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日本人というカルマ

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「一緒に写真を撮らせてくれ」と言ってきた親子
 イスタンブルの世界遺産といえば、この地区の中心的な建造物である「ブルーモスク」と「アヤソフィア」だ。両者は並んで建っており、見た感じ100メートルほどしか離れていない。ブルー・モスクは世界一美しいモスクとも言われ、イスタンブールの絵はがきに最も多用されている。オスマントルコ時代、17世紀の建設と、歴史はそう古くはない。
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  • 歴史はいやでも背負わされる
  • 成熟スピードと混血の関係


@イスタンブル(トルコ)2009.7

一方のアヤ・ソフィアは、東ローマ帝国時代にキリスト教の大聖堂として建設された(360年)ものが、この地がオスマン帝国に征服(1453年)されてからは、内部を破壊し、壁は塗り替えられ、モスクに転用された。キリスト教→イスラム教に、180度の用途転換してしまうのだから建物もビックリしたことだろう。

というわけで、複雑な歴史を持つアヤソフィアは現在、博物館となっており、修復された内壁には、キリストが描かれていたりする。外から見るとイスラム教、内に入るとキリスト教だ。これはまあ、一見の価値はあった。

歴史はいやでも背負わされる

滞在して2週間ほど経ったころ、まだブルーモスクに行ってないことに気づいた。そういえば、客引きが入り口までしつこく追いかけてきたので、入るのをやめてしまって以来、足が遠のいていたのだ。

さすがに一度は見ておこう、という気になって、客引きがついてこないよう、“沢木耕太郎スタイル”で向かった。これはつまり、スーパーの袋に地図やガイドブックを入れて外から見えないようにし、そのほかは手ぶら、とするスタイルだ。バックパックなどはホテルの部屋に置いていく。ガイドブックやカメラを持ち歩いているから、いかにも観光客に見えて、目をつけられるのである(私はiPhoneのみでカメラは最初から持って行っていない)。

ブルーモスクに入ると、そこは巨大な礼拝堂だった。こんなに天井が高いモスクは、イランや東南アジア(ブルネイ、マレーシア、インドネシア)でも見たことがない。

しばらく見物していると、子連れのオジさんが話しかけてきた。

「ジャポン?」

 「そうだ」と言うと、なぜか嬉しそうに「一緒に写真を撮らせてくれ」という。

どうぞどうぞ。

オヤジと2ショット、そして、娘と2ショット。

「おまえも撮らせてもらえ」というかんじで、ママとも2ショット。

いやに親日的である。これが噂の、トルコ人の親日感情なのか。

そういえば沢木耕太郎が、『深夜特急5』でこう書いていた。

 「どこから来た」
 日本からです。
 「そうか、日本人か、それはよかった」
 ええ、まあ…。
 「トルコと日本は仲間だ」
 はあ…。
 「トーゴーは偉かった」
 東郷元帥ですね。
 「あのロシアをやっつけた」
 そう聞いてます。
 「日本はインドの隣にあるのか」
 いえ、もっと遠くにあります。

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ブルーモスク外観。確かに美しい建物ではある。

各種書籍によれば、日露戦争で東郷平八郎率いる連合艦隊がロシア・バルチック艦隊に勝利した。東の小さな島国である日本が、トルコの長年の宿敵であったロシアを破り、トルコは間接的に助かった格好になった。これが親日感情となり、トルコには店名に「TOGO」「NOGI」といった名前の店が今でもあるという。

ようは、「敵の敵は味方」みたいな論理か。

東郷氏は、私の意向と関係なく、日本人である私の背後にいて、トルコ人はそれを見て親日的になる。切っても切り離せない。これが歴史の力か。なるほど歴史はつながっているのだ、と実感する。

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現在アヤソフィアは修復中だが、修復してないところが特にホンモノっぽい。

この人はトルコ語しか話せないようで、本当の理由を聞くことはできなかったが、私も、この親子の写真を撮らせてもらった。

トウゴウという店は、本当にあるのだろうか。だが旅の間、それらしきものは見つけられなかった。

仏教でいうところの、「カルマの法則」や「因果応報」。東郷さんがやったことが、いまこうして、私に返ってくる。同じ日本人だ、ということだけで。私は、日本人のカルマを背負って生きているのだな、と実感する。私は、いやでも日本人の歴史を背負って生きているのだ。かつて無茶苦茶な侵略の仕方をした中国に行けば、トルコとは逆の対応をされるのだ。

成熟スピードと混血の関係

親日的であることの1つの理由として、祖先が同じだ、という説がある。つまり、中央アジアの騎馬遊牧民族が、西へ西へと移動して今の小アジアに落ち着いたのがトルコ人。逆に、東へ行った末裔が日本人。同じ中央アジアにルーツを持つ親族だという考えもあるようだ(この説は定着していない)。

ただこれは、両者があまりに違い過ぎて、私には信じられない。確かにトルコ人は、インドやバングラといった南方の人たちよりはドギツさもないし、肌の色も日本人に近い。距離が東西でずいぶん離れている割には、近い人種のような気はする。

だが、トルコ人は西に移動していくなかで、様々な民族を吸収し、かなりの混血民族になった。だから、顔つきが混血特有の整いかたを見せている。混血は早熟の傾向があるようで、トルコ人は、子供時代は日本人よりも美少女、美青年的な可愛いさがあり、大人になると日本人よりも老けている。日本人はほぼ単一民族で、そんなに中央アジアから移動してきた感じが、どうしてもしない。移動する過程で、多民族と混じっていくはずだからだ。

トルコ人は特に女の子が美少女に見えるが、それは、子供のときから彫りの深い大人顔をしているから。だが、スーパー美少女から一転、30代でもう完全なおばさんになる。日本人は30代でもまだそれなりに若さを保っている人も普通にいるが、トルコ人は、成長するに従い、おたまじゃくしとカエル以上に違ってくる。トルコ人を観察していて思ったのは、混血が進むほど、DNA上、成熟スピードが早まり、外見上の成長-成熟-老いの流れが前倒しされるのではないか、という仮説である。

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アヤソフィア。1500年前と思えば、確かによくできてる。基本的な構成は537年に建設された当時のままだという。

そうだとすると、騎馬民族だったトルコ人が中央アジアから西に向かい、アナトリア(小アジア)にやってくるなかで様々な民族をやっつけ、自民族に組み入れるなかで混血を繰り返してきたというカルマだ。はげたおじさんも、小さな美少女も、トルコ人が背負ったカルマの結果である。

ブルーモスクを出て、公園のベンチで一服することにした。親子連れが多く、写真を撮りたくなるような可愛い子供がたくさん遊んでいた。日本では写真に収めたいような子供は、ほぼ見かけない。仮にルーツが同じであっても、今となっては、トルコ人と日本人は、ずいぶんと遠い民族になったのだと思う。

 それぞれが民族特有のカルマを背負って生きていく。私は日本人というカルマから逃れられない。歴史を学ぶということは、自分のカルマを知るということなのだ。私はいったい、どれだけのものを背負っているのだろうか…。

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親日トルコ2018/08/26 22:07会員
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