オレオレ詐欺に遭いかけた(中編)
受話器を取った母の耳に、くぐもった男の声が届いた。男の嗚咽である。
「た、た、高橋さんのお宅ですか……。奥さんですか……。わ、わたし、検察から連絡しろと言われたんですが……」
この声は、ひどく年配の男のものに聞こえたという。40代、下手をすると50代、といった感じであったらしい。
「(震える声で)お、お聞きになられたでしょうが……妻はまだ意識が戻りません。……こ、これから手術するそうですが、子供は、私の子供は……。ぉぉお おお……。(絞り出すような声で)だ、誰を恨んでいいのかわからない……。あなたの旦那さんを恨んでいいのか、息子さんを恨んでいいのか……わからない ……あ、あの子は私にとって最初の子供でした、私の最初の子供だったんです……」
ここで男はひとしきり号泣した。
母もぼろぼろ涙をこぼした。ほとんど、つられて泣いているに近かった、と母は後述している。
--すみません、許してください、すみません!
「(鼻をすすりながら)いや、取り乱してすみません。(ため息)……い、今ですね、私ども、病院に入ったばかりなんです……。もうすぐ手術とのことなんですが……ちょうど今さっき、病院側から経費として300万かかると言われたんです。
あいにく私、妻とふたりきりで旅行中でして(泣く)、私ども千葉のものなんですが……ほとんど持ち合わせがないんです。(さらにむせび泣く)どうか、申し訳ない、そこだけすぐに工面していただけないでしょうか?後のことは、検察に任せようと思っています」
母は勢いでそれを受けてしまう。
--わかりました、わかりました。今すぐご用意します。
「どうか、どうか腹の子供と妻が助かるように祈って下さい……(声にならない)おお、どうか……どうか……」
--(絶叫)すみません、すみません、どうか、私の息子をお許しください!そうして被害者の旦那からの電話は終わる。数分後、また検事と名乗る人物から電話がかかってきた。母は先刻のやりとりを検事に話した。
「そうですか…。実は卓也さんだけでなく、先方も示談を望んでいるようなんですよ。先程話した感じではね。こんな形で子供を失うことになったら、どう親戚に顔を向けていいかわからない、と言うんですね。確かに子供は……実際、難しいかもしれませんね……。あちらの気持ちはわからないでもないです……。 で、手術費用、いくら必要だと言われました?」
--3百万って……。
「そうですか。持ち合わせはありますか?」
--でも、そんな大金……。主人が出かけておりまして。主人でもいれば……私には難しすぎます。
「(残念そうに)ああ、ご主人さん、こんなときにおられないんですか……。いいですか、奥さん、大丈夫ですか、落ち着いてください。息子さんのためなんです。さきほどまた卓也さんを見てきましたが、現場検証が終わりますと、面倒なことになりますから、急いでもらわないといけません。
ご主人だってあなたと同じことをしたと思いますよ。表沙汰にしたくなければ、この急場はこちらで持つしかありません」
それから検事は、これから銀行に行って、自動支払機で金を振り込むように母に告げた。
--でも、あたし、そういう自動ので振り込んだことありません。
「大丈夫です。着いたら、電話をいただけますか。私が今から振込先等、先方から聞いておきますので。たぶん大丈夫です、奥さん、うまくいきます。なんとか示談にもちこめるでしょう。安心してください」
そうして、検事は電話番号を母に教えた。080ではじまる、足の着かないプリペイドの携帯番号である。
「いいですか、落ち着いてくださいね、お母さん。これは卓也くんのためにも、表沙汰には決してできません。守秘義務、ご存知ですね。あなたしか卓也くんを助ける人はいないんですよ。銀行で誰かに聞かれても、知人に頼まれて、と言ってください。誰にも知られてはいけません。がんばりましょう」
そうだ、私しか息子を助けるものはいないのだ、と母は意を決した。--わかりました、いますぐ、行きます。
しかし、最後の最後に、検事はこう言った。
「お金が振り込まれたら、卓也くんから電話させますからね」
祖母の心配そうな顔を背に、母はさっそく家を出た。
車を飛ばし、銀行へ。駐車場から、小肥りの体を揺らして走る、走る。
息子の安否を気づかいながら。 今まさに店舗に入ろうとしたとき、ふと、先刻の検事の最後の台詞がアタマをよぎった。
<お金が振り込まれたら、卓也くんから電話させますからね>
……なぜ金を振り込まないと電話できないのだろう? その現場検証とやらが終わってから、というなら話はわかるが。
母は、疑問にとらわれながら、とりあえずその場で卓也に電話をかけてみた。銀行の入り口の真ん前である。
呼び出し音が鳴って……つながった。
--ちょっと、卓也、卓也! あんた、今どうしてるの!?
「仕事」
--仕事って、車は? どうしたの?「車? 今日乗ってないよ」
母は混乱して立ちすくんだ。
「忙しいんだよ、なんだよ」
母が顛末を話すと、受話器の中でざわめきが聞こえた。卓也と彼の仕事の同僚が話している。……どうやら俺のおふくろが『オレオレ』にやられたらしい ……。
弟は同僚と相談した後、母に以下のようにアドバイスした。
「おふくろ、とりあえず、落ち着いて。ばあちゃんに電話して、このこと話して。それから、警察。3階の刑事二課ってところがあるからそこへ行ってくださ い」
そのまま母が自宅に電話をかけると、祖母が出た。
顛末を話すと、祖母は仰天した。
「そういえばや、おめえがいねえ間に2度電話かかってきたもの。一度、鳴って、切れて。二度目、『先程電話したものですが、卓也のお母さんおりますか』って。おりませんって答えたら、そうですか、って切れた。おや、おそろし。おや、おそろし……(注・秋田弁です)」
母がちゃんと金を振り込みに出かけたか、自宅に確認の電話があったのだ。
そして、これが、詐欺師たちからの最後の連絡になった。
さて、これらの詐欺の手口を見ると、単に示談金の要求でなく、急場の手術費を工面して欲しい、と金をせしめているのがわかる。確かに示談金をすぐに振 り込めというよりは説得力がある。もちろん、手術の費用を即座に支払う必要などはないのだが。
もしこの手術費を振り込んだとしても、次に本格的な示談金の話が出て、短時間のうちに2度、3度と金をだまし取られる可能性がある。
相手の「表沙汰にできない」という心理的枷、そして加害者であるという負い目を利用した嫌なやり方だ。
この、今となっては有名になった『妊婦の破水』手口であるが、母がこの手口が横行しているのを知ったのは、すべてが終わって2日後の話であった。
「これね、怪我人が一人でも大変なわけでしょ、それが子供もくっついて二人よ。目の前が暗くなったわ。今は破水騒ぎみんな知ってるけどね、そのときは聴いたこともない話 だったから、驚いて驚いて。でも、今から思うとね、はじめの子供って言っているのに、50歳は過ぎているような声だったから、あれっ、と思ったのよ。でも、家庭の事情なんだろうなとかこっちで勝手に解釈しちゃうのよ。加害者でしょ、つまり、こっちは。
病院の名前も聞きたかったけど、事を荒立てちゃいけないって思って、どうしてもそういうことができないのよ。ほんと、最後、携帯つながって助かったわ」
こうして実家は危機からまぬがれることができた。
検事を名乗る男が、ついうっかりよけいな言葉を漏らしてしまったこと、そして、弟の携帯電話の番号までつかんでいなかったこと(つかんでいる場合、普通は相手がいやがって電源を落とすまで、電話攻めにするだろう)、この二つのおかげで助かったわけである。
だが、いったい詐欺師たちはどこまで実家の情報を握ってたのだろうか。父が出張していた事までつかんでいたのか?ペーパードライバーだった弟が最近運転をはじめたことについては?
どちらも単なる偶然なのだろうか。考え始めるとキリがない。後に刑事が述べるように、「案外身近な人が絡んでいるかもしれない」という嫌な想像まで働いてしまう。
話に戻ろう。祖母に連絡を取った後、母は、卓也の指示通り、警察に向かった。
……のだが、その警察の対応も納得のいくものではなかったという。
私は、警察がどんな対応したのか母に質問してみた。「それがね、あんた。卓也に言われたように警察の3階に行ってみたんだけどね……ちょっとガックリしちゃったのよ……」
(後編につづく)
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読者コメント
コレモワラタ
はじめまして、番組制作会社の和田と申します。現在オレオレ詐欺をリサーチしており、こちらを拝見しました。実際の体験者を探しております。テレビで体験談を広めることが、今後の被害を減らす方法のひとつだと思っております。ぜひ、お母様にお話をうかがうことはできないでしょうか。できましたら、こちらに連絡いただけたら、幸いです。kengow1@yahoo.co.jp
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