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セガEXIT 杉山竜太郎 趣味を続けて起業に成功

情報提供
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ロイロ取締役COOの杉山竜太郎氏
 もともと独立志向があった訳でもない杉山竜太郎氏が自分の会社を設立したのは、2007年4月。それまで大学卒業後8年間ほどは、セガでコンシューマー向けゲームのデザイナーをやっていた。「ゲームよりも、並行して自分で作っていたプロダクツのほうが面白くなっちゃったんです」。社内で新規事業として提案したら通ったかもしれない。だが、そもそもセガはアプリケーションソフトを作っておらず、セガへの未練も特になかった。
Digest
  • 客の反応が分からない
  • 趣味の活動を並行して続ける
  • ストレスで十二指腸潰瘍に
  • 「未踏」で開発費を確保
  • エニックスの企画職を受ける
  • ミドルウェアツールの作り方を学ぶ
  • ダイレクトな反応がある
  • 受託開発を一切、排除
  • ヤケ酒がなくなった

客の反応が分からない

近年のゲーム開発は、役割分担と分業制が進んでいる。セガでは、1ゲームあたり30~50人くらいのチーム制で、次々と作業をこなしていく。

「1~2年かけて死ぬ思いで作ったゲームが、2~3ヶ月しか市場で生きていない。寿命が短いんです。利用者からの感想など、フィードバックもほとんどないまま、次の開発プロジェクトに投入される。客に届いて、客の反応が分からないまま次に行くから、モチベーションにつながらない」。仕事の手ごたえがないのだ。

セガの場合、プログラマー職は40代でもいるが、デザイナー職の40代はほぼゼロ。管理系に行けないと、モバイル系の部門に異動になるケースが多く、デザイン部門で今の仕事を続けられる見通しもなかった。

趣味の活動を並行して続ける

では、どうやって食べていくのか。杉山は大学時代から、趣味でビジュアルジョッキー(VJ=クラブやイベントで映像演出を行う人)のためのソフトを制作しており、セガで働きながら、書道家の武田双雲と一緒にイベントを開催するなどしていた。これは、単に文字を描くだけでなく、山などの情景、燃える様子、ポエムを入れる、などの凝った演出をするものだ。

社内の人たちもその活動をよく知っていたため、「そちらをやめない限り、正社員にはしない」と会社側からは言われていた。杉山は入社時より、会社と業務請負契約を結ぶ個人事業主だった。もちろん、趣味の活動をやめるつもりはなかった。

ゲーム業界は特定分野のプロがプロジェクトごとに集められチームを組む。正社員はプロジェクトによっては半分くらいで、残りは業務委託者が多い。杉山は映像のプロフェッショナルとして業務委託を受ける形だったが、事実上、出勤時間も拘束され、社員同様に働いていた。

杉山が働き始めた1999年、セガはリストラ対象者に対して、人事部の許可がなければ外出することが出来ない窓なしの部屋に待機させ、その部屋に入れられて解雇された元社員が不当解雇撤回などの仮処分を申し立てる事件があった。セガは雇用問題でトラブルが多く、請負から正社員になっても状況に大差はない。トラブルを避けるため、セガは、非正規化を推進していた。

業務請負は正社員でないため、成果がなければ真っ先に切られる。現場に競争が生まれるという良い面がある一方、セガの中では、正社員と同じく上司の事細かな指示を受け、指揮命令系統から自由はなく、「偽装請負」と言ってよかった。

ストレスで十二指腸潰瘍に

毎日の労働時間は、朝から夜遅くまで。帰りの電車では、周りのサラリーマン連中は酒臭かったが、自分は過重労働で陰気臭かった。ストレスから十二指腸潰瘍にもなった。「それで、人生変えなきゃ!と思ったんです」。状況を変えるべく、セガ7年目の2005年ごろには動き出していた。

2006年1月ごろ、スペシャルエフェクトの仕事でオーストラリアに営業に赴く機会があり、うまくいけば現地で職を得て、そのまま仕事をすることも模索した。また、CMディレクターをやりたかったため、広告業界への転職も考えた。このころは、海外か国内か、業界をまたぐ転職をするか、迷っていた。

そんななか、セガとの契約は続けたまま、趣味のVJソフト開発で審査を通り、2006年5月、SIVの現在のオフィス(慶應藤沢イノベーションビレッジ)に入った。賃料は月14万8千円だが、藤沢市がベンチャー支援の名目で、半分助成してくれる。安価にオフィスを借りられ、独立に一歩近づいた。

同年には、VJの技術を活かしたアニメのプラグインソフト「スムース」を発売(1本19000円)。もともと無料公開していたため、有料化したら「2ちゃんねる」で炎上したが、ほとんどのアニメ会社が買ったほどの人気となった。

「未踏」で開発費を確保

その年の12月、情報処理推進機構(IPA)の未踏ソフトウエア事業に採択される。テーマは「一億総放送局化を実現するノンレンダリング映像ソフト“回向”開発」。これで2007年8月までの開発費が確保された(計900万円)。結局、開発成果が認められ、IPAの「スーパークリエータ」認定を受けることになる。

翌2007年1月には、マイクロソフト(MS)の支援事業にも採択され、MSとのアライアンスが始まる。これで、MSのエンジニアから一目置かれる存在となり、「ヴィジュアルスタジオ」などの開発ツールやOSが無償提供されることに。


右は弟の杉山浩二社長。2001年工学院大学卒業、ポリゴンマジック入社。2003年バンダイナムコゲームス入社。2007年ロイロ代表取締役に就任。

安価なオフィス、開発費、そして業界での知名度も獲得し、もはやセガとの契約は必要なくなった。2007年2月、セガを完全に離れ、4月にはLoiLoを設立。

ポリゴンマジック株式会社を経て、バンダイナムコゲームスで契約社員としてプログラマーのキャリアを積んでいた弟の浩二氏を社長とし、自らは製品プロデュースに専念できる体制とした。


エニックスの企画職を受ける

杉山は小学2年で「ファミコン」、小学5年で「PC88」を買ったゲーム世代。日本大学芸術学部に在籍していた当時は、ネットゲームにはまっていた。一方、弟の浩二はプログラミングが得意だった。大学時代は兄弟でゲームを楽しんだ

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