同人誌の出版社「ふゅーじょんぷろだくと」の才谷遼社長。才谷社長は、自殺した松方美穂氏(仮名)が辞めたいといっていたのに辞めさず、自殺前日には松方氏がしくしくと泣いているにもかかわらず、飲酒して時に怒声を浴びせながら4時間にわたり説教した。NPO法人日本映画映像文化振興センターHPより
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同人誌出版社『ふゅーじょんぷろだくと』編集者の松方美穂氏(仮名、自殺時26歳)は、社内の内紛に耐えられず退職したが、半年後に主要スタッフが一斉に抜けたため、急遽、同社社長の才谷遼氏に事実上の編集長になるようしつこく請われた。松方氏は意中の出版社の採用試験を受けていたので2か月間だけ暫定的に働くことを応じた。その後、望んでいた出版社「雑草社」の採用が決まった。しかしそこは才谷氏と遺恨のある会社だった。松方氏は社名をいわず去りたかったが、才谷社長が一向に辞めさせず、松方氏は内緒で兼業するハメに。こうして月147時間の時間外労働のなか、ついに才谷社長が兼業を知り、松方氏に4時間の説教を続けた。その半日後、松方氏は自殺した。
【Digest】
◇中学から愛読していた同人誌の編集を担当
◇社長に言っても辞めさせてもらえず望まない兼業に…
◇「高尾山で遭難したり失踪したりする計画を立ててました」
◇才谷社長に兼業発覚「つらい。しんどい。逃げたい」
◇自殺前日に酒を飲んで4時間説教し続けた才谷社長
◇実家に帰り自殺
◇社名を報じなかった記者クラブメディア
◇中学から愛読していた同人誌の編集を担当
裁判資料によると、亡くなったのは松方美穂氏(死亡時26歳、仮名)。
遺族である母親の松方弥生氏(仮名)の陳述書によると、松方美穂氏の性格は、明るく、好奇心旺盛で、外交的。話題が広く、何でも積極的に行動するタイプ。友達と旅行に行くときも率先して幹事をやる前向きな子だったという。
そんな松方美穂氏は東日本の高校を卒業後、一浪して都内のM大学の文学部に入学。01年に卒業して、大手ゼネコンK社に事務職として入社した。しかし、その仕事が自分には向いていない、と感じ、約半年で退職した。
それから数か月後の01年11月、松方氏は都内のアニメ出版社「ふゅーじょんぷろだくと」に入社した。
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松方氏が担当していた月刊同人誌「COMIC BOX ジュニア」(現在のCOMIC Be)。画像は、ふゅーじょんぷろだくとHPより |
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ふゅーじょんぷろだくとは月刊同人誌「COMIC BOX ジュニア」(現在はCOMIC Beに改名、以下「ジュニア」と表記)や、毎月発売のコミック「アソロジー」などを発行する会社。オフィスは東京都杉並区阿佐谷北にある。社長は才谷遼という人物。
松方氏は、ジュニアの編集を担当した。松方氏はもともと本が好きで、実はジュニアは中学からの愛読書の一つだったのである。当然、やりがいをもって仕事をしていた。
同人誌とは、「主義・傾向・趣味などを同じくする人たちが共同で編集発行する雑誌」(広辞苑第六版より)で、本来は俳句、小説などなど幅広いジャンルがあるが、近年は、とくにアニメや漫画、ゲームなどの美少女系、BL(ボーイズラブ)系、人気作品のパロディ系などを指すことが多い。ジュニアは後者の意味での同人誌である。(以下、同人誌は後者の意味)
同人誌は元来、会員向けのミニコミ誌なので、一般流通に乗ることはなく、主な販路は、通販と、まんだらけ、などのオタク向け店舗での販売、それと同人誌即売会(コミックマーケット、以下「コミケ」)である。
コミケは全国でやっているが、なかでも最大規模なのは毎年2回、有明・東京国際展示場(東京ビッグサイト)でやっているコミックマーケットである。例えば13年8月10日(土)~12日(月)の3日間で、来場者は延べ59万人、サークル数3万5千に上る。市場規模は推して知るべし。
この同人誌市場のなかで、松方氏の担当した「ジュニア」は、BL系の雑誌であった。BL系とは、男性同士の恋愛を描いたジャンルで、読者は主に女性であり、この層は腐女子、貴腐人とも呼ばれる。
ジュニアの発行部数はどの程度なのか、また都内ではどんな書店に売っているのか。ふゅーじょんぷろだくとに問い合わせたところ、部数は.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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友人に送ったメールの概要①(兼業直前まで。(※筆者が裁判資料をメモして作成したもの=コピーや撮影はできないため)
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友人に送ったメールの概要②(兼業以降) |
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家族、友人、知人宛の遺書の概要 |
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この事件について社名を伏せて報じた記者クラブメディア。画像は上から朝日、毎日、読売新聞05年5月17日付朝刊の記事 |
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