三菱商事に勤務し、大手コンビニチェーン・ローソンの再生も手がけていた柴田啓氏を起業に駆り立てたのは、「競争が激しく、変化も素早いインターネット業界で戦っていくためには、ぬるま湯の中に浸っていてはいけない。みずからリスクを取らなければ勝負はできない」という強い思いだった。柴田は三菱商事からの出向という安定した身分を辞退し、退社して新事業に打って出た。後発ながら、大手価格比較サイトの一角に成長させている。
【Digest】
◇人脈が後押ししてくれた
◇静岡までクルマを飛ばして会いに行く
◇人脈が人脈を広げる
◇ネットバブル崩壊で起業には暗雲が
◇出向を断って会社を飛び出す
◇綿々と続く起業家の血筋
◇起業家精神をアメリカで学ぶ
◇自ら希望して新規事業に飛び込む
◇好きでなければ長続きはしない
◇人脈が後押ししてくれた 「ぬるま湯の中に浸っていてはいけない。大海原で勝負するんだ」と強い意志を抱いていた柴田の起業を、最終的に後押ししてくれたのは、人脈だった。と言っても、三菱商事時代の取引先や同僚などではない。
「どのようにしてビジネスをスタートさせるか」と思い悩み、さまざまに情報のアンテナを広げていたとき、そのアンテナの先に引っかかってきた二人のキーマンとの偶然とも言える出会いがすべてを決めたのだった。このキーマンは後に柴田の信頼厚いパートナーとなり、会社を一緒に引っ張っていくことになる。
「価格比較サイトをやってみたい」。漠然とした計画は、留学先の米ハーバード・ビジネス・スクールで学んでいたころから徐々に温められていた。だがその計画を、どのように具体化すればいいのかというビジョンは明確ではない。そもそも柴田は文系の商社マンで、技術的なバックグラウンドなど皆無に等しい。
とりあえずはインターネットを彷徨い歩いて、そのアイデアを具現化するヒントを探してみよう--。彼はそう考えて、仕事の合間を見つけてはさまざまなウェブサイトを渡り歩いた。ネットバブル真っ最中の1999年ごろの話である。インターネットの世界はスタートアップしたばかりのベンチャーであふれかえっていて、熱気が渦巻いていた。
当時、さまざまなビジネスモデルが試され、しかしその大半は個人の遊びに毛の生えた程度の規模にとどまっており、どのようなサービスが今後伸びていくのか、どのような可能性が秘められているのかという将来像はまだはっきりとはしていなかった。
柴田はすぐに、『価格.com』と『NETde通販』という二つの価格比較サイトを見つける。価格.comはご存じのように、現在では価格比較最大手となっているウェブサイトで、当時は創業者の槙野光昭が秋葉原の街を自分の足で歩いて価格情報を細かく集め、それを自分のサイトに載せるというスタイルだった。
一方、後者のNETde通販は、大石泰礼という人物がインターネット上の買い物情報を検索ロボットプログラムでを収集し、それを価格順に比較して見せるという手法を採っていた。
「今後はどちらの可能性が伸びていくのだろう?」と柴田は考えた。その時点では、その将来可能性は判然としがたい。「よし、この二つのサイトの運営者両方に会ってみよう」と決め、槙野と大石にメールを送ったのだった。
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西麻布にあるベンチャーリパブリックのオフィスエントランス。クールなセンスに満ちあふれている。
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◇静岡までクルマを飛ばして会いに行く だがタイミングがうまく合わず、結局、価格.comの槙野とは会えずじまいとなる。かわりに静岡在住の大石とはうまく連絡を取ることができ、柴田は週末を利用して自家用車で東名高速道路を飛ばし、独力でプログラミングを覚えたという彼に会いに行ったのだった。
大石はもともとは大手フィルムメーカーのエンジニア。だが当時は会社を辞め、静岡の実家の三畳間の自室で一生懸命プログラムを勉強し、合資会社を立ち上げて価格比較サイトを運営していた。「これをビジネスにできれば」という気持ちはあったが、どのように収益を上げていくのかといった明確なイメージは持っていない。秋葉原のパソコンショップからわずかに広告を出広してもらう程度だったのである。
当時はまだブロードバンドが普及しておらず、ISDN(総合デジタル通信網)の全盛期だった。通信料金は夜11時以降の深夜帯しか定額化されておらず、コアなユーザーの多くはこの「テレホーダイ」(NTT東西が提供していた定額料金制の名称)タイムに集中的にネットに接続していた。大石はこのテレホーダイ・タイムに合わせて価格情報を提供するため、夕方に起床して秋葉原のパソコン関連商品の価格をロボットに収集させるという毎日だったのだ。
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ベンチャーリパブリックの社内風景。
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EXIT成功事例のポイント一覧

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