Baa優良企業予備軍 【対価偏重型】
(仕事3.5、生活3.0、対価4.2)
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創業家出身の武田國男氏が社長に就任したのは1993年。まだ年功序列が当り前の時代だった当時、國男社長は94年の幹部クラスへの導入を皮切りに、成果重視の人事制度に変えていった。途中、膀胱ガンを患い、摘出手術を経て病と闘いながらも97年には成果主義を全社員に適用。人件費カット目的だった富士通などと異なり、直近の業績が悪いわけでもないのに未来を見据えた構造改革の一環として「攻めの成果主義導入」を断行した例として、社内外の評価が高い。
【Digest】
◇扶養手当、年齢給を廃止
◇30代から差が開く
◇外部機関による面接に特徴
◇ポストと年齢の逆転は珍しくない
◇MRの半分以上が20代
◇女性はリーダークラスにもなれない
◇薬剤師中心の採用
◇5年経つと異動リストに載る
◇医者の認識が変わらないとダメ
◇ログインのたびに表示されるタケダイズム
◇扶養手当、年齢給を廃止 導入から12年。武田の成果主義は、当初の意図どおり浸透したのか。複数の社員によると、まず配偶者や子供がいる社員に支給される「扶養手当」は、仕事の成果と関係ないので廃止。年齢給も廃止。ボーナスは、個人の業績評価によって若い段階からそれなりに差がつくようにはなった。とはいえ実際に社内ランクの昇格スピードに目に見えて差がつくのは入社10年目くらいからと、緩やかな成果主義だ。
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武田のキャリアパス
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まず、社員は「J」(ジュニア)→「L」(リーダー)→「M」(マネージャー)と大きく3つの段階に分けられる。Jが組合員だ。大卒総合職で入社すると、「J5」からスタート。初期段階では年功序列的で、ベンチャー企業のように半年ごとの評価で抜擢されていくような仕組みは存在しない。
最速組は、入社3年目の10月に「J4」に昇格する。これは「同期の半分~4割くらい」(社員)。これで年収は600万円ほどになる。業界トップだけあって、報酬水準は高い。3年目に昇格できなかった残りの人も、1年遅れで4年目に昇格する。
丸3年間滞留し、6年目の10月に「J3」に昇格するのが最速組。ここでも、やはり1年遅れる程度で、残りの同期もみな昇格できる。つまり30代前半くらいまで、ほぼ年功序列的な一律処遇が続き、抜擢人事はないと考えてよい。30歳だと、多くの社員が「J3」で、一部の最速組は「J2」に昇格している。
30歳「J3」だと、月収は、基準給30万円+みなし残業手当が5万円+まかない相当の昼食代が1万円+外勤日当(非課税)が6万円=42万円。これが12ヶ月分で約500万円。ボーナス2回分(平均100万円×2)が加わり、700万円ほどになる。大手商社や上位マスコミは30歳で900万円ほどなので、それに比べると見劣りするが、製薬ではトップクラスである。
◇30代から差が開く
J4、J3の評価は、定量的な営業数字の達成率が55%(うち5%がチーム)、定性的な課題項目の達成率が45%の比率。これでD、C、B、A、Sの5段階評価が下り、ボーナスに反映される。「J3だと、一番低いDで一回のボーナスが60万円、一番高いSで220万円。だいたい80~150万くらいの間に収まります」(社員)
評価が高いJ3社員は、書類による審査でJ2に昇格する。これで課長代理という「役付き」になる。通常は30代前半、10年目くらいである。ここからは同期の間でもかなり差が開いていく。
「40歳でまだJ2の人はたくさんいます。40歳過ぎでも、一度はJ1になっていた人が降格になってJ2になる例がいくつも起きている」(社員)。國男前社長が自著『落ちこぼれタケダを変える』で述べているように、「やってもやらなくても同じ評価なら、できる人はいやになるだろう」という問題意識は、それなりに改革として実現した。
次のJ1への昇格には、情実人事を排するため、外部機関による面接も入り、客観的な視点で評価される。これに通ると、最速で30代半ばにJ1に昇格。年収は1100万円ほどだ。これが組合員の一番上のランクである。J2、J1は定量的な数字が評価の7割ほどを占めるようになり、結果を求められる。結果次第ではボーナスが上がるため、J1で1200~1300万になることもあるという。
◇外部機関による面接に特徴
管理職クラス(=主席部員)への昇格は、かつてと異なり、ハードルが高くなった。コンピテンシー(つまり、管理職にふさわしい行動パターン)評価に加え、面接試験を、やはり外部機関も入って実施する.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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武田の現場組織(MR)
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武田MR「年間接待予算300万」の1日
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