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メデューサの首&オープンカフェ

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BC5世紀のものだという石棺。レリーフが美術作品としてよくできているものばかり。
 旅も終盤になって、一応、イスタンブル内で世界遺産に指定されている有名な建造物をささっと見ておこう、と思い始めた。この地には、2度と来ないような気もしたからだ。とりあえずスルタン・アフメット地区で訪れていないところをまわる。トプカプ宮殿、イスタンブール考古学博物館、そして地下宮殿。
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  • 7月×日 ホアンキエム湖の大亀を思い出す
  • 7月×日 オープンカフェ文化について考える


@イスタンブル(トルコ)2009.7

7月×日 ホアンキエム湖の大亀を思い出す

博物館のなかでは、「サルコファガス(石棺)」が目をひいた。読んで字のごとく石の棺桶なのだが、その側面に彫られたレリーフの戦闘シーンが、生き生きとしてリアルなのだ。石棺のレリーフについては、立花隆が、かなり力を入れて解説していたが、確かにこれは一見の価値があった。

似たようなレリーフは、学生時代に、ボロブドゥール遺跡(インドネシア)やアンコールワット(カンボジア)で見た記憶がある。どちらも墓ではなく寺院であり、かなり地理的にも時代的にも離れているが、権力者というのは古今東西、死者を祭るために似たようなことをしているのが興味深い。

 この石棺、もともと博物館には興味を示さない沢木耕太郎までこう書いている。
 私が唯一心を動かされたのは、考古学博物館にあったアレクサンダーの柩だった。これが本当にアレクサンダーの柩であるとの証明はされていないという。しかし私には、厚い大理石で作られたその柩の中にはアレクサンダーの遺骸が入っていたのではないかと感じられてならなかった。なぜなら、戦闘と狩猟のシーンをレリーフに持ったその柩には、単に高貴な人物を葬るというだけでなく、恐らくは災厄そのものの存在であったろうアレクサンダーのような人物を、二度とこの世に出現させないために重い蓋で閉じ込めてしまおう、という密かなる意志がこめられているように思えたからだ。別の部屋にはアレクサンダー像というのがあったが、そのリアリティーのなさに比べて、柩には圧倒的な存在感があった。
 しかし、やはり私には街が面白かった。街での人間の営みが面白かった。
--『夜特急5』より

右記の私が気に入った石棺など、BC5世紀の終わりのものだというから、2500年前だ。それがこれだけリアルに残っている。そもそもホントに年代まで特定できるのか、と思った。日本では縄文時代末期である。

さて、次は地下宮殿である。

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観光の目玉となっているメデューサの首。泥をかぶっていたものが84年に発見された、というのが大本営発表。

入った瞬間、なんだこりゃ??と息を呑んだ。これこそ、よくできたテーマパークみたいなのだ。なんとも表現しがたいが、地下に柱が300本以上も建っていて、下は池になっていて、デカい鯉がうようよと泳いでいる。雰囲気を出すためだろう、電気は薄暗く設定され、暗がりを保っている。

ただそれだけ、かと思ったらさにあらず。きわめつけは、順路に沿って通路を歩いて行くと、メデューサの顔が彫られた首上の石が、柱の一番下に支え石として置かれており、それが横を向いたバージョンと、上下逆さを向いたバージョンの2つある。それらはちょうど、入り口から一番遠いところにあり、それを見てまた元の方向へと戻るよう、順路が設定されている。観光用の目玉がちゃんと用意されているのがまた、テーマパークっぽい。

これは「やらせ」ではないか、と思わざるを得ないのだが、6世紀に作られ、ローマ時代に使われていた貯水池であり、ヴァレンス水道橋を通じて、市街の西の水源地からここに、水が引かれてきていたのだ、という。

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ホアンキエム湖の大亀はこのような写真まで飾ってあった。都会の真ん中の湖にこの亀が2007年まで棲んでいたとは到底思えない

メデューサの首がなぜ円柱の基底部に使われているのかは不明だそうだ。土に埋もれていたものが、1984年に見つかった、というから、ますます怪しい。

私はこのメデューサを見て、ハノイのど真ん中、ホアンキエム湖に生息していたという大亀(どこかから持ってきて放した疑惑が強い、というか確実にそうだと思う)を思い出した。ハノイでは、その剥製が観光用に展示されていた。

7月×日 オープンカフェ文化について考える

トルコの文化として忘れてならないのが、チャイである。現地の人たちは、チャイを飲みつつ、延々とダベっている。そして、その場所として、路上カフェ、路上レストランが、たくさんある。

チャナッカレに行った際には、2キロくらいはあろうかという海岸一帯が、青空飲食店になっており、朝から夜までずっと人々がチャイを飲み、ビールを飲み、軽食をとっていた。

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路上に繰り出されたカフェ&レストラン

イスタンブルのアジア側カドゥキョイ周辺は、夕方になるとビルとビルの合間のスペースがレストランに変わり、人々で埋め尽くされていた。

ベトナムやカンボジア、ミャンマー、バングラデシュ、インドネシアなどでも感じたが、公共の路上スペースの使われ方が、日本に比べ、かなりユルいのだ。とりあえず店の前の道は迷惑にならない程度に使ってOK、みたいなところがあって、このあたりがアジアらしさなのではないか、とも思う。統治権力との権利関係が曖昧なのだ。

だとしたら、日本のオープンカフェの少なさ、路上レストランの皆無さを考えると、アジアのなかでは異質な感がある。トルコも日本も、冬は寒いし夏は暑い。夏など、もっとオープンエアで食べて飲んで、チャイでダベって、という気の抜けた文化があってもよさそうなものだが、あまり日本人のそういうダラダラしたところは想像できないのも確かである。

トルコ人が陽気に飲み食いダベっている姿を見て、おそらく多くの日本人は、「もっと働かなければ」「サボっている場合ではない」と思ってしまうのではないか。「欲しがりません、勝つまでは」がどこかに染みついている。そこに、日本の戦後の高度経済成長を支えた、日本人のヘンな勤勉さ、日本人らしさがあるのかもしれない、と思った。

チャイについては、村上春樹がこう書いていた。

トルコを旅していると、一日に何度もチャイハネに入るようになる。ちょっと休憩するのに便利だし、それにトルコにいると自然にチャイが飲みたくなってくるのだ。体がチャイを求めるようになるのだ。あるいは気候のせいかもしれない。どこの国に行っても、少し長くいるとそういう風に嗜好が変化する傾向はある。でもイタリアを旅していてバールでエスプレッソが飲みたくなるより、ギリシャを旅行していてギリシャ・コーヒーが飲みたくなるより、遙かに強く我々はチャイに引かれる。チャイの魔力--というか、とにかく我々は何かついでがあるたびに、「じゃあ、ちょっとその辺でチャイでも飲むか」というトルコ的習慣にすぐに染まってしまった。

 (中略)チャイハネは奇妙なところである。トルコ中のチャイハネにはだいたい建国の父にして国民的英雄ケマル・アタチュルクの肖像が壁のいちばんよい場所に掲げてある。でも人々はチャイハネでは国家の役に立つような立派なことはまずおこなっていない。彼らがやっていることは二種類の行為だけである。つまり世間話か賭事だ。いったい何をやって食っている連中なのか不明なのだが、いい歳をした大人が朝からごろごろとチャイハネにたむろして、トランプをしたり、トルコ式麻雀をしたり、うだうだ世間話をしたりしているのである。
--『雨天炎天』より

なるほど、アタチュルクとの対比で表現しているのはうまい、と思った。

 私が見る限り、既にアタチュルクの肖像は、ほとんど見なかった。ハルキの旅は39歳のとき、今から21年前になる。今となっては、革命指導者の権威も薄れてきている、ということだろう。

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