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08/14 2011
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 「10年後に、また会おう」

 最後に、福岡でそう言いましたね。芝居じみたセリフだな、と思ったので、よく覚えています。そう言うのだと決めていたんだろう、と。そして、こんなことも言いました。

 「そのときに、おまえが一人前の記者になっているか、だよな…」

 そんなことを思い出したのは、ほかでもない、あなたの記事を見つけたからです。8月11日、香港→上海に飛ぶ香港ドラゴン航空の機内で、キャビンアテンダントが1部だけ朝日新聞を持ってきて、どうぞ、と手渡されました。

 新聞など読むつもりもなく、頼んだわけでもないのですが、日本人だからと気を利かせて、日本語の新聞を持ってきてくれた。せっかくなので受け取って、偶然見つけたのがこの記事でした。

守屋林司さん(もりや・りんじ=日本経済新聞社常務執行役員)9日、膵臓がんで死去、61歳。

 僕は退職後、新聞の購読契約を一度もしたことがなく、年に何回か暇つぶしに飛ばし読みするくらいです。それが、海外にいるというのに、わざわざ手渡された1部のなかのベタ記事が飛び込んできた。昔を思い出して、涙が出てしまいましたよ。

 人生に偶然などないと言いますが、これは必然でしょう。宿命づけられた因縁なんです。守屋部長が僕に知らせたかったのだろう、あのCAはその使徒なのだと感じ、こうして返事を書いている次第です。


 あなたは、僕が入社1年目の終りに西部支社編集部の部長として赴任してきて、それから2年ほど、僕の人事権を握る直属の上司でした。

 西部の部長は、同期のなかで一番出世で部長になった人が最初に就くポストだと聞いていましたから、社内的な評価は高いのでしょう。その後も、局次長、日経産業新聞編集長、そして常務執行役員まで出世していたんですね。でも僕の中では、永遠に守屋部長なんです。

 新米部長なので、部下の管理が分からなかったのでしょう。おそらくは同期でもっとも扱いずらい僕のような新米記者にあたってしまって、今考えると、お互い、不運でしたね。

 訳も分からず、大濠の自宅に呼んで説教をくらったこともありました。2人のお子さんは守屋部長そっくりでしたね。でも、僕は反発しただけでした。ただでさえほとんどゼロの休日なのに、ちょっと待てよ、と。

 自分の価値観を頭ごなしに押しつけ、「黙って従ってればいいんだ」というあなたのマネジメント手法は、明らかに管理職として能力不足だと今でも思います。


 僕が自分で契約している個人サイトに全面閉鎖命令を出したときも、「いいから俺の言う通りにしておけ」という高圧的な姿勢でした。それで万事丸く収めるのが部長の仕事だと思っていたようですが、こちらは信念に基づいてやっているのだから、はいそうですかという訳にはいきません。

 言論の自由を主張する僕の話なんて、聞く姿勢もない。コミュニケーション能力がなさすぎです。軍隊的なカルチャーでは命令が全てだからそうなるのかもしれませんが、それは管理職としての業務放棄でしょう。

 結局、「社内でルールを作る」という約束を反故にされた僕はサイトを再開し懲戒処分になり、管理責任を問われた守屋部長も軽いけん責処分を受けてましたね。僕は、残っていても飼い殺しにされるだけなので、予定より少し早めに会社を辞めました。結果、給料は下がるし、引っ越しもしなきゃいけないし、畑違いのコンサルで1からやり直しだし、様々な苦労もしました。

 次に会ったのは、2001年12月18日の東京地裁法廷でしたね。僕はけじめをつけるため、処分取り消しを求める裁判をやらざるを得ませんでしたから。3時間超に及ぶ集中証人尋問で、証言台で一緒に横に並び、「良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います。」と宣誓を読み上げました。

 あなたはジトーっとした目で睨んでいるようでした。会社としても、現職の人事部長と守屋部長を法廷に出さないと勝てない、というところまで追い込まれたんです。「君の勝ちです」というメールを同期から貰って、僕は満足でした。裁判には結局、勝てませんでしたが。


 僕は、部長がほかの人だったら、こういう結果にならなかっただろう、と今でも思っているんです。あなたは、たかだか10人程度しかいない部下をマネジメントできなかった。

 部下と話し合う姿勢が少しあるだけで、ぜんぜん違ったでしょう。3か月に1度くらい話す機会を作ればいいだけなのに、それもせず、本社のほうばかりを向いていましたね。本社からエラい人が来るとなれば、それはもう、出迎えから見送りまで、すごい気の遣いようでした。

 ああいうのが、僕には、ものすごい違和感があるんです。これはもう、価値観の違いです。あなたは会社組織に対して信仰を持っていた。会社が全て、組織内で出世することがすなわち幸せなのだ、という宗教心にも似たものを持っていた。一方、僕は最初から社内での出世は目指していない。むしろ社内の出世競争を滑稽だとさえ思っていました。


 10年後、一人前の記者になっているか--あなたはそう言いました。

 一人前とは何か。僕は、組織から離れても、いつでもどこでも、個人名でいい仕事、職業倫理に忠実なプロフェッショナル(顧客志向)としての仕事ができることだと思っています。その基本的な考え方は、新人時代からずっと変わっていません。

 でも、明らかにあなたがいう「一人前」とは、会社組織内の記者としての役割を果たすことを意図していたと思います。価値観の違い、世代の違いもあるでしょう。だからこそ、上司が率先してコミュニケーションをとるべきでした。

 僕は一人前になりましたよ。なりたかった。見返したかった。だから今でも、あなたの下で仕事をしていた時代の写真を、ずっとブログの右上に載せているじゃないですか。あの頃の思いを忘れないためですよ。あれは三池炭鉱閉山で大牟田市に取材に行ったときに写真部員が写してくれたものです。

 日経新聞では海外出張といえば、ご褒美でしたよね。だから不況になると突然、予算が減ったりしていた。海外赴任でさえそうです。社内で頑張った人の骨休め。社内の人は、みんな知っていることです。

 今日は中国・上海でこの手紙を書いています。僕は自分で会社を作り、自分のネットワークで世界中で取材して、自由に記事を書いて発表し、十分な対価を得ることができるようになりました。書く場さえも自分で作ったんです。取材費だって、大企業の経費ではなくて、自分で余裕を持ってファイナンスできています。

 数日後には週刊誌の巻頭特集の締切があるし、秋には単行本の締切もある。来週は月刊誌の連載の締切があります。月末には講演会もやる。これが一人前の記者であり、ジャーナリストの仕事だと、僕は思っているんです。

 会社の常務執行役員といったって、1サラリーマンではないですか。自分で自由に取材できるわけでもないし、たいした権限もない。会社の名刺なしには、何もできないのではないでしょうか。そのような立場は、一人前とは言えない、そう思います。「社蓄」のピラミッドでは一番上にいるかもしれないけれど、やっぱり社蓄なんですよ。僕の名刺の表には社名も肩書もなく、名前だけが書いてあります。個人名で勝負しているからです。


 「10年後」には会いませんでしたが、どこかで会って話してもいいかな、とは心のどこかで思ってはいたんです。少なくとも、あなたから連絡が来れば会うつもりだった。

 僕は、紙は衰退すると思っていたし、ネットには無限の可能性を感じていましたから、自分のサイトを閉鎖して未来を閉じる訳にはいかなかった。実際、そのまま突き進んで、今では立派にニュースサイトとして、こうして事業化しているんです。単なる趣味や悪ふざけでは決してなかった。一貫した信念を持ってやっているんです。

 お互いキャリアを積んだ今なら、そして僕が今やっている事業を見てもらえたら、もっと分かり合うことができたことでしょう。その点では残念です。僕の単行本が発売されたときは日経の総合面にもデカデカと幻冬舎の独占広告が載りましたから、きっと僕のことをウォッチはしていたでしょうね。果たして、どう思っていたのでしょうか。

 61歳は、まだ若いです。新聞記者は若い頃の無茶苦茶な働き方が祟って、早死にします。これは社内では周知の事実です。社内報『太陽樹』に出ますからね。若いころに肉体的に疲弊し、中年以降は社内政治で精神的に蝕まれていく。

 会社のために遮二無二働き、出世できても、早くに亡くなって、社葬してもらう。会社のための戦死。僕はそういうリスクと不可分なキャリアには、全く魅力を感じません。そのような「会社人間」をよしとする空気は、世界中で日本にしか流れていない。インドや中国を取材して、世界の中の日本の特殊性を改めて強く感じています。

 どちらが100%正しいとは言えないでしょう。僕は個人中心のキャリアが正義だと思っているし、守屋部長にとっては、会社こそ正義、終身雇用こそ正義だ。時代も世代も違う。僕は、信念を持って生きていて、これを曲げることはないから、単に従うわけにはいかなかった。どこかに妥協点や解決法はあったと思います。懲戒だの裁判だのは、よくなかった。

 僕は、あなたのおかげで転職後にずいぶん苦労したし、あなたも、僕のおかげで心労が祟って、少しは寿命を縮めたのかもしれませんね。人生とは、そういう価値観が異なる人間同士の絡み合いが織り成す複雑系の物語なのでしょう。

 価値観が180度違う者同士が共存するためには、徹底的にコミュニケーションをとるべきだ――これが、この2人の物語の示唆するメッセージであり、神が学ばせたかったことなのかもしれません。大切なことを学びました。グローバル化した世界において、ますます重要度が増していることの1つだと思います。

 
23:59 08/14 2011 | 固定リンク | アクセス数(7394) | ブログトップへ | <<前へ | 次へ>> 

コメント
応援会員X  20:51 05/08 2012
会員(3年超)
日経とはかなり同じ状況です。 
この守屋さんそっくりな管理職が結構おりまして、そのコピーみたいな社員をマネージャーに昇進させており、負の再生産が起こってしまい売り上げが下がり続けています。
売り上げが減っていく中で椅子取りゲーム化しているから、この手の輩がいっそう増えています。
食いつぶすまでやるんだろうな~

オリンパスのイエスマンの役員と同じですね~。 
でも権力と金銭的には成功者で関連会社に行っても上に位置できるのが残念というか悔しいですね。

渡邉さんのように個人事業主として成功出来るだけの意気込みと能力ががうらやましい限りです。
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@  23:31 09/19 2011
偶然ではなく必然だったと感じることは誰もが人生であるのでしょうが、今回には本当に運命のようですね。

「価値観が180度違う者同士が共存するためには、徹底的にコミュニケーションをとるべきだ」

大事な一文だと思います。なぜなら、これから国際化がますます進む企業社会で重要なテーマになると思います。日本の古き良き以心伝心ではなく、繰り返し繰り返し、自分達の価値観、信条とするところ議論し確認しあうことをやっていく必要があるはずです。異なる世代においても同様ではないでしょうか。








ココで働け! “企業ミシュラン”

渡邉正裕(WATANABE Masahiro)
(株)MyNewsJapan代表取締役社長/編集長/ジャーナリスト。ほぼすべての主要企業内ホワイトカラーに情報源を持つ。現役社員への取材に基づき企業の働く環境を一定基準で評価する「企業ミシュラン」を主宰。日経新聞記者、IBMのコンサルタントを経てインターネット新聞を創業、3年目に単年度黒字化。
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