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旅の起伏、濃度は変化していくということ
ロックマンの「おじさん」の店

 

 

 

 


 2日目は、複数のサイトで見つけた「ファロス ホテル」というところを予約した。場所は、スルタン・アフメット地区という、旧市街の真ん中だ。そこに向かおうとしたところ、住所は分かるのだが、地図上の場所が不明で困った。「歩き方」に載っているホテルではなく、地図から判別することもできない。住所を書いた紙をタクシーの運ちゃんに見せても「わからない」と言う。


@イスタンブル(トルコ)2009.6

 おおかたの当たりをつけて歩いていると、「コンニチワ」攻撃にあう。外務省の海外安全情報やガイドブックの被害事例集によると、観光地で馴れ馴れしく声をかけて来る客引きに、睡眠薬を飲まされて身ぐるみはがされたり、高額の悪徳ツアーや無駄に高いじゅうたんを売りつけられたりする被害が多発中、とあった。

 日本人は世界中で「騙されやすい金持ち」として、相変わらずいいカモのようだ。

 とはいえ、警官も見当たらない。路上に地図の看板も全くなし。誰かに聞くしかない状況である。再びタクシー乗り場で尋ねると、「あっちだ。そこを曲がるんだ」と教えてくれた。だが、そのとおりに行ってもなかなか見つからない。しかも坂だらけで、疲れることしきり。事前のイスタンブルのイメージとして、勝手に平坦な港町を想像していたのだが、実際の旧市街中心地は坂だらけで、気温30度を超える暑さのなか、歩くのもしんどい。

 そんなとき、いかにも善良そうな青年が話しかけてきた。小太りで、人なつこい顔をしている。

 「私のおじさんは、日本でビジネスしてる。おばさんは日本人。私も日本語勉強してる」

 <ありがちな設定だなぁ>と思いつつ、とりあえずホテルの場所を聞いてやろうと思い、住所を見せた。

 「たぶんわかります。一緒に行きましょう」
 <あやしいなぁ>と思いながらも、渡りに船だ。ついて行くことにした。

 各種書籍によると、トルコ人は親切だという件も、かなり定説になっている。悪人にも見えない。

 しかし、なかなか着かない。地元の人にホテルの場所を聞いてくれている。グルグル歩き、多少遠回りになったが、目的のホテルに着くことができた。

 途中の話では、彼の名はロックマンといった。「日本語で、1万円札6枚でなんといいますか?6万。そう覚えて下さい」と言う。
<慣れすぎだろ、きみは…>

 ファロスホテルの前でロックマンに礼を言って、立ち話しする。

 「おじさんの店が、近くにある。フォーシーズンズホテルの前。うちにチャイでも飲みに来ませんか」
 <あー、来たね、何を企んでいるんだろうか>

 「まだチェックインしてないから、また今度で」と言いつつも、情報収集したいし、チャイくらいいいか、と思いはじめた。憎めない顔をしている。

 「おじさんは、鑑定士をしてる。そのオフィスがすぐそこなんです。ホテル選びなど、助けてあげられると思う」

 <なんでトルコ人の美術品鑑定士が日本に行く必要があるのだろう>と思ったが、まあ来たばかりの土地だし、店まで行くくらいは問題ない。そのまま、ついて行くことにした。

 「どこで日本語を覚えたの?」

 「学校で1年学んだ。いずれ、日本で仕事をしたいと思っている」

 そして、「ビジネスなのか、観光なのか」「仕事は何だ」「歳は」と、恒例の質疑応答が続く。このあたり、機内で読んだ村上春樹のギリシャ・トルコ紀行『雨天炎天』と同じだな、と思った。少し考えれば分かることだが、旅行者が聞かれることは、事前に決まっているのだった。

 何を話すかは話す前から全部わかっている。「どこから来たか?」日本。「何をしているのか?」観光。「どれくらいトルコにいるのか?」三週間。「これまでにどこに行ったか?」イスタンブール、黒海沿岸、ドーバヤジット、ヴァン。「これからどこに行くのか?」ディヤルバクル、ウルファ、地中海、イスタンブール。「トルコは好きか?」好きだ。「職業は何か?」ジャーナリスト。「これは仕事か?」そうだ。「俺の時計、セイコー」それはよかった。「写真をとってやろうか?」今はいらない。「チャイもう一杯どうだ?」もういらない。「年は幾つだ?」二十九(嘘ついた)。「結婚してるのか?」去年女房死んだ(これも嘘)。「それは気の毒だ」ありがとう・・・などなど。こういうのが際限もなく続く。

 聞かれることが決まっているだけに、今考えれば、面白い切り返しを考えておいて「よい質問」をすべきなのだが、私はまだ未熟者だった。その余裕がなかった。

 ロックマンによれば、私は29歳に見える、と言う。逆にロックマンの年は29歳だろう、と言ったら、身分証明証をポケットから取り出す。1990年生まれの19歳だった。トルコ人は年齢がわかりにくい。トルコ人の顔は彫りが深く肌が浅黒い。40歳以下のトルコ人男はみんな同じように見えてしまう。

 10分ほど歩く途中、この地区の観光名所について、英語と日本語半々くらいで、いろいろ解説してくれた。この男の目的はなんなのか。あまり名所旧跡には興味がないので、聞き流していた。

フォーシーズンズは元刑務所だけあって塀が高い。美しいホテルだが、どう改造されていても宿泊する気にはならず。参考記事:いわくつきの土地
フォーシーズンホテルの前につく。「あそこがおじさんの店です」。ペンシルビルの1Fが、じゅうたん屋になっていた。

 <やっぱり。じゅうたん屋の客引きか>と思うほかない。最初からじゅうたん屋だというと客引きだと怪しまれるから、それまで言わなかったということか。

 「おじさんは、じゅうたんの卸売もやっている。あの前にとまっているBMWは、おじさんの車です」。たしかにBMWがあったが、<ホントかよ>と思いつつ、1Fのじゅうたんが展示してある店に入った。

 「おじさんがいるので、2階でお茶のみませんか。名刺をわたします。いろいろ役に立てるかもしれない」

 <まぁでも、裏から出てきたお茶を飲むと、睡眠薬が入ってるかもしれないしなぁ>。昨日到着したばかりの私は警戒心バリバリで、手口情報もインプットしていたために、かなり半信半疑だ。

 「いや、ここでいいです。また今度、きます。2週間以上いる予定ですから」

 と、ここで、2Fからおじさんが降りてきた。この登場の絶妙なタイミングも、アヤシイと思った。なぜ1Fに来たことが分かるのか?ケータイで巧妙な合図でもあったのか?

 登場したおじさんは、いわゆるおじさんではなく、30代とおぼしきイケメンビジネスマン風だった。立ち話が続く。

 「私は日本で24人しかいない公認のじゅんたんの鑑定士なんです」
 <ああ、そういうことか、鑑定って、一般的な古美術品とかじゃなくて、じゅうたんの鑑定のことね>

 日本語はロックマンより数段うまく、普通に通じる。日本では渋谷にオフィスがあって、代々木に2年間住んでいたのだという。まぁそれは嘘ではなかろう。日本語は流暢だ。

 壁にかけられたじゅうたんをさしていう。
 「これは今では作られていないサイズだけど、600万円くらいします」

 確かに立派なじゅうたんだが、ホントだったら誰もいない1Fに、かけとくかなぁ?カギもかけてないから、盗まれるんじゃないか。

 「皇太子がフォーシーズンホテルに来たとき、たまたまうちに寄ったんです。もちろん買いはしなかったけど、たまたま日本人のお客さんがいたので、びっくりして深くお辞儀してました。そこに車が停めてあったんですが、警備で道全体がふさがれてねぇ。大変だったよ。」

 <まあ、十分にありえる話ではある…>

 ここまでなら、グルになればできること。彼らの目的はなんなのか。じゅうたんの売りつけか。

 「彼はいま日本語を勉強しているんだけど、夏休みなんで、私にあなたを会わせようと思って連れてきてくれたんでしょう。5分でいいから、上でチャイ飲んできませんか」

<会ったばかりの人の家にあがってモノを飲むのはリスクが高いな>と思うが、口に出しては言わない。ツアーを紹介したいのか、じゅうたんを売りたいのか、それとも日本でのネットワークを広げたいのか。真意はつかめない。

 「じゃあ、そこのフォーシーズンホテルでチャイはどうですか」と私が言うと、あくまで、ウチで飲んでいけという。トルコ人は客をもてなすのが常識で、宗教的にもよいこととされているそうだから、そういう理由でもてなしたいのかもしれないが、最近、仕事でもツイてるとは言い難いし、私は保守的になっていた。トルコ到着早々、リスクは最小限に食い止めるべきだ。

 「何か聞きたいことがあったら、また来ますから」

 「じゃあ名刺を」と言って、ロックマンが持ってくる。

たぶんこの人はいい人だ
 握手をして別れた。

 自分でも、慎重すぎるかな、と思った。学生時代の私だったら、上がっていったことだろう。実際、イランの2週間滞在のうち半分くらいは、親日的な現地の人の家にタダで泊めてもらっていた。単なる親切心やもてなしの流儀なのかもしれない。だが今となっては冒険心より安全を重視してしまう。

 学生時代、偶然の冒険を重視した結果、マレーシアのクアラルンプルでは、「ブラックジャック詐欺」(今でも多発してるらしい)にあったこともあるし(実害20万円くらい)、南アフリカではヨハネスブルクで黒人2人組の強盗にあってはがいじめにされ、財布ごと盗られたこともある。今の私には、そういう経験が邪魔して、臆病になっている。

 沢木耕太郎が『一号線を北上せよ』でこう書いていた。場面は、ハノイの食堂で後ろにいた女学生が、沢木氏に、地元のハイフォンに来たら訪ねてくるよう、住所と携帯の番号を書き、沢木氏もそれに応じて連絡することを約束したところである。

 ハイフォンに行っても彼女たちに連絡はしないだろうなと思ったとき、ちょっぴり寂しさのようなものを覚えた。これまで、私の旅は、こうした偶然に導かれることによって、大きな起伏が生まれてきたのだ。それを断ち切ってしまえば、旅の起伏だけでなく、濃度が薄まってしまうのは間違いなかった。しかし、私が変化していくように、私の旅も変化していく。それが当然であり、哀しむ必要はないのだ・・・。

 旅のスタイルは、確かに変化していく。旅の起伏が変わっていくのは、当然のことなのだ。私もそう思うことにした。

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