 A:優良企業
(仕事4.0、生活4.0、対価4.6)
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野村総研の「顔」といえば、84年の入社以来、20年にわたって研究畑を歩んできたリチャード・クー氏や、昨年3月に早稲田大学教授へと転身するまで在籍していた植草一秀被告が有名。
それぞれ「主席研究員」「上席エコノミスト」といった肩書きで、テレビや雑誌に頻繁に登場していた。しかし、彼らから同社の実際の仕事内容を想像するのは難しい。
(4.0:良い)
「『総研』やめた野村総研」(AERA,2004/6/7号)によれば、2004年3月、政策提言などを役目とする部門のエコノミストら40人を、実質的な親会社である野村證券に移籍させた。クー氏ほか3名が移籍を望まずに残っただけだという。
97年には既にアナリストなど約500人を野村證券に移籍済みだったため、今年の移籍で、政策提言や研究・分析といった、公共性が高そうに見える「シンクタンク」の機能は、同社からほぼ完全に切り離されたことになる。
2001年に上場した際の業種分類は「情報・通信業」。連結売上高の82%(2004年3月期)を「システムソリューションサービス」で占める正真正銘のIT企業、というのが実際の姿だ。現在の藤沼彰久社長も、野村證券の出身ではなく、1988年に旧野村総合研究所と合併した「野村コンピュータシステム」のほうの出身で、もともとコンピュータ技術者である。
組織の実態は、大きく主力の「システムソリューション」と「コンサルティング」で分かれ、両者の間には、明確な壁がある。システムソリューションは金融、証券、流通といった業界別のセクターに分かれているが、その下の「本部」以下は毎年のように変わっており、プロジェクトに合わせて柔軟に作り変えている。
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野村総研のキャリアパス
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コンサルティングは実質的に、担当顧客を持つ「営業」、技術者として販売を支援する「システム営業」(技術系)、純粋にコンサルティングを行う「コンサルタント」の3つに分かれているという。
同社は「キャリアフィールド別採用」と銘打って、入り口の時点で職種を選ぶ採用を行っている。全体の職種別の社員比では、テクニカル/インフラ系エンジニア(約4割)、アプリケーション系エンジニア(約3割)、経営コンサルタント(約2割)、本社スタッフ(1割弱)、研究員(数%)となっており、完全にエンジニア中心の会社である。
営業という職種は募集されていない。日本IBMのように営業専門のアカウントマネージャーが明確に組織として分けられている訳ではなく、どちらかというと、プレイングマネージャーが、営業とサービスの実行者を兼ねる「プリンシパル・レッド・モデル」に近い。従って、営業専任者として明確に分かれたキャリアパスは基本的になく、新規開拓のミッションを一時的に持たされたエンジニア出身者が、各本部に所属しているイメージである。
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同社でのキャリアは、最初の配属で方向が決まってしまうところがある。「本部」の壁を越えた異動が、難しいからだ。本部というのは、大括りの業界別組織である「セクター」の更に下の組織のことで、たとえば「金融・社会ソリューション・セクター」の下には、「保険システム事業本部」「金融システム事業本部」など6つに分かれている。
あるとしたら、この「本部」の下の「部」の間の異動くらい。本部が違うと、まるで違う企業のようなタテ割り組織になっているという。社員が希望すれば人事部と面接が出来る仕組みはあるものの、社内では、「移る人=使えない人」といった印象を持たれる傾向にあり、前向きな異動は少ないという。
昔は流動的であったが、最近は各組織ごとに、閉鎖的になってきている傾向が強くなっており、このため最初の部署で「使えないヤツ」と判断されてしまうと、復活のチャンスが与えられにくいといった問題もある。
新入社員は、例年、文系:理系で半々くらい。院卒も3~4割と多めだ。2ヶ月強の全体研修の後、配属先ごとの研修が2~3週間あり、正式配属となる。基本的にプロジェクトワークが中心。期間は、1ヶ月程度の小さなものから、数年単位の大掛かりなものもある。完全なプロジェクト組織ではないため、空いている人は新たなプロジェクトを獲得するための提案活動を手伝ったりしている。
給与が決まる資格上では、入社直後の「総合職」から始まり、「2種専門職」→主任や課長補佐に相当する「1種専門職」→課長相当の「上級専門職」、と上がっていく。大卒の場合、.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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20代後半
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「総研」という名称から多くの人が連想するのは、エコノミストや研究員をたくさん抱えた、提言機能を持つ「シンクタンク」である。「年収300万」シリーズで昨年有名になった森永卓郎も、UFJ総研エコノミストの肩書きを持つ。
なかでも野村総研は、リチャード・クーと植草一秀の2人のマスコミへの露出が圧倒的に多かったために、多くの人が、未だに、民間の立場で経済分析や政策提言を行うシンクタンクの最大手、とのイメージを持っている。しかし、同社に入社しても、いわゆるエコノミストや研究員へのキャリアパスは、ほとんどない。
テレビの討論番組や新聞紙上では、民間のシンクタンクの肩書きを持つ人が出てきて、「今年の景気と株価予想」「GDPの伸び率」といったテーマで議論がなされる。しかし、一般にはどのシンクタンクも当たるとか信頼できる、といったイメージは持たれていない。
日本の「総研」は自治体や官庁からの委託研究を請け負ってきたが、結局、発注元である官庁の意に沿ったものを出さざるを得ず、官庁の政策を批判できないから、「骨太の提言」は構造的に出来るわけがなかった。だから、政府と一緒に、予測が外れる。
寄付が元手で設立された基金によって成り立つ欧米のシンクタンクとは異なり、野村総研は株式会社なので、とにかく儲けなければならない制約がある。一部上場企業としてはなおさらだ。
外れる予測や分析結果を買う人はいないから、民間に売ろうとしても、儲からない。同じ政府から請け負うなら、霞が関には出来ない仕事、つまりSIをやったほうが儲かる。そこで、富士通やNTTデータといった「ITゼネコン」と同じように、政府系のIT公共事業を請け負う方向で伸ばし、野村證券との関連で証券・金融・流通業界を伸ばしてきた。
もはやリチャード・クー氏は完全に広告塔になった。一方、1983年に東大経済学部卒業と同時に野村総研に入社した「生え抜き」ともいえる植草一秀氏が、事件の1年以上前に大学教授に転身していたのは、同社にとってはラッキーだったともいえる。
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評価報酬制度/雇用安定性/意思決定カルチャー
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年収推移
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