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夢抱き上京した19歳青年が自殺――ミスすると監視役が殴り謝罪金を要求する、大手ポスティング業者の闇

情報提供
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マンガ家になる夢を持って九州から東京に出た直後、わずか19歳で自死した松原篤也さん。ポスティングのアルバイト先から「注意」されており、関連が疑われている。3年がすぎたいまも愛犬が篤也さんの帰りを待っているという。(遺族提供)
 マンガ家になりたい、と九州から上京したばかりの松原篤也さん(19歳)が、東京湾で水死体となってみつかったのは、2012年12月24日のこと。遺書から、自死とみられる。アパートを借り、「ケイ・アンド・パートナーズ」という会社で、1枚2円のチラシ配布のアルバイトをはじめたばかりだった。悲嘆にくれる家族の前に、同じ会社に勤務経験のある青年が現れ、体験を語った。「不正をしたと言われ、殴られた。親に数百万円を請求する、とも…。こわくなって逃げた」。篤也さんも死の直前、不正をしたとして監視役の社員に注意され、会社に来るよう指示されていた。「禁止物件に投函」等のミスをした場合に謝罪金まで請求するという契約書も結ばされていた。ただの「注意」だったのか――疑念をふくらませた両親は昨年11月、ケイ社を相手どり、損害賠償請求訴訟をおこした。「息子の身に何があったのか真相を知りたい。情報提供を」と両親は訴える。(末尾で「弁償金・謝罪金」条項の入ったケイ社の配布業務委託契約書をPDFダウンロード可)
Digest
  • 悲しいクリスマス
  • ケイ・アンド・パートナーズ社
  • 監視役の社員から「注意」
  • 奇跡的に動いた携帯電話
  • Mさんの証言
  • 「問題はないと思う」とケイ社

悲しいクリスマス

 12月25日午後1時すぎ、傍聴席を満席にした東京地裁709号法廷で、松原篤也さん(享年19歳)の両親がおこした裁判(平成27年ワ27903号事件)の第2回口頭弁論が開かれた。裁判長と原告・被告双方の弁護士が言葉を交わし、審理を進める。原告席の両親は、高ぶる感情をおさえるように、たびたび下を見つめた。

 被告は、株式会社ケイ・アンド・パートナーズ(本社・東京都新宿区高田馬場、金汶浩社長)。篤也さんが亡くなる直前までアルバイトをしていたチラシ配布の会社だ。ホームページによれば、一ヶ月あたりの配布数は約1500万枚。年間6億円の売り上げをたたき出しており、「実績No.1」とのことである。

 同社に対して両親は、社員の行きすぎた叱責により息子を自死に追いこんだなどとして、慰謝料など約5000万円の損害賠償を請求している。被告のケイ社は、全面的に争うかまえだ。

この日は、原告側が求釈明(相手方に事実の説明を求める民事訴訟の手続き)を行って閉廷した。次回口頭弁論は2月12日午前10時15分、東京地裁709号法廷で開かれる。

「息子が見つかったのがクリスマスのこの時期ですので…思いだしてしまって…きついです」

閉廷後、両親はそう言って目をうるませた。

3年前の2012年12月24日、篤也さんは東京湾の、日の出桟橋付近で、水死体となって見つかった。15日ごろ、入水自死したとみられる。九州から東京に出てきて、わずか1ヶ月後の悲劇。父親が振り返る。

「マンガ家になりたいと、友人をたよって東京に出て行ったのが、(2012年)11月1日。子どもが旅立つさびしさを感じながら、親にとっても試練なのだ、と思いました。昨日のように覚えています」

ケイ・アンド・パートナーズ社

東京に着いた篤也さんは、1ヶ月間ほど友人の下宿に居候したのち、12月のはじめから吉祥寺(東京都武蔵野市)のアパートで一人暮らしをはじめた。親からの仕送りとアルバイトで生計をたてながら、マンガの勉強をする計画だったという。そして、アルバイト先として見つけたのが、「ケイ・アンド・パートナーズ」社というチラシ配布の会社だった。

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篤也さんがチラシ配布のアルバイトをしていた「ポスコムズ」(ケイ社の姉妹会社)の募集広告。ケイ・アンド・パートナーズ社に置かれていたバイク。

契約書を交わし、篤也さんが仕事をはじめたのは12月11日。チラシをポストに入れていく、ポスティング業務である。一枚2円の出来高制。受け持たされた場所は、中野や杉並区周辺だった。初日(11日)の夕方4時半、篤也さんは父親にあててこんなメールを送っている。

〈ぶじおわった。明日から本格的にスタート〉

翌12日の夜にも、メールがあった。送信時間は午後8時半。

〈ちょっとつかれてきた。続けられるかわからんけど、来週まで様子をみる〉

遠く離れた九州で、父親は息子からのメールを心待ちにしていた。

「右も左もわからない都会のなかで、田舎者の息子がいっしょうけんめいやっている。そんな様子が伝わってきて、がんばれ、と心のなかで応援しました」

しかし、12日のメールを最後に篤也さんからの連絡は途絶えてしまう。電話をかけても応答がない。異常を察知した両親は、吉祥寺のアパートの大家に電話をかけて息子の安否を尋ねた。15日のことである。大家はおよそ次のとおり説明した。

〈14日夜は部屋の電気はついていなかったので、アパートには戻っていないようだ。部屋の鍵はかかっていない。あわてて出ていったのだろう〉

そして、気になることを言った。

〈15日に「ポスコムズ」という会社の人がアパートに来た〉

監視役の社員から「注意」

ポスコムズとは、例の「ケイ・アンド・パートナーズ」の姉妹会社であり、篤也さんのアルバイト先だった。両親はケイ社に電話をかけ、事情を聞いた。同社はこう説明した。

〈篤也さんは11日からチラシ配布を開始し、14日までやった後、連絡がつかなくなった…〉

そして、同社から「注意」を受けていたことをはじめて聞かされる。引き続きケイ社の説明――。

 ――仕事をはじめて3日目の14日の夜、篤也さんは「配布完了」と会社に電話で報告した。だが、じつは配り終えていなかった。そしてその様子を監視役の社員が見つけ、「注意」したという。配布地域だった中野区のマンションで、この社員が口頭で「注意」を行い、翌15日に会社に行って謝罪するよう指示をした…。

 ケイ社のホームページによれば、配布地域のポストを点検してまわる「チェックマン」「チェックスタッフ」という社員が8人(2014年時点)おり、「品質管理」に努めているという。篤也さんを注意したのは、このチェックマンのひとりだった。

「注意」はあくまで穏やかにしたとケイ社は言う。だが、息子の失踪はケイ社と関係がある、と両親は直感した。不安が募った。警察に捜索願を出し、ひたすら無事を祈った。

10日後の12月24日。結果は、先に述べたとおり、篤也さんは変わり果てた姿になって、東京湾から見つかった。父親が振り返る。

「警察からの知らせで東京に行き、息子に会いました。しばらく、自分がどんな状態かわかりませんでした。電車にのるとクリスマス気分の人たちたたくさんいました。本当につらかったです」

息子はなぜ死んだのか――真相を追う肉親の長いたたかいがはじまった。

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篤也さんがチラシ配布のアルバイトをしていたケイ・アンド・パートナーズ社の本社(東京都新宿区)。

奇跡的に動いた携帯電話

 亡くなった原因と日時は、携帯電話に「遺書」があったことから特定された。12月15日未明ごろに、自死したとみられる。ケイ社の社員に「注意」されてから5~6時間後だ。

篤也さんが持っていた電話機は、10日あまり海水につかっていたにもかかわらず奇跡的に電源が入った。そこに「遺書」と題して、以下の言葉が残されていたのだ

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新生活のために篤也さんが生活用品を買い求めた100円店(東京都武蔵野市吉祥寺)。自死を考えるような理由は、アルバイト以外に考えられないと遺族はいう。

東京地裁の司法記者クラブで、息子を失った悲痛な心情を語る篤也さんの母親(手前)と原告代理人の杉浦ひとみ弁護士。

篤也さんがチラシを配布した東京都杉並区高円寺付近の住宅街。一戸建てが多く、効率は悪かったとみられる。

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jiangmin-alt2016/01/15 02:06

"株式会社ケイ・アンド・パートナーズ(本社・東京都新宿区高田馬場、金汶浩社長)"

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東進校舎長が自殺2016/08/12 23:17会員
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