朝6時、新宿伊勢丹前。女性が整理券を求めて次から次へとやってくる。
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武富士に名誉毀損で1億1000万円で訴えられて3年半。その反撃訴訟(一審)の判決が、いよいよ本日(22日)午後1時10分から東京地裁631号法廷で言い渡される。武富士裁判の行方を3人目に占ってもらったのは、新宿の母。貧乏ジャーナリストに明るい未来はやってくるのだろうか。裁判の結果はいかに?
【Digest】
◇あと数時間後に判決下る、その心境
◇武井本人の責任、謝罪広告を認めるか
◇出版業界の悲観論
◇朝6時に伊勢丹の前へ
◇徳川家康と同じ手相
◇9月から末広がり
◇あれはヤクザ屋さんだからね
◇あと数時間後に判決下る、その心境
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最高裁で確定した東京高裁判決。虚偽の取引履歴を裁判所に提出する過払い隠蔽工作など、14の争点すべてを真実・真実相当と認めた。 |
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あと数時間後に判決といっても、緊張感はほとんどない。なるようになる。そんな心境だ。むしろ、この原稿を判決前に読者にお届けする重圧に唸っている。武富士から1億1000万円を求められていた「武富士残酷物語訴訟」の一審判決があった04年9月16日のときは、緊張で周囲を見渡す余裕もなかった。
大勢の勝負は、このときについたわけだが、筆者は、なぜ武富士が筆者と『週刊金曜日』を訴えたのか知りたかった。反撃の裁判を起こした大きな理由がそこにある。
判決前に裁判所の批判をすると、裁判官の心証を害してしまう可能性があることは承知している。だが、やはり言わざるを得ないことがある。
「武富士は実質、武井商店である。批判を封じるために高額の裁判を起こしたいきさつも、武井氏に聞かねばわからない」
筆者と『週刊金曜日』は裁判が始まった冒頭から、そう主張して武井氏の被告尋問を要求した。これに対し、予想どおりではあったが、武富士側は「必要ない」と抵抗した。代わりに証人として近藤光社長を出すことができるなどと述べた。
ちなみに近藤社長は、武井氏の指示で盗聴された人物でもある。公訴時効が成立していたのと、本人が被害を訴えなかったため事件の詳細は表ざたにはなっていない。
武井保雄氏の尋問を裁判所が採用するか否か裁判の焦点はそこにあったはずだった。ところが、東京地裁は突如、方針を転換して和解を勧告してきたのだ。
負けても負けてもあきらめず、最高裁まで争った武富士である。
「和解はあり得ません。証人調べの準備を進めるほうが、審理は早くなりますよ」
筆者側の弁護団はそう訴えたが、裁判所の歯切れは悪かった。
「まあ…おっしゃりたいことは分かりますが、まあ…判決をさっさと書けと言われればそうしますよ。でも、まあ一応、検討してみてください」
和解協議は双方が応じず、即時決裂。そう予想して臨んだ和解期日。顔なじみの武富士広報部のI社員が、筆者の顔をみるなりいきなり会釈した。彼は盗聴事件のときに、果敢に司法記者クラブに潜入したことで一躍有名になった人物でもある。
毎回法廷で会うたびに、無言で固い表情を貫いていたI社員である。突然の態度の変化に「これは何かある」と直感した。
◇武井本人の責任、謝罪広告を認めるか
案の定、和解のテーブルで武富士は「カネなら払う用意がある。いくらか金額を提示してほしい」と打診してきたのだ。
だが、武井氏と武富士による明確な謝罪がなければ、金をもらっても困る。何回目かの協議の席で筆者側はその点を質した。
「謝罪を明確にする用意はあるのか」
武富士側代理人で、武井保雄氏の盗聴事件の刑事弁護も引き受けた弘中惇一郎弁護士は、首を傾げるようにしてこう答えた。
「法的に…謝罪というのは成り立つんでしょうかね。よく理解できませんが…」
謝罪せずに金だけもらっては誤解のもとだ。和解協議は決裂した。
ここまでくるのに、ほぼ2年近く。ようやく証人尋問の準備に戻れると思った矢先、裁判所はトンデモないことを言い出した。
「人証調べ(尋問)はやらずに、結審します」
武井被告に何ひとつ尋ねずに、裁判を終わるという。
7月28日の結審から10日あまりが経った8月10日、武井氏は76歳で死去した。裁判所が無用な和解勧告などせず、迅速に訴訟を進めていれば武井氏から貴重な証言が得られた可能性もあっただろう。
真相究明に対する意欲が裁判所にはまったく欠けていた。
実は今年5月に、筆者同様に武富士から2億円もの損害賠償請求訴訟を起こされたうえに、ホームページなどで名誉毀損された、ジャーナリストの寺澤有氏が、武富士と武井保雄氏を相手取り、2億円の損害賠償を求める裁判を起こしている。武井氏本人から真相を聞きたいという気持ちは寺澤氏も同じだっただけに、武井氏の死に落胆を隠せないでいる。
以上のような経緯もあって、筆者としてはこの裁判にあまり期待はしていないのが事実である。
武井本人の責任を認めるかどうか。さらに謝罪広告を認めるかどうかが、争点とみられているが、いずれにしても出来る限り真相究明の努力を続けたいというのが正直な気持ちである。
武井氏が亡くなったいま、訴訟は遺族に引き継がれると思われる。判決内容次第では控訴も考えている。せめて武井健晃・代表取締役専務の尋問は実現したいと思う。
◇出版業界の悲観論
さて、銀座の父の「ファイナンシャルアドバイス」に、筆者は大いに刺激を受けた。そうか、これからはインターネットなのか。月1000万円も夢じゃない。
それまで抱いていた出版業界の悲観論が一変した。
筆者の抱いてきた近未来の悲観論とはこうだ。
新聞も本も売れなくなり、出版社は次々に倒産する。頑固なフリージャーナリストは、業界からも政財界からも鼻つまみものとなり、ツキノワグマのように絶滅への道をたどる。生き残るのはトキのような“人間国宝”級か、財産なり夫や妻の収入のある“趣味のジャーナリスト”、そして従順な雇われ人だけ。
さらに、お上や大企業に楯突けばしょっ引かれる時代がやってくる。共謀罪が出来た暁には気に入らない奴はどんどんパクる。小林多喜二のように拷問死して名を残せればまだましで、無名人は東京湾に沈んだままアナゴの餌食となる。まじめな人たちはノイローゼに。インテリが売春や物乞いをして歩く。
しかし金を稼げると聞いただけで、暗い展望はたちまち明るくなる。
「武富士に訴えられて儲ける」を実現できるとすれば、悪くない話だ。
◇朝6時に伊勢丹の前へ
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いよいよ鑑定へ。
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山中“先輩”との占い巡りも、最終回だ。新宿の母。
「銀座の父」の鑑定のあと、続けて見てもらおうと思ったら、新宿の母のホームページに「都合により、8月末日まで(7月中も含む) 街頭鑑定はお休み致します。」と出ていた。
「新宿の母は、ぜったい落とせないわ」と山中”先輩”はずっと言っていた。
「わたし大学のとき、友だちと一緒に並んで見てもらったんだよね。あのとき、整理券なんてなかったわ。何時間伊勢丹の横に並んだかな? そうそう『あなた水商売に向いているわよ』って言われたんだよね。『えーっ、水商売ですか?』って言ったら、『マスコミもそうだから』と母が言っていたんだよね。当たっているといえば、当たっているかも。三宅さんの明るい未来を当ててくれるかしらねぇ(笑)」と先輩。
「新宿の母」の街頭鑑定は、午前6時前後から先着順に伊勢丹角で整理券を配っている。整理券がもらえなかったら、その日は鑑定は受けられない。特別枠もなし。
朝7時だった「銀座の母」よりも早い。
毎週金~日曜日、及び祝祭日、午前9:00~午後1:00(先着順)、鑑定時間10分程度。鑑定料金5,000円(税込)、鑑定場所は、JR新宿駅東口
伊勢丹デパートの角 三井住友銀行横。
「男性お一人の鑑定はお断りしております。女性の同伴が必ず必要です」ともあった。
「朝6時に伊勢丹の前に集合ね」と山中さん。
しかし、筆者は不覚にも遅刻してしまった。先輩が、いまかいまかと待っている。
◇徳川家康と同じ手相
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新宿の母と筆者。
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快晴に恵まれた週末の新宿のビルの片隅に、日焼けしたパラソルが立っている。その脇に10人ばかりの行列。若い女性が順番を確認している。
占いも3度目になると、余裕が出てきた。待つのも楽しい。女性に混じって並んでいても恥ずかしさはあまりなく、むしろ妙な連帯感すらある。
ひとり5分。新宿の母はそれが売りだという。
順番はすぐ来た。秋晴れのせいか、気分もいい。
「お願いしまーす」
5,000円を渡そうとすると、「あとでいいよ」と母はしゃがれた早口で言った。あとは猛烈な速さで鑑定を続ける。
--昭和40年9月…蛇年ね…。
筆者の左手を取ったとたん、母は言う。まるでアップテンポのラップ音楽を聞いているような不思議のリズムを伴った話し方だ。
--ちょっと変わってますね。マスカケ線、徳川家康と
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