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朝日新聞EXIT 鈴木秀則「魂に嘘をついてはいけない」
「自分の人生を自分で運転する自由は何モノにも代えがたい。今は、スシ詰めのバスで誰が座るのかを考える必要がない」と語る鈴木秀則氏
リアルコミュニケーションズ社長ブログ

 朝日新聞社でまる6年の記者生活を送った鈴木氏は、サラリーマン記者には「たましいレベルの充足感」がないことに気づき、そのモラトリアム期間中に暖めていたネットショップ事業に身を投じる。その後7年で年商20億円の事業に育て、自身が経営するリアルコミュニケーションズは上場も見えてきた。朝日の“役人”として生きるより、オーナーとして“自分の車を運転する”道へのEXITに成功したキャリアから学ぶことは多い。

【Digest】
◇「会社員としては劣等生」
◇趣味が高じたネットショップ
◇たましいに嘘をついてはいけない
◇起業家はADDなのか
◇スピード、納期、品質の妥協のなさ
◇「楽天ばっかり儲かってショップが大変だ」
◇自分の人生を自分で運転する自由
◇夜明けに目覚める日々が続く
◇2009年の上場目指す
◇役人として暮らしていくか、オーナーシップを持つか
◇キャリア年表



◇「会社員としては劣等生」
 朝日新聞に入社して6年目も終わろうとしていた2000年12月ごろ、浦和支局の記者だった鈴木秀則氏は、「春までには辞めたい、いつ言おうか…」と、退社の意を強くしていた。そもそも、自分に会社員が向いていないことは、その時点で明らかだったからだ。

 たとえば、支局長が支局のメンバーを集めて定期的に行う会議。支局長が、本社から聞いてきたような、退屈なマクロ経済の状況などをエラそうにしゃべる。「他の記者たちは、それを聞いて、懸命にメモをとる。もちろん、まったく興味ないくせに、ポーズでとるわけです。ぼくはそういうのがダメで、すぐ顔に出ちゃう」

 はたまた、本社の部長連中が、支局に視察に来るとき。彼らは取材でもないのに、権威を見せ付けるためか、わざわざ自社ヘリを飛ばしてやって来る。「そんなときは、1日前に支局の地方面をあげちゃうんです。その日に起こった最新のニュースを載せることよりも、まる一日、社内接待に使うことを優先する」

 鈴木氏はこういった社内政治が嫌いで、そもそもできないタイプだった。朝日新聞に限らず日本の新聞社は体質が古く、出世するには社内政治を怠れない。「自分は確かに会社員としては劣等生だった。(人事権を握る)支局長ともケンカしていた」

 そんな折、東京本社への異動の話もきていた。朝日新聞では、入社後に地方を2~3箇所まわって7年目ごろに東京本社に上がるのがキャリアの定型パターンだ。したがって、東京本社に行けば、また一番下っ端になってしまう。年次主義なので、張り込みのような拘束される仕事は下っ端に押し付けられ、自由など、ますます望めない。

 「また1年生かよ、と。それなら…」。それならば辞めていい、と思える確かな理由があった。休日を利用して遊びでやっていたネットショップが軌道に乗りはじめていたのだ。2001年4月、まる6年勤めた朝日新聞を退社した。

◇趣味が高じたネットショップ
 ネットショップは、熊谷支局にいた99年4月、趣味で始めたのがきっかけだ。夏休みを利用してバンコクに飛んで民芸品を買い付け、ネットで販売したら、すぐに完売。自分の「目利き」力に自信を持ち、バイトも使って徐々に拡大していった。

 月商300~700万円、粗利30~40%でバイト1人。つまり、月平均で100万円超の副業収入があったことになる。「もう十分、これで食えそうだ、と思っていました」。辞めるとき、貯金も数百万円あったため、借金をしなくても商品ラインナップ拡充に必要な仕入れ代金は用意できた。

 ネットショップなので、オフィスは自宅兼用で十分だった。こうしたハードルの低さが、WEB時代における独立・起業の特徴である。

 朝日ブランドを捨てることに対して、抵抗はなかったのか。「もともと朝日に入ったのは、海外の取材をしたかったから。でも、朝日では、まず地方を転々とする。自分で海外に買い付けに行ってネットショップを運営するのが楽しかった。要するに、やりたかったことと就職先が、ずれていたんです」

◇たましいに嘘をついてはいけない
上:オフィス風景。仕切りはなし。
下:品川シーサイドの真新しいインテリジェントビル最上階にオフィスを構える
リアルコミュニケーションズ

 とはいえ、独立したら生活も不安定になる。「サラリーマンを選んだときは、1段1段、登っていこうと思っていたし、起業するなんて考えてもいなかった。でも、朝日でのモラトリアム期間で白紙になって、たましいレベルの充足感がサラリーマン記者にないことが分かった。または、見つけるのに失敗した」

 鈴木氏は、日々の記者の仕事で、足りないものを感じていた。「たましいにウソをついてはいけない。それで、まずやってみよう、と。寝なかったですよ、楽しかったから。そこで、ミッシングリンクがつながったんです。新聞でも『価値のあるものを提供して成約する』というのは同じですが、自分のメディアに対して、注文という打ち返しがある。つまり、インタラクティブ性。お客とのコミュニケーション。これは新聞記者にはなかった」

 当時のネットショップ業界は、まだ黎明期でどうなるか分からない状況。楽天もまだ上場していない時期だ(ジャスダック上場が2001年4月)。だが鈴木氏に迷いはなかった。

 「やってみないと分からないときに、計画がうまくいくのか考えてもしょうがない。記者を続けたとしても、あと10年でデスクになって、そのあとは部長になるか、地方を転々とするか、ですから」

 あっさり会社を辞め、親しい周囲の人たちと3~4人の体制を作ったのだった。当時は、上場どころか、法人化すら、まったく考えていなかった.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。



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