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続・戦争展示の意義――「博物館は加害国内に」「被害側視点の情報を加害側も共有」、情報ギャップを埋める複眼思考ソリューション

情報提供
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『ベルリン・ユダヤ博物館』の『ホロコースト・タワー』
 戦時下の悲惨さを後世にどう伝えるかは、学生時代に「戦争展示の意義」と題してカンボジア(KILLING FIELD、ツールスレー博物館)とベトナム(戦争記念博物館)を見て書いている。就活が6月の青田刈りで内定し翌年4月から記者をやることになり、当時は8月にも再び正規試験を形式的に受ける二重構造で(青田28人、正規ルート2人だった)、そういう意味のない机上作業を新聞社がやることに反対だったこともあり、人事部長に「なるべく現場を見ておきたい、レポートは出す」等と伝え旅に出た(リンク先記事含め10本ほど出した)結果、配属が一人だけ東京から一番遠い博多の西部支社になり、「おぅ、アジアに少し近くなったじゃないか!」と人事部次長から嫌味を言われたのは懐かしい思い出である。
Digest
  • やられた側の「やられた情報」ばかり
  • ギャップを埋める複眼思考ソリューション
  • 日独で180度違う、日本の絶望的な「反省のなさ」
  • 明確な「加害者としてのドイツ」

やられた側の「やられた情報」ばかり

以下、その抜粋だ。文中も触れている通り、ドイツのナチ展示はいずれ見に行くつもりだったが、あれからずいぶん時が経ってしまった。

こういった博物館は、世界中、至るところにある。広島の原爆博物館も同様だ。やられた方は、その苦い経験を忘れまいと、必死に残そうとする。朝鮮に行けば日本統治時代の残虐行為が展示されているし、おそらくはイスラエルに行けばナチスの残虐行為を展示しているのだろう。(中略)

問題の本質は「やった側」の子孫と「やられた側」の子孫で、その展示を見る割合に大きな開きがあることだ。やられた側の「やられた情報」が圧倒的に多いのである。私は広島には修学旅行で強制的に見に行かされたが、朝鮮には行っていない。アメリカ人で原爆ドームを見学した人はごくわずかだろう。自国民に都合の良い情報しか、子孫に伝わらない仕組なのだ。(中略)

悲劇を2度と繰り返さないためには、やった方がより多く見なければならないのは明白。然るに現実は、やった方に情報が行きにくいような情報操作が成されている。国民は無意識のうちにイニシエーションを受け、潜在意識下に自国民の被害者意識だけを植え付けられる。(中略)

 誰だって、戦争を繰り返したくないと願うし、そのためには自国が行った戦争の悲惨さを知るべきであるのに、この合理的な選択肢は政策として実現されていない。(ドイツではナチをどう展示して自国民に知らしめているのか、是非とも見に行きたいと思う)

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カンボジア・プノンペン近郊の『キリングフィールド』(ポルポト政権による処刑場)。当時、まだ人骨や歯が残っていた。

この問題意識は、今も変わっていないどころか、昨今の外交上の「日韓関係」のこじれまくりを見るにつけ、むしろ強まっている。

韓国人と日本人で、事実関係、その認識や捉え方、間違いも含め、圧倒的な情報ギャップがあることが、その根底にあると思うからだ。

韓国側は、1910年の韓国併合から1945年8月15日の光復節に至る「やられた情報」を韓国視点で教育されている一方、その情報を日本人は知る由もなく、日本の教科書におけるそれは、ほとんど字面だけの1~2ページで、「創氏改名」「従軍慰安婦」「徴用工」といった世界史の穴埋め試験へと矮小化されている。

ギャップを埋める複眼思考ソリューション

日本人が義務教育課程において韓国の「独立記念館」(ソウルから約1時間の「天安」にあるらしい)まで赴くのは物理的に無理があり、歴史のとらえ方も双方では異なってくる。そこで、ソリューションとしては、両国それぞれが主催する形で複数回、「やった側(日本)」の国において、メッセのような場所に「やられた側」の博物館を誘致して、閲覧させる方策が考えられる。美術品が世界中の美術館に遠征して展示されるのと同じだ。

日本の視点からも、同様に閲覧させる。そのうえで、クラスで議論させる。それを、義務教育で世界史の単位とする。それが無理なら、双方、別々の主催によるビデオ授業を受講したうえでディスカッションを行う。こうした複眼思考にもとづくソリューションは、IT技術の発達で、ローコストでネット上に整備可能だ。

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パールハーバーのアリゾナ記念館(2014年訪問)。いまも日本軍の奇襲攻撃によって沈められたままとなっている戦艦アリゾナ号の上に建てられた記念館で、そこまではボートで行く。一緒に行ったグループには日本人はおろかアジア系すらおらず、そのなかで日本軍の悪行を延々と説明されるわけで、「圧倒的なアウェイ感」があった。これが重要なのである。

これを、「やられた側(韓国)」でも同様に実施する(日本視点の歴史を教える)。すると双方の視点を持つことになり、理解は深まる。両国が、義務教育において、この複眼視点教育を実施すると、情報の溝が埋まり、単純な嫌韓・嫌日は減り、近隣国どうしの長期的な国益につながる。

真珠湾のアリゾナ記念館も訪れたことがあるが、やはり見に来ている人は、やられた側の米国人とみられる人々がほとんどで、加害側の日本人はほとんど行かない。勝ち目のない戦争を始め、奇襲によって2403人の命を奪った日本軍の悪行を説明され、日本人として「圧倒的なアウェイ感」を抱くわけであるが、これでは、やった側とやられた側の情報ギャップは拡大していく一方だ。米国は日本の国土を攻撃していないのに、日本が最初に攻撃を仕掛けて開戦した。原爆が正当化される理屈も、わからないではない。真珠湾攻撃は、日本人こそが知らなければいけないが、日本国内にその施設はない。

ただでさえ人間は、生まれ持って差別心を持っているため、幼い子供ほど、自分と異質なものをイジメる。小中学校でイジメが発生する1つのパターンだ。外国人差別、人種差別、マイノリティ差別の根源もすべてここにある。これが学校での歴史教育によって情報ギャップが拡大し、マスコミの過度な商業主義(嫌韓特集)と政治家のプロパガンダでさらに拡大してしまっているのが現状である。

米国において、一般人に比べて新聞記者にはリベラルな人物が多いことが知られているが(だから新聞は反トランプでも、トランプは当選)、それは教育を受けた高学歴者が記者には多いからだ。

後天的な教育によって、差別の間違いを知り、バイアスがかかった情報を是正し、ギャップを埋めていかない限り、両者の溝は埋まらない。人間には生まれ持って差別心が備わっている。単純な右翼は、未熟な子供のまま適切な教育を受けずに大人になってしまっただけなのである。

物事には両面があるわけで、双方の視点を持つことは極めて重要であり、それがディベート教育(日本では全く未導入、今年亡くなった京大客員准教授の瀧本哲史氏が力を入れていた)の基本的な考え方でもある。現状、それぞれが一方向的な情報をインプットされ、相手の持つ情報は知らな過ぎるから、いつまでたっても日韓はこじれたままなのだ。

日独で180度違う、日本の絶望的な「反省のなさ」

さて、今回のドイツである。ベルリンでは、ナチス時代に反ヒトラー運動を行っていた人たちが捕えられ処刑された刑務所(『プレッツェンゼー記念館』)、『ユダヤ博物館』、『テロのポトグラフィー』(ゲシュタポと親衛隊の本部跡)を見てまわったが、実に潔いもので、「加害者としてのドイツ」を忘れない、反省の施設がいくつも整備されているのだった。

「加害者としての日本」を忘れないための施設が、日本にあるだろうか?外国に対して以前に、国家権力が20歳前後の自国民をミサイル代わりに使った『神風特別攻撃隊』や、その魚雷版である『回天特別攻撃隊』についてすら、世界史上で例のない圧倒的な残虐さにもかかわらず、国として博物館を整備することなく、「臭いモノに蓋」という態度だ。元特攻隊員が個人で資料を集めた『知覧特攻平和会館』(現在は南九州市が運営)があるそうだが、ほとんど知られておらず、修学旅行先にもなっていない。

慰安婦問題や徴用工問題についても、大半の日本国民にとって、知見を得る場所がない。中国(満州)で人体実験を行った『731部隊』に至っては、京大・東大などの名だたる医学者が巨額の報酬に釣られ人体実験に加担したものの、戦後、主犯格が裁かれることもなく、逆に帰国して出世していた(NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」)。戦後72年もたって、やっと新証言や新資料が出てくる有様で、国としては事実を調査もせず、曖昧なままにしている。

日本は、自国民および外国人に対する両面において、その極悪非道ぶりが世界史上、少なくとも質の面でナチスとNO.1を争うレベルのえげつなさだったにもかかわらず(量の面は原爆が最悪だ)、後世にその事実を伝え反省するための資料館や博物館を戦後、一切つくっていない。被害側(広島平和記念資料館、東京大空襲戦災資料センター…)も重要だが、加害実態を後世に伝え反省する施設が必要だ。

しかも、『沖縄県平和祈念資料館』のように、国家によって捨て石とされた沖縄の被害(激しい地上戦で人口の4人に1人が亡くなった)を伝える資料館が被害側の沖縄県(糸満市)にある、という二重構造にもなっている。これが東京の大本営(加害側)でも展示されているならよいわけだが、延々とくすぶり続けている、米軍基地負担をめぐる「東京―沖縄」の感情的なこじれも、この情報ギャップから来ている。どれだけの日本人が、沖縄戦における被害側の悲惨さを理解しているだろうか。

明確な「加害者としてのドイツ」

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『プレッツェンゼー記念館』(ナチ時代の刑務所で今も現役)。僕があの時代にドイツに生まれていたらここに収容されていたと思われる。ナチへの反逆者に合掌。

ドイツ・ベルリンには、加害側としてのドイツを後世に伝える施設が、沢山あった。様々な理由をこじつけ侵略戦争を正当化し美化する勢力が存在する日本とは対照的に、ドイツにおけるナチスは、議論の余地なく絶対悪であり反省の対象であることがわかった。

『ユダヤ博物館』では、定番ともいえるアウシュビッツからの手紙や、苦難の時代を生き抜いたユダヤ人たちの写真が展示されている。

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『ホロコースト・タワー』

出色だったのは、アート作品として表現されている『ホロコースト・タワー』という小部屋だ。これは、度肝を撃ち抜かれた。

バタン!と重い扉が閉まると、たまたま自分1人になった。シーンとした空間に、見上げると天井高く真っ暗な天井が見え、わずかな光が差し込むのみ。

『ドキッ』という感情が走り、逃げ場のない恐怖を感じた。ああ、収容所のユダヤ人の「閉じ込められて逃げ場がない感」がよく表現されてるな、と思った。否が応でも人の心を動かす、実によくできた作品である。アートの国・ドイツらしい。

より残虐な資料写真は、『テロのポトグラフィー』という歴史博物館のほうに、これでもかというくらい展示されていた。

こちらは予想どおりで、地上波の放送コードに引っ掛かりそうなエグい写真が多い。その日の夜は、朝まで寝付けなかった。

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ナチスドイツによるユダヤ人虐殺、民族浄化のおぞましいファクトが展示されている。東京に、この種の「加害を忘れないための展示」がなされている博物館はない。

そこには、日韓のような情報ギャップは微塵もないように感じられた。手加減がなかった。ドイツ国民はイスラエルまで行かずとも、身近に、先人による加害情報を得られる。ユダヤ人から見たら不足があるかもしれないが、第三者である日本人が見た感じとして、かなり十分なレベルだった。

こうした、事実を直視する博物館が首都ベルリンにあることが重要なのだ。では東京には、何がありますか?という話である。ゼロ。あれだけの、国内外に対する極悪非道な手法によって、侵略戦争を国家権力の名において行っておきながら、その大本営参謀本部が設置された東京・市ヶ谷には、何もない。その最高権力者(昭和天皇)は裁かれることすらなかった。

この彼我の違いは、本質的に恐ろしい。いずれ世代が変われば、日本は歴史を忘れ、ふたたび自国民をミサイルにして他国に迷惑をかけるような侵略戦争を繰り返すのだろう、と思わざるをえない。

 その唯一ともいえる歯止めは、現状では憲法9条くらいであり、その憲法に一行でも修正を加えるのならば、大前提として、まずは一にも二にも「事実を直視した戦争反省博物館を東京に作ること(もちろん731部隊から特攻隊、徴用工・慰安婦問題…すべて限界まで調査したうえで)」が先だろう、と強く思うのだった。

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 2019/09/18 13:40
 2019/09/18 13:35
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