高島屋横浜店の地下食料品売り場。店員が試食をよびかけているあたりで河野氏はA子さんとすれ違いざまにぶつかった。被害を主張するA子さんもB子さんも、まわりに人がおらず、河野氏しかいなかったと供述している。
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横浜地裁は8月30日、痴漢の有罪判決を受けて懲戒免職された元公立高校教諭・河野優司氏(59歳)の処分取消の請求を棄却した。2006年1月15日、河野氏は高島屋横浜店地下でアルバイト中の娘の様子を見ようと売り場を歩行中に痴漢と間違えられて逮捕・起訴された。横浜地裁は懲役4月執行猶予2年の判決。東京高裁は原判決を破棄し、罰金40万円の減刑判決だった。最高裁の上告棄却で07年11月に有罪が確定し、懲戒免職処分で失職、教員免許も奪われた河野氏は、市教委の免職処分取り消し等を求めて10年9月、行政訴訟を提起していた。誰の身にも降りかかる可能性がある「物証ゼロ・目撃ゼロ」で有罪確定した疑問だらけの痴漢冤罪事件を検証する。
【Digest】
◇「このまま突き進んだときの結果を考えると恐ろしい」
◇デパ地下ぶつかっただけで痴漢犯に
◇取り調べ2時間のみ、微物鑑定未実施、調書隠蔽
◇高裁判決後に発覚した新事実と「現場感覚」
◇議事録も残さず判決文等の資料も提出せずに懲戒免職を決定
◇東京高裁判決は「職を失うのはいささか酷に過ぎると思われる」
※記事末尾に刑事裁判の上告趣意書PDFダウンロード可
(7~8、11~12頁に重大な新事実の記載あり)
◇「このまま突き進んだときの結果を考えると恐ろしい」
8月30日午後1時10分、横浜地裁502号法廷。満席になった傍聴席、法廷外では入りきれない傍聴希望者が待機する中、阿部正幸裁判長は「訴えを棄却する」と小さな声を発し、判決要旨も読まず退廷した。
傍聴席の後ろから「要旨を読め」とぼそっという声が聞こえ、ほとんどの人は、すぐには席を立つことができず、数十秒間、その場に座ったままだった。
弁護団と支援者らは裁判所となりの横浜弁護士会館に移動し、報告集会が行われた。
判決を受けた河野優司氏は、表面的には、すっきりと穏やかな表情に見える。彼は、集まった支援者らにまず謝辞を述べ、次のように語った。
「私は控訴しません」
この一言を聞いた人々のなかから、ため息のようなものが漏れた。もちろん本人の意向が最優先されるが、弁護団や関係者と話し合った後、控訴するか否か決定される。9月13日が控訴の期限だ。集まった人々を前に現在の心境を彼はつぎのように話した。
「日本は法治国家だと私は思っています。判決を受け入れざるをえないと考えています。仮に私が死刑判決を受けても同じです。
しかし、私だけが法治主義を唱えても他の人がそうでなかったらどうなるのでしょうか。たとえば、教育委員会に対して、あなたたちは本当に法治国家の一員なのでしょうかと問いたいです。
処分決定の会議の議事録さえ残さない。処分を決定した教育委員の会議で(東京高裁の)判決理由すら読んでいない。せめてこういう重要な証拠を読んでから決定を下すべきではないでしょうか。
おそらく皆さんは、なぜ控訴しないのかと言うでしょう。でも、今の裁判は裁判官次第で決まってしまうのです。『裁判官Who's Whow』(現代人文社)の編著者の池添徳明(フリージャーナリスト)さんのツイッターでも、ろくでもない裁判官が99%、それが言い過ぎなら90%と書かれています。いい裁判官に当たらなければ、きちんとした判決が得られないです。
東電OL殺人事件の冤罪者ゴビンダさんも『いい裁判官、わかってくれる裁判官に出会った』と言っています。ということは、出会わなければ今ごろまだ獄中にいたということなんです。
私が控訴してまた負けたとすると、最高裁に上告、それで棄却されたら今度は再審となるんですか? いったい何年かかるのか? そして最後の最後で蹴られたらどうなるのか?
おそらく、自分なりにけじめをつけることになる。そうなるのが恐ろしいから私は控訴しないのです」
冷静に、穏やかに、かつ明確に河野氏が率直な心情を述べたのだが、廊下まであふれた集会参加者たちは、沈黙するのみで言葉を返せなかった。
実は弁護団は、かなりの確率で勝訴すると読んでおり、この裁判で勝てないなら、いったい誰がどのように勝訴できるのかというくらいだったのである。日本の犯罪捜査や裁判の信頼性が揺らいでいる危機的状況を少しでも知ってもらうためには、いまここで二つの点を明らかにしなければならない。
ひとつは、河野氏が巻き込まれた痴漢事件の捜査と裁判の顛末。もうひとつは、確定有罪判決を理由に懲戒免職処分を決めた横浜市教育委員会の問題点である。まずは、痴漢事件そのものを振り返ってみる。
◇デパ地下ぶつかっただけで痴漢犯に
判決の2週間ほど前の8月中旬、河野優司氏と待ち合わせ、事件現場とされる横浜高島屋の地下食糧品売り場へ向かった。正面入り口から入り、エスカレーターを降り、あの日とまったく同じコースである。
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事件現場見取り図。①がA子さんとぶつかった場所、②がB子さんと接触したとされる場所、③はB子さんが河野氏の腕をつかんだ場所。左は河野氏の手書きによる説明図 |
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「ここで、女性とぶつかりました。ショルダーバッグにはカードなど貴重品があり、人込みなので一応バッグを守るような形で歩いていると、女性と肩が少し強くぶつかったのですが、普通なら『すみません』の言葉が出たかもしれません。しかしその日は、そのまま通り過ぎてしまったのを覚えています」
2006年1月15日午前10時40分ごろ、河野氏は右肩が女性とぶつかり、そのままおよそ10メートルも離れないところで、突然「あんたでしょ、触ったでしょ」とものすごい怒声をあびせられて、ぶつかったのとは別の女性に腕を掴まれた。
これがすべての始まりだった。検察が書いたストーリーは、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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2012年8月30日、行政訴訟の判決文。一刀両断で、原告側の主張をまったく受け入れなかった。 |
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河野氏が提出した陳述書。問題点も整理されており、心情もわかる。 |
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「河野さんの冤罪を晴らし職場復帰を実現させる会」の飯田洋代表が書いた幻の勝利声明文。弁護団は充分にありと見込んでいた。これで勝てなければどの裁判も勝てないという意気込みであった。 |
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(上)東京高裁の判決文の一部。職を失わせるのは酷とまで記述している(2007年4月23日)。(下)高裁判決直後に、新たな重大事実がわかって上告趣意書を提出したが、最高裁は上告を棄却した(2007年11月6日)。 |
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