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フジ産経と18年闘う松沢弘労組委員長の裁判が山場に 元役員が出廷、親会社関与の「労組潰し」追及

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反リストラ産経労委員長の松沢弘氏。新組合を作って会社に攻撃され懲戒解雇された。しかし18年たった今も裁判で闘い続けている。
 フジサンケイグループに属する日本工業新聞社(現紙名=フジサンケイ・ビジネスアイ)の松沢弘論説委員(当時)は1994年1月、御用組合ではない企業横断労組「反リストラ産経労」を結成したところ、会社側が、ほぼ実態のない新設の千葉支局長ポスト(専任は松沢氏1人だけ、通勤に往復5時間かかる)に配転を命じるなど潰しにかかり、懲戒解雇となった。松沢氏は解雇不当とし、現在は東京高裁にて中央労働委員会の決定取り消しを求める行政訴訟が進んでいるが、昨年末から今年にかけ、最大の山場を迎えた。懲戒解雇を主張した元役員が証言に立ち、松沢弁護団(組合側)の厳しい追及を受けて法廷は緊迫。親会社・産経新聞社による労組潰し工作の一端が、明らかになり始めた。
Digest
  • 「裁判長・・水を、水を一杯いただけますでしょうか」
  • 事前証言をすべて録音
  • 松沢氏への手紙は脅迫状だったのか?
  • 「死ぬ気で解決するようにしなきゃ駄目だ」の意味とは
  • 産経新聞が新労組を認めない方針だったのか? 

「裁判長・・水を、水を一杯いただけますでしょうか」

2011年11月22日、東京高裁第822号法廷。証言席に座るなり、元日本工業新聞社専務・井上保夫氏の口をついて出た最初のひと事は、一杯の水の要求だった。

傍聴席最前列の真ん中に座る筆者の2mほど前に井上証人の背中が見える。74歳とはいえがっしりとした体躯で、短く刈り込んだ頭髪がいかつい印象を与える。この人物が、闘う労組を結成した松沢弘委員長を懲戒解雇すべきと賞罰委員会で主張し、松沢氏の自宅あてに手紙(実質的に警告書、松沢氏は脅迫状と捉えている)を送った人物だ。

法廷内に運ばれた水を飲み干す後姿から緊張が伝わってくる。水を飲む井上証人の背に満席の傍聴席からの視線が注がれた。

松沢氏の弁護団による証人尋問が始まると、さらに緊張が走った。18年間に及ぶ反リストラ産経労事件(松沢委員長インタビュー前篇後編)が大きく山場を迎えた歴史的瞬間を、まず再現する。

萩尾弁護士(松沢=組合側弁護団)
――あなたの発言で「俺が細谷(洋一・日本工業新聞社長、産経新聞社元常務)さんに怒られたけども、松ちゃん(松沢弘)には秘密なんだけども、クビを突っ込むことになったのは、中原(豊・日本工業新聞社常務・産経新聞社からの出向)が、『君が死ぬ気で解決するようにしなきゃだめだよ』と。『お前、何で傍観してるんだ』というようなことをチラっと言ってるのを聞いたからね」とありますね。あなたは、こういうふうに言ったんですかね。

井上保夫証人
「これは、どういう経緯でこういうものを出されるんですか」

萩尾弁護士
――いや、質問に答えてください。あなたが言ったのか。

井上証人
「いえいえ、私は言いません、そういうことは。何回も繰り返し言っていますけれども、私が松沢君に手紙を出したのはですね・・・」。

裁判長
――ちょっと待ってください。聞かれているのは、こういう発言をしたのかという質問ですが、していないという答えでいいですか」

井上証人
「しておりません」

反リストラ産経労の闘争史

1994年1月10日 新組合結成

 2月1日 反リストラ産経労が東京都労働委員会に資格審査申請

 2月4日 反リストラ産経労が都労委に不当労働行為救済申立て

 2月8日 松沢委員長、ほぼ実態ない新設の専任千葉支局長ポスト配転。井上保夫取締役から松沢委員長に「脅迫状」

 9月16日、19日~22日 松沢委員長を賞罰委員会にかけるとの攻撃に抗して、産経グループとして34年ぶりにストを貫徹

 9月22日 松沢氏、懲戒解雇

 9月26日 反リストラ産経労、都労委に松沢氏の懲戒解雇取消求める追加救済申立

1996年5月8日 松沢氏が懲戒解雇の無効などを求め東京地裁に提訴

2002年5月31日 東京地裁、松沢氏全面勝訴の判決

2003年2月25日 東京高裁が逆転敗訴判決

2005年12月6日 最高裁が高裁判決を追認

2006年12月6日 都労委が反リストラ産経労に不当労働行為救済申立棄却命令を交付

2008年5月23日 中央労働委員会が反リストラ産経労の再審査申立て棄却命令を交付

2008年11月18日 反リストラ産経労が中労委命令取消をもとめ、国を相手取って行政訴訟提起

2010年9月30日 東京地裁、反リストラ産経労の請求を棄却

2010年10月13日 反リストラ産経労、東京高裁に控訴

2011年2月8日 東京高裁で第1回口頭弁論

2011年11月22日 第6回口頭弁論 井上保夫・元日本工業新聞社専務が法廷で証言

2012年1月19日 第7回口頭弁論 組合側弁護団、さらに証人採用を申請

2012年3月1日 第8回口頭弁論 東京高裁第822号法廷

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行政訴訟の東京地裁判決を批判する声明文。控訴審の最大の山場を迎えている。

事前証言をすべて録音

いま示した質問と答えの意味を解説しよう。「反リストラ産経労」の結成は、松沢弘氏が所属していた日本工業新聞社(フジサンケイグループ)のみならず、産経グループ全体で大問題となった。とりわけ産経新聞社は、御用組合以外の労働組合結成をゆるさない方針を堅持している。

その産経新聞から天下った細谷洋一社長や中原豊常務らが、子会社・日本工業新聞の役員だった井上証人(労組結成直後は日本工業新聞社の取締役営業局長のちに専務)に「死ぬ気で解決しろ」と迫った。親会社である産経新聞社が深く関与していたことは、この労働事件の重要なポイントだ

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井上保夫証人から松沢弘委員長の自宅に送られた手紙[1994年2月8日)。新たな組合をたちあげて活動しようとする松沢氏にたいするこの手紙を「脅迫状ではないか」と松沢氏は批判する。

会社側は松沢委員長を呼び出し、賞罰委員会にかけた。松沢氏一人に対して経営陣が取り囲みまるで監禁されたような状態。松沢氏の右後ろに陣取った産経新聞東京本社総務局長の村島正敏氏が全体に睨みをきかせ、“魔女裁判”を事実上指揮していたという。この図は、松沢氏本人が当時の状況を振り返って描いたもの。1994年9月19日。この三日後に解雇通告を受けた

松沢氏に送りつけられてきた懲戒解雇の通告書。労使一体となった御用組合の産経労組改革を通じて社内民主化を進めようしてきた松沢氏らを、会社は20年以上にわたって激しく攻撃してきた。産経労組を追放された松沢氏らが、マスコミ界初の合同労組「反リスラ産経労」を結成して、新たな抵抗運動を展開したことで、会社は「産経新聞グループ3社トップの意思だ」として、ついに懲戒解雇に及んだ。

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DrFaust2012/03/15 13:30

日本の司法制度は、ユーザビリティとパフォーマンスが最悪。

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xyz2012/11/04 13:14会員
黒藪様2012/02/20 05:17
hk2012/02/17 19:07
林克明(筆者)2012/02/17 15:28
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次回口頭弁論2012年3月1日(木)午前11時 東京高裁822法廷

フジテレビ・産経新聞の真相
松沢弘氏の著書『フジサンケイ帝国の内乱』(社会評論社)