原田信助さん。新宿駅の階段で突然、痴漢と間違えられて2人に暴行を受け、被害者として110番通報したところ、痴漢の被疑者として新宿署で6時間超に及ぶ聴取を受けた。その帰宅する足で地下鉄早稲田駅に向かい、自殺してしまった。
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2009年12月10日夜、原田信助(当時25歳)さんはJR新宿駅で痴漢と間違われ女性の連れの2人から暴行を受けた。身の危険を感じた彼は110番通報。ところが新宿署は、暴行被害者を痴漢事件の被疑者として取り調べ、釈放した。その足で信助さんは、母校に近い地下鉄早稲田駅に行き鉄道自殺を遂げた。49日後、新宿署は、被害届なし、調書なしで、原田さんを書類送検(不起訴)した。ところが新宿署は「痴漢の事実がなく、服装がまるで違っていた」と、自ら文書を残していることが、後に発覚した。母親は今年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、国家賠償請求訴訟を起こした。(訴状と交番内の音声は記事中でダウンロード可)
【Digest】
◇「息子さんと思われる人が電車に轢かれ危篤です」
◇念願の転職成功、資格試験の勉強する人間が自殺?
◇不審の始まり 新宿警察の対応
◇ICレコーダーに録音された取り調べから死までの7時間
◇「電話させてほしい」西口交番で何度も頼む
◇暴行の被害者が痴漢容疑で調べられる
◇最後の55分間
◇「息子さんと思われる人が電車に轢かれ危篤です」
いまから思えば、あの電話のベルで人生が変わってしまった。2009年12月11日夜7時15分ごろ、東京都北区に住んでいた原田尚美さん(54歳)に警視庁牛込署(新宿区)の刑事から電話があった。
「息子さんと思われる人が電車に轢かれ危篤です。すぐに病院に来てください」
地下鉄早稲田駅で自己に遭った原田信助さん(当時25歳)が、救急車で運び込まれたというのだ。とるものもとりあえずタクシーに乗り込み、信介さんが運ばれた東京女子医大救急救命センターに駆けつけた。
車中でも頭が混乱した。何が何だかわからない。一昨日の夜、息子と一緒に食事をしたのが最後だった。その息子が病院に運ばれて危篤だという。自宅近くにアパートを借りて一人暮らしをしている息子だが、月曜から木曜までは毎晩夕食を採りに戻ってくる。母親は、彼が大好きなエビスビールの買い置きを忘れない。
一昨日の夜、食事をした後に息子は自分のアパートに帰っていった。食卓を立つとき、「寒いから送らなくていいからね」と母親に一言を残したときの姿と、これから病院で見なければならない危篤状態の姿がどうしても結びつかないのだ。
その日の早朝6時40分ごろ、地下鉄早稲田駅の職員から通報を受けた東京消防庁戸塚支部の救急隊員が駆け付けた。瀕死の重傷を負った信助さんに隊員が意識の有無を確認するため声をかけた。
――大丈夫ですか、名前は?
「はらだ、しんすけ・・」
朦朧とはしていたが、名前を答えたという。運び込まれた病院のベッドわきには、「誕生日7月30日」と書かれたカードが置かれていたが、信助さんの誕生日は4月30日。シとシチが聞き取れなかったのであろうが、まがりなりにも質問に答えており、彼が病院に運び込まれた時点では完全な意識障害には至っていなかったことを示す。
午後8時、救命センターの病室にたどり着いた原田さんの目に飛び込んできたのは、顔が紫色にぱんぱんに腫れ上がった人物だった。さまざまな医療用の管が取り付けられた重症患者。
その顔を見て原田さんは、人違いではないかと一瞬希望が持てたような気がした。
だが、よくよく見れば、目の前に横たわる瀕死の患者は、まぎれもなく我が息子だった。まもなく医師が胸をドンドンと激しくつき、心臓マッサージを始めた。見ている者の呼吸が苦しくなるようだ。
右側をやや下に向けて寝かされた信助さんは、早朝からずっと輸血されている。口の右端から血が流れ続け止まらないので原田さんは、少し湿らせた暖かいタオルを病院から借りて息子の口に当て、その血がしたたらないように押さえた。流れ出す血液が涙のように見えた。
「信助 行かないで!」
そう叫ぶよりなかった。病室内にいた看護士とおぼしき女性が「お母さん、もう終わりにしましょう。こんな心臓マッサージしてたら息子さんの肋骨が折れてしまう・・」
原田さんは、力無くうなずくよりしかたがなかった。
「9時3分です」。医師が原田信助さん25歳の心肺停止を告げた。
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新宿署 痴漢冤罪&暴行&自殺事件
2009年12月10日午後11時ごろ、念願かなって転職した職場の歓迎会の帰宅途中、原田信助さんは乗り換えのためにJR新宿駅の階段を登り始めたところ、直前にすれ違った女子大生が「いまお腹を触られた」と言い、連れの男子大学生二人は信助さんを背後から階段を突き落とし暴行した。
信助さんは携帯で110番通報し、かけつけた警察官によって交番に連れて行かれ1時間半聴取され、さらに新宿警察署に移送(任意同行)された。暴行事件の被害者として話を聞いて貰えると思ったら、痴漢事件の被疑者としての取り調べが数時間に渡って行われたのである。
女子大生の証言と信助さんの服装が違うことなどから、「痴漢の事実がなく
相互暴行として後日呼び出しとした」「乙が現認した被疑者の服装と甲の服装が別であると判明」と「110番情報メモ」に明確に書いて帰宅を許した。
信助さんは、新宿署を出て地下鉄東西線の早稲田駅に向かい、列車に飛び込み死亡した。
ところが、被害者とされる女性の被害届も供述調書もなく、信助さん本人の自白調書もなく、彼の死後49日後の2010年1月29日、新宿警察署は信助さんを痴漢容疑(東京都迷惑防止条例違反)で検察庁へ書類送検(本人死亡のため不起訴)した。不起訴を理由に痴漢事件の記録が公開されず、真相を闇に葬ることができるからである。
しかも、信助さんが暴行事件として110番通報したのが事の起こりなのに、暴行事件の捜査はしていない。信介さんは汚名を着せられたままの状態である。
母親の原田尚美さんは2011年4月26日、東京都(警視庁)を相手取り、1000万円の国家賠償請求訴訟を提起した。これが「新宿署 痴漢冤罪&暴行&自殺事件」であり、支援者らは「新宿署違法捜査憤死事件」とも呼ぶ。
○原田信介さんの国賠を支援する会
○新宿署違法捜査憤死事件
○母親の原田尚美さんのブログ「目撃者を探しています!!」
○原田尚美さんのツイッター@harada1210
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信助さんは、209年12月11日午前6時40分、地下鉄早稲田駅のホームから身を投げた。母の原田尚美さんは毎月、命日の11日に駅で献花している。国賠訴訟を始めたが、まだ息子の無念は晴れていない。 |
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◇念願の転職成功、資格試験の勉強する人間が自殺?
無念の自殺を遂げた信助さんが亡くなった2009年12月11日夜に話を戻す。
呆然とする原田さんだが、哀しみにくれている余裕さえなかった。遺体が霊安室に運ばれると、牛込署の刑事から質問された。
「お母さん、息子さんが自殺するような心当たりはありますか?」
「・・・・」
自殺する理由を刑事に問われても、原田さんは全く思い当たらない。
「大学(早大商学部)を卒業して最初に就職したJAXA(宇宙航空研究開発機構)から、新しい職場である女子美術大学に移りました。もともと大学で働きたいという希望がありましたし、将来は母校の早稲田大学に新たな奨学金制度を創設したいという夢ももっていたんです.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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現在の国賠訴訟弁護団が結成される前に、遺族の原田尚美さんは証拠保全のため、立ち入り調査や110番通報の音声データ提出などを警視庁に求めた。
この文書はその検証調書。裁判官立ち合いのもとで警視庁を訪れて証拠の提示を求めたが、警視庁は裁判官の提示命令を拒否したことが書かれている。 |
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亡くなった原田信助さんのICレコーダー。ここには、すべてが録音されていた。新宿駅西口交番まで連れて行かれてから、新宿署での取り調べ、釈放後に移動して鉄道自殺を図るまでの7時間近くの出来事が録音されているのだ。
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母親の原田尚美さんが息子・信助さんのレコーダーを聞き、メモした文書。新宿西口交番でのやり取り、新宿署での取り調べの概要が書いてある。録音内容と新宿警察署の話が食い違っているとの注意書きが左側に記してある。 |
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母・尚美さん(54歳)は、目撃者を捜すため、事件が起きた新宿駅の現場(写真の階段3~4段目)付近で目撃者捜しをしている。その甲斐あって複数の目撃者が現れた。
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