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「4人に1人」ドイツに移民が殺到するドイチェ・ドリームを実感したゲマインシャフトなガーデン

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シュツットガルト中央駅のてっぺんにはダイムラー社のシンボルマークが回る。ベンツの城下町。

ドイツ23泊、オランダ6泊、機中1泊の、計30泊31日の長旅で、今年の8月は丸々、欧州にいた。EU盟主にしてGDP世界4位の超重要国でありながら、私はこれまで一度もドイツに足を踏み入れたことがなかったので、この機会に時間をかけて周ろう、と考えた次第である。都市はデュッセルドルフ、ハンブルク、ベルリン、ライプツィヒ、ミュンヘン、シュツットガルト、フランクフルト。去年も訪れたオランダはアムステルダムのみだ。

ドイツ・オランダの夏は昼間が長く、21時過ぎまで外が明るいうえに気温20~30度と快適で、街歩きに最適な季節。冬は逆に、昼間が短くなる。ベルリンの緯度(北緯52)は、北海道のはるか北、樺太北部と同じ。東京の夏は、都心でもセミが鳴きわめき、様々な昆虫が飛び交うが、ドイツ・オランダ(大陸北部)の夏は実に静かで、公園はたくさんあって小動物(アヒルやウサギ)はいても、雑多な生き物の力強い息吹は感じさせない。

すべてが人工的。日本の豊かな自然――山があり海があり均等に四季が訪れ多様な生き物がひしめき合って暮らす土地――を、異国に来てはじめて理解した。

移民&クオリティー国家のドイツ

ドイツはGDP世界4位の大国で、3位の日本とは「第二グループ」のトップを争う位置にいる(インドに抜かれる見通し)。もちろん、米中の2か国がケタ違いで抜きん出ている。2018年の一人当たり名目GDPは、日本は26位(3万9千ドル)、ドイツ18位(4万8千ドル)。ようは、人口が日本の三分の二にあたる8200万人ながら、日本よりも国民一人あたり年100万円ほど多くの付加価値を生み出す、“クオリティー国家”である。ほぼ同等の経済力を持つ国どうし、日本と比較しながら旅をするのに最適な国といえる。

ともに自動車を主要産業とする日独であるが、最大の違いは移民比率で、日本が人口の2%なのに対し、ドイツは一世と二世だけで25%もいる。2018年、ドイツ全人口のうち「移民の背景を持つ人々」の比率は初めて4分の1を超え、25.5%となり、前年から2.5%増で、2050万人だという。うち約1350万人はドイツの外で生まれ、本人自身がドイツにやってきた人々。残りが、少なくとも片親が非ドイツ国籍者だった人々(二世)。かなり明確に判別できる、いわゆる「移民二世」までだけで25%超いるわけだから、三世以上を含めたら、もう米国並の移民国家に近づきつつあるわけだ。

ドイツは「移民社会」だが、肌の色や見た目(ターバンやヒジャブを巻くなど宗教的背景)ですぐに判別できるのは、アフリカ系やインド系、中東系、アジア系、トルコ系くらいで、東欧やロシアなどの白人系になると、もはや区別がつかない(欧州人から見たら、日本・韓国・中国が同じに見えるのと同じだろう)。東欧出身者と西欧出身者を見分けるのは難しく、「欧州白人系」としか言いようがない。私が見た限り、この欧州白人系が、都市中心部で7割弱、田舎にいくと8割超、という印象だった。

前出記事の連邦統計局データによれば、移民としてドイツにいる理由は、48%が家族由来、つまり本人の意志ではなく、親(家族)がドイツに来た“巻き添え”含みでドイツ生活を送っているケースだ。意志を持ってドイツにやってきた理由のほうは、①就職(19%)、②亡命(15%)、③研究(5%)、とのこと。当然ながら、仕事を求めて、豊かなドイツにやってくるわけである。

ガーデンのある生活

今回、そんな“欧州白人系移民”の生活の一端を垣間見ることができた。

「ドイツの中流以上の家庭では、ガーデンを持っている家が多いんです。ラズベリー狩りのシーズンなので来ませんか」。現地でお世話になった大学の後輩Nさん(ドイツ人女性と事実婚でシュツットガルト郊外に住む)夫婦が、実家の家庭菜園に招いてくれた。僕は生きた経済や現地の生活に関心があるため、過去の遺物が詰まった博物館や美術館よりも、こうした現場がありがたい。

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シュッツットガルト近郊のベッドタウン(グーグルマップより)。
鉄道駅を中心に住宅地が広がり、その外縁から畑地帯が明確に線引きされて広がる。
図の左下(南西)にポルシェ博物館があり、図の外になるが、右下(南東)5キロほどにメルセデスベンツ博物館がある。
このシュツットガルト一帯にはボッシュの工場も群生し、自動車産業地帯となっている。日本でいう名古屋・三河地区だ。

家庭菜園の場所は、シュツットガルト中央駅から15分ほどのベッドタウンにあり、駅からゆっくり15分ほど歩くと、眼の前に一面の広大な畑が出現する。その臨界線沿いの一角が区切られ、個別に安価な賃料で貸し出されているという。

100平米はあるだろうか。すべてに手入れをするのは大変そうな広さだった。ゆうに10種類以上が栽培されている。無農薬の新鮮な野菜が収穫された。獲れたてのラズベリーが旨い。一角に机と椅子が置かれ、テラスでバーベキューができるようになっている。

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ガーデンにて

都市設計がうまくできてるな、と感心した。航空写真を見れば一目瞭然だが、駅周辺はマンション地帯になっていて庭はないが、通勤・通学・買い物など日々の生活には集約されているほうが便利だ。週末は少し歩いて、菜園で過ごす。

霜降りでグチャグチャになっている日本の地方都市と異なり、住居生活地帯と田畑田園地帯の線引きがはっきりしている。

ラテン系なドイツ人もいた

土曜ということで、たまたま、お隣さん家族も家庭菜園地帯に来ていて、そちらで飲み食いしていけ、という。お邪魔させて貰うことになった。プラムの実が沢山なっていて、そのまま採って食べられる。

たちまち3家族が集まり、宴会が始まる。ドイツ人は外で飲み食いするのが大好きで、街中のレストランも、テラス席から順に埋まっていく。寒い時期が日本よりも長いのに、テラス席にあれだけのスペースが割かれているのが不思議だ。

この人たちは、ずいぶん東にあるルーマニアのトランスシルヴァニア地方から、チャウセスク政権崩壊後に、ほとんど身一つでドイツにやってきたそうだ。それから30年弱。ドイツ経済は日本と違って、この間、東西ドイツ統合を克服し、右肩上がりで生産性をどんどん上げ、平均賃金を伸ばしていった。日本はほとんど横ばいだ。

Nさんの義理の父は、『メルセデスベンツ』を製造するダイムラーの工場に入社して定年まで勤め上げ、60代の今は年金生活という、典型的な成功キャリアを築いた。母のほうは資格を取得し、薬局に勤務していたという。子供を大学まで行かせ(ドイツは完全無料だけど)、娘は公務員、息子は日系大手企業にエンジニアとして勤務で、ともに30代前半で年収900万円ほど。両親は豊かな年金暮らしで7年ほど前から家庭菜園を楽しみつつ、余生を送る日々。

一人あたりGDP1万ドル前後を低迷するルーマニアに、もし留まったままだったら…と考えたら、十分な“ドイチェ・ドリーム”を体現しているのだった。

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デカい天然川魚を丸ごと煮こむ、チョルバ=ciorbă。
一番右が、ダイムラー工場を勤め上げたNさんの義理のパパさん。

同じくルーマニア(首都ブカレスト出身)から来て、電気工事の仕事を今もしているという、腹の出たジャイアン(お隣のオッサン、推定50代)が、自分で釣り上げたというデカい魚を、ぐつぐつ煮込む。このルーマニア風のブイヤベース(チョルバ=ciorbăというらしい)をいただきつつ、強めの自家製ウォッカで乾杯。そしてビールでまた乾杯。陽気な人たちだ。気難しいドイツ人イメージとは全く違う、ラテン系のノリである。

釣りをして、自家農園で野菜果物を作り、週末は友人家族たちに息子や孫を巻き込んでバーベキュー。隣人の息子が友人を連れて来たら歓迎し、自分で釣った魚を煮こんで飲ませ食わせ、乾杯。楽しいに決まっている。

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ワイン用ブドウの樹が木陰を作る。自家製ウォッカを2杯、ビールを2本。テラスで飲む酒はサイコーである。

こういう豊かな生活を伝え聞いたら、大多数がまだ貧しい東欧諸国から豊かなドイツを目指すのも当然だな、と思った。

スマホからブルーツゥースでスピーカーにつなぎ、ルーマニアの音楽を鳴らしつつ、ラテン系のダンスが始まった。ドイツが移民国家であることを実感する。見た目は「欧州白人系」で区別がつかないが、いろんな人たちが融合して、今のドイツがあるのだった。

それというのも、この地域にポルシェやベンツといった、世界をリードする付加価値の高い自動車産業が繁栄し、雇用を創出しているからこそ、だ。周辺から労働力を取り込みつつ、日本のように長時間過重労働の犠牲を強いることもなく、皆を豊かにして成長してきたドイツ経済の、成果の一端を目の当たりにできた。

一方で、日本とは明らかに異なるドイツ社会の在り方 (短時間労働や、グダグダな手抜きサービス、低レベルな建設や設備…)に、興味は深まる一方であった。

――すばらしく豊かな週末、豊かな引退生活で、羨ましいですね、ご実家は。ゲマインシャフトを体験できました。ありがとうございました。

「たまにならいいんですが、これが毎週のように、ですからねぇ。特に娘婿は立場が弱くて、断れないんです…」(Nさん)

確かに、引退生活に毎週付き合わされたら、キツい。月1くらいがいい。

会社がゲマインシャフト化した日本

社会学で出てくるゲマインシャフト (Gemeinschaft)とは、改めて調べてみると、ドイツ語だった。ドイツの社会学者テンニースが提唱した概念で、ゲゼルシャフトの反対語である。

・地縁や血縁などによって自然発生的にできあがった、全人格的に拘束を受ける集団がゲマインシャフト、

・人がある目的達成のために人為的に形成した集団がゲゼルシャフト、

である。(高橋俊介著『プロフェッショナルの働き方』より)

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今日の日本人の仕事観がどのように形成されてきたのかは私の興味分野なので、同氏による10年前の講義資料も手元に保存していた(右記、BBTの番組より)。

■産業化によって、ゲマインシャフトから会社という利害関係に基づくゲゼルシャフトに移行すると考えられていたが、中央集権農本主義の幕府による農民システム重視と、明治維新の富国強兵を目指した庶民の武士化の時代を背景に、日本では戦後会社がある意味ゲマインシャフト化してきた

戦後の日本企業はゲマインシャフトそのものだった。そしてこの考えは、ZOZO(『社員は家族』と言って21年間やってきた)のようなベンチャーから、京セラのようなゴリゴリの大企業まで、日本社会に浸透している。トヨタ自動車のように、工場対抗の駅伝大会(世界中から参加させる)やバーベキュー大会を会社ぐるみで開催しているような企業は、典型的なゲマインシャフト企業といえる。

そして、ここが重要なことだが、おそらくドイツ企業は、テンニースの理論のとおり、企業はゲゼルシャフトなのであって、ゲマインシャフト化しなかった。その結果、このような「ルーマニア出身」という地縁に基づいて3家族が自然に週末に集うような、豊かな本当のゲマインシャフトの風景が、いま目の前にあって、私を歓迎してくれているのだった。

この点について気になったので、後日、Nさんに、パパに聞いてもらった。

「ダイムラーでそういった会社ぐるみのグリルパーティとかマラソン大会みたいなのは、全くない。従業員で、トルコ系、ギリシャ系、ルーマニア系などのコミュニティーや集まりを作ることがあっても、会社で何かイベントをするってのは、まずない。会社組織がゲマインシャフト(Gemeinschaft)になることはまずない、会社はあくまで会社で、割り切っている」とのことだった。

 トヨタとダイムラーの180度違うところがよくわかったのは収穫だ。

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