンク』を思い出して凌いだ、という。それでも最後には「これ以上は無理だ、帰すか殺してくれ」――と頼み込むに至った。極限状態で見たこと聞いたこと考えたこと、を聞いた。

【Digest】
◇深夜の国境越えで判断を間違えた
◇スパイ容疑で尋問、当初は民家に監禁
◇妻への連絡で暗号「身代金の支払いを拒否しろ」
◇情報は日本の外務省に届いていたのか?
◇「私はウマルです。韓国人です」という動画を撮影
◇巨大収容所の中は迷路、独房は1m×2m
◇謎の巨大収容所はジャバル・ザウィーヤに立地か?
◇パキスタン人夫婦、シリア人親子、外国人義勇兵
◇強いられた奇妙で理不尽なゲーム
◇指を動かす音も許されぬ地獄の5か月
◇「動かないのはもう無理だ、百叩きでもなんでもしてくれ、帰すか殺してくれ!」
◇現在を否定するため過去のあらゆるものを否定、未来だけ考えた

◇深夜の国境越えで判断を間違えた
 帰国してから約3週間後、待ち合わせ場所に現れた安田純平氏は、痩せて白髪が増えていた。何かの会合で彼を見かけて以来、筆者が4~5年ぶりに見る姿だ。

 普通に歩けば彼の自宅から10分ほどの場所なのだが、「まだ足がふらつく」と言う。

 3年4か月に及ぶ酷な体験を思えば、肉体的・精神的なダメージは深刻だと思われるが、穏やかな表情に見える。

 監禁から解放にいたる大まかな流れは、帰国後の記者会見を中心にまとめられた『シリア拘束 安田純平の40か月』(扶桑社、11月24日発売)で、触れられている。

 このブックレットや今回のインタビューで安田氏の体験を聞き、インターネットで世界中の情報を得られるようになった現代においても、やはりジャーナリストが現地に行って見聞きしなければ分からないことがあると認識させられる。

 その体験をさらに調査して深め、書籍などをとおして社会に伝えることが、安田氏の役割であり責任だろう。

 まずは、シリアに入国する直前の様子から話を聞いた。

 紛争地の取材は、ガイド(案内人もしくは仲介者)に頼らざるを得ず、ガイドの能力もさることながら、彼らとの信頼関係がとても大切になる。人選やタイミングを間違えると非常に危険だ。

 とりわけ紛争地域への境界線(多くは国境)を超えて目的の地域に入るときに最も気を使う。その次に、境界線を越えて紛争地域の外に出るとき、がポイントになる。

 順を追って聞いた。

「2015年5月15日ころに日本を経ち、トルコ経由でスウェーデンに行きました。知人のシリア難民と会い、彼の紹介ルートでシリア入りしようと模索したのですが、結局ダメになりました。

 5月末にはトルコに戻り、日本人の知人から紹介されたシリアからの難民が通う学校の校長を訪ねました。

 その学校の教師に紹介されたのが、2015年1月にイスラム国に殺された後藤健二さんを2013年の取材時に案内していたガイドのAです。(※後藤氏が拉致されたときの案内人とは別人物)

 そのAを信用しました。彼から6月22日、『シリアに案内する人物と連絡がついた』と告げられ、その日のうちに国境の街に向かったのです。

 国境に近いトルコの町に住む人物Bと一緒に国境を越えてシリア内に入る。国境を越えたところにはAの従妹Cが車で迎えに来ているので、その車に乗ってアハラル・シャルム(シリアの反政府武装勢力)の司令官に会う、という手はずでした。

 その司令官はAの兄である、と説明されていました」

 安田氏が受けた説明どおりにコトが進めば、おそらく国境越えは成功していただろう。現実には何が起きたのだろうか。

 6月22日夜、シリア人が出入りする国境近くの山岳部に、安田氏は案内人Bとともに到着した。

「Bは『自分が先に行って様子を見てくるから、お前はここで待っていろ』とシリア側に入り、それを2度繰り返しました。

 暗闇の中で2時間ほど私は待っていたのですが、Bが入っていった道とは違う方向からシリア人たちがトルコ側に入ってきました。

 その中の2人組が『じゃシリアに行こうか』と私に話しかけてきたのです」

 2013年に後藤健二氏のガイドをつとめたAの「シリア入国シナリオ」では、国境手前まで案内したBと一緒に安田氏がボーダーを超え、待っているCの車で移動し、しかるべき司令官のもとに向かうはずだった。

「聞いていた話と違うなと思ったのですが、2人の様子を見て何かもう話がついているような気になってしまいました。それで、Bが様子を見に行ったのとは違う方向へ、2人組と一緒に進んでしまったんです」

 これが最大の失敗で悔やまれる、と安田氏は振り返る。2人組と1時間ほど歩いて国境を越え、シリア内に入ったとたん、トラックに乗せられた。

 3年4か月(40か月)間にわたる監禁生活の始まりだった。

◇スパイ容疑で尋問、当初は民家に監禁
帰国直後の記者会見を中心にまとめた「シリア拘束 安田純平の40か月」(扶桑社ブックレット)800円+税。身柄拘束から解放までの概要がわかる。ここに書かれた一つ一つの事実、それぞれのプロセスなど、小さな断片を集めて分析していけば何かが見えてくる可能性がある。
 深夜に拘束された安田氏は、翌6月23日未明まで、パン工場の事務所に留め置かれた。朝になって民家へ連行され、6月24、25日の両日は、「お前は何者だ」とスパイ容疑の尋問が続いたという。

 その疑いは最初の2~3日で晴れたようで、尋問は一応終わった。車の後部座席に横にされて外が見えない状態で移送され、集合住宅の地下に一時的に監禁。6月29日には民家(一軒家)に収容された。

 安田氏は、何が起きているのか事態を把握できず、まったく先が見えない状況が解放の日までつづくことになる。

 スパイ容疑が晴れてもなお身柄拘束されていたことに、安田氏は不安を抱き始めた。拉致されて1か月が過ぎた7月下旬に武装勢力から、「日本政府にカネを要求する」と言われた。

 このとき、身代金目当ての「人質」になったことを安田氏は明確に認識した。

「当初は暴力を受けることもなく、一時取り上げられた荷物も返され、テレビを観ることもできました。

 民家に監禁された初めのころは、3日に1度、水浴びと洗濯のための時間が40分間くらい許されました。

 それが次第に減って、週1度で15分程度になり、ときには2週間に1度(月に2回)と、水浴と洗濯の時間が減らされたのです。

 1日に2回、武装勢力のメンバーが食事を運んでくるので、そのときに部屋を出て、トイレに行っていました」

 部屋の外にあるトイレまで歩き、食事、洗濯や体を洗うことで、多少なりとも監禁のストレスを緩和できる。だから、このような時間や回数が減らされると心身の健康が、少しずつ、むしばまれていく。扱いが悪くなると、どうしても嫌な結末を想像してしまう。

安田氏本人しかわからない質問を妻が送った。それに対して安田氏が書いた返事。「(身代金要求を)断固無視しろ」「無事帰る」などのメッセージが含まれている。(2016年1月19日)
◇妻への連絡で暗号「身代金の支払いを拒否しろ」
 2015年12月7日に変化が表れた。「日本側に送るから個人情報を書け」と言われたのだという。

 安田氏は、「彼らの要求をのまずに放置しろ」という、暗号のようなメッセージを文言に紛れ込ませた。

 個人情報を含むメッセージを送ることで身代金を取れると思ったのか、武装勢力は「今月中にお前は帰れる」と気をよくしたようであった。

「ところが年末に近くなると『日本側が連絡を絶った』と彼らは急に機嫌が悪くなり、トイレの行き帰りに尻を蹴ったりされるようになりました」

 日本との連絡を命じられたのは、3回あった。

 ・2015年12月7日
 ・2016年1月6日
 ・2016年1月19日

 一度目は、個人情報を書いて「放置しろ」という趣旨を伝えた。そして12月31日には安田氏の妻の電話番号とメールアドレスを書かされた。

 彼らは実際に日本に送り、妻から連絡が入ったようだ。

「1月6日に、私にしかわからない妻からの質問を書いたメモを、彼らは私のところに持ってきました。その質問に答えろ、と命じられたのです。

 英語とアルファベットを交えて妻からの質問に答えました。手書きの文書を彼らが撮影し、画像を日本側に送ったようです。

 翻訳しても理解できないようなアルファベットを駆使しました」

 そのとき彼が妻に送ったメッセージ(1月6日、1月19日)には、以下のような文言が含まれていた.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。



「助けてください」と紙に書かされてビデオ撮影された際に着ていたTシャツ。
(上)安田氏が長期間拘束されていた謎の巨大収容所は、地図上の赤い印の近くにあったと推察できる。赤印の右側(東側)にジャバル・ザウィーヤの集落がある。トルコとの国境まで直線距離で40キロメートルもない。 (下)荷物を奪われて安田氏は解放された。帰国用パスポート。
(上)拘束中に支給されたイスラム経典クルアーンなど。(下)地球の歩き方。3年4か月の間、日本語をまったく口にしなかった安田氏は、何十回も日本語でかかれた「地球の歩き方」を読んでいたという。
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記者コメント
■安田純平氏講演会
日時:12月15日(土)14時開演
場所:東京都豊島区「雑司ヶ谷地域文化創造館第2会議室」    地下鉄「雑司ヶ谷駅」2番出口直結、JR「目白駅」徒歩10分 資料代:500円 主催:草の実アカデミー

「シリア拘束 安田純平の40か月」(扶桑社ブックレット、800円+税)発売中

本文:全約11800字のうち約8600字が
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報道の自由度?笑  18:19 12/06 2018
シリアで起きていること伝えようとした安田さんを尊敬します。お疲れ様でした。しかし、元福島県知事の佐藤栄佐久さん、元原子力安全委員(神戸大学名誉教授)の石橋克彦さんにインタビューなどしてこの国で起こった真実を伝えようとしないジャーナリストや大手メディアがいくつも存在しています。ジャーナリズムって何だろう?世の中の表と裏、矛盾を感じずにはいられません。