会社の御用組合でない本当の労組「全トヨタ労働組合」(全ト・ユニオン)や愛知県下の他の労働組合が活動を始めると、会社の人事部による監視活動が始まる。写真は公安警察ではなく、トヨタの正社員。
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トヨタに昨年、組合員15人の闘う労組「全トヨタ労働組合」が結成された。既存の「トヨタ自動車労働組合」(組合員6万5,798人)に対抗し、委員長の若月忠夫氏が新たに創らねばと思ったきっかけは、ある40代社員の自殺だった。組合員すら救おうとせず、トヨタ批判者を徹底マークしたうえで、“不穏分子”の若月氏を応援する者のあぶり出しまで行う御用組合。勤続42年、50歳で班長昇格という不遇のなか、会社や既存組合と闘ってきた委員長が「トヨタの思想統制」について語った。
【Digest】
◇50歳で班長(EX)という昇進の遅さ
◇40代トヨタ社員の首吊り自殺
◇信頼できない・弱い・頼れない「トヨタ自動車労働組合」
◇組合活動でがんばったら配転命令
◇トヨタにいるのは労働者でなく「トヨタマン」
◇選挙で社内における犯人探し
◇不穏分子あぶり出し作戦
◇「会社におれんようになるぞ」と脅し
◇ビラ配りも見ざる・言わざる・聞かざるで会社も妨害
◇誓約書「不良品は次工程に流さない」を書かせられる
◇終わらない「残業」は工場外で
2006年1月22日、全トヨタ労働組合(全ト・ユニオン)が結成された。既存の御用組合・トヨタ自動車労働組合とは違い、正社員、下請け、孫請け企業の社員、外国人、期間工、パートなどトヨタ関連会社で働く者はすべて加入できる間口の広い組合だ。
この組合員15人の新組合の若月忠夫委員長に話を聞くと、広報室や御用組合に接触してもわからない巨大企業トヨタの内情がよくわかる。
◇50歳で班長(EX)という昇進の遅さ 私は、昭和40(1965)年に入社してから、トヨタ自動車元町工場で42年働いています。車のボディーを作るプレス加工の職場です。
いまの役職は、EX(エキスパート)。昔で言う班長です。MyNewsJapanで「トヨタで死んだ 30歳過労死社員の妻は語る」という記事が掲載されている過労死した内野健一さんと同じ役職です。ふつう高卒で入った場合は、12~13年、30歳前後でEX(班長)になる。過労で亡くなった内野健一さんは、早いほうだと思います。
私は差別されていたので、EXになるのもだいぶ遅かった。交渉に交渉を重ねたうえで、ようやく50歳でEXになりました。
私自身は山形出身。だいたい東北地方の人は関東地方に行って働くのですが、田舎の高校なので、そんなに東京の大きな会社から求人はこなかったんですよ。もっとも大きいとか小さいとかはそんなに意識しなかったんですけれど。
とりあえず自動車産業、トヨタくらいならいいかな、と思いました。ほんとうは地元か東京で就職と漠然と考えていました。
入社は、東京オリンピックの翌年で、高度成長の始まりです。高速道路ができ始めた時代で、まさに自動車産業=トヨタ自動車を支えてきた世代なんですよ。ローカルトヨタからグローバルトヨタに成長した原動力のひとりとして、それはそれで誇りを持っています。
初任給は1万1千円くらいでしたかね。総額で1万5千円くらいでした。その当時は職業を選べる時代でした。いまは企業が従業員を選ぶ時代ですからね。
◇40代トヨタ社員の首吊り自殺 もう十数年前のことになりますが、私が本当にまっとうな組合活動をしなければならないと思った事件がありました。
私自身が悔しい思いをしたのは、ある社員が追い詰められて自殺してしまったことです。自律神経失調症に陥ってしまった人が私に相談してきました。
「いまの連続二交代の勤務体制では、妻の健康状態もよくなく面倒を見なければならないので、とてもじゃないが勤められない。オール昼勤務だけの場所に配置換えをしてほしい。なんとかしてくれないか」というのが彼の相談内容でした。
そのとき私は既存労働組合の組合員でしたが、しかるべき部署と相談したことがあるんですよ。それでも埒が明かなくて、彼は自宅で首吊り自殺をしてしまった。まだ40代の若さでした。
彼の命を救ってやれなかったという痛恨の悔やみ。しかも、彼の上司は労働組合の役員経験者だった。そういう役員経験者がなぜ彼を救ってやれなかったのか。
上司は自殺した彼を嫌って、「こんな者は辞めてしまえ」「自分たちにとって足かせだ」と言って、自殺前、彼に嫌がらせをしていました。挨拶しない、話を聞かないという対応を受けて、彼は孤立していたのです。
自殺してしまった彼の葬式に、その上司がもってきた香典が2千円だったのを覚えています。
彼には奥さんと子どもが一人、ちょうど子どもが高校に入った時期でね。ほんとに悔しい思いをしたんですよ、私は。組合費を払っている組合員を労働組合が救えないなんて、これは組合に値しないわけでしょ。
「あなたのために組合があるんじゃない」という考え方ですよね。労災の問題でも、労働組合が取り上げたケースは1件もないですよ。本来なら、こういうことに対応して組合の存在価値があると思うのですが、相談に行っても受け付けてもらえないそうです。
ひとりのために存在してこそ労働組合なんですよ。
◇信頼できない・弱い・頼れない「トヨタ自動車労働組合」 若月氏は、労働組合を通して職場環境を改善しようと、約40年間にわたり何度も組合内で行なわれた選挙に立候補してきた。しかし、当選したのは1度だけ。組合選挙の実態をみることで会社の実態が見えてくる。
新しい組合をつくらなきゃならんと思ったのは、ここ数年のことです。それまでは既存の労働組合を何とか改めなければと思っていました。私流に言わせてもらえれば、信頼できない、弱い、頼れない労働組合(トヨタ自動車労働組合)。これをなんとか変えたい気持ちでしたね。
ずっと前からそう感じていたのです。
私が24歳くらいのときに、職場委員に立候補したことがあります。労働組合の末端の役職は、職場委員というものです。10人から30人くらいの職場のグループがあって、そこに職場委員というまとめ役が置かれます。
この職場委員を決めるシステムは、実は選挙じゃないんです。実際は、上司・会社機構が職場委員を決めている。その年の夏も労働組合の選挙があって、上司が決めた職場委員の候補者がいました。
それに対して、「私も職場委員やりたい」と声をあげたのです。それで選挙を実施することになったのですが、おそらくトヨタの中でその選挙が、自由意志による立候補者が出馬して職場委員を決める最初の選挙だったと思います。20人くらいのメンバーの中で選挙をして、自薦候補である私が当選したのです。
◇組合活動でがんばったら配転命令 職場委員としての役割を果たそうと、職場の休憩所に組合のコーナーをつくって機関紙を貼ったり、組合活動に関心を持ってもらえるように一生懸命動いたのです。そうしたら3カ月後に配転命令を受けてしまいました。
それは、職場委員の職から私を外すために目論まれたものです。
そのとき私は組合の本部に行って、「こういう状況になっちゃった。職場委員になったばかりだから、こういう会社の行為を止めさせて欲しい」と組合幹部に相談しました。しかし、組合幹部いわく「それは会社の方針だから仕方ないでしょ」。
これには愕然としました。労働組合なのに会社の立場に立っている。それ以降、組合に対する不審はずっと拭い去れずに今日まで来ています。
私一人だけ配転させると、いかにも不当労働行為になってしまうので、ほかに2人を配転させたのです。そのため、ほかの2人は配転に応じているのに私ひとりが文句を言っているような形にされてしまった。
結局は配転に応じざるを得ませんでした。
◇トヨタにいるのは労働者でなく「トヨタマン」 トヨタ自動車は、1950(昭和25)年の労働争議以来、労使の関係にすごく神経をつかっている。労働運動とか、あるいは共産党やシンパの人たちをものすごく毛嫌いしています。
1970(昭和45)年くらいから、そういう人たちの排除が強まっていくのです。上司の言ったことに自分の意見を話しただけで「お前は共産党か!」と罵倒され、排除されていくわけですよ。
会社に対してだけでなく、組合活動の中でも違う意見を言うと、組合役員に呼ばれる。組合は組合で、会社と一体となって労務管理をしているのです。会社と労働組合がお互いに役割分担しているようなものです。
組合は、企業批判する人をマークする。企業批判をすることが、トヨタではタブーになります。
それから、組合活動の中では労働者という言葉を一切使わないで、「トヨタマン」と言います。あるいは生活者と言う。労働者という言葉は決して使わないのです。
労働者であることを意識させず、「トヨタマン」という表現を使うのは、経営者の一員だという意識を植え付けているのでしょう。なにしろ組合が、労働者の権利を教えないんですから。
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リコール問題についての要請書。全ト・ユニオンは、社会的に大問題になっているトヨタのリコール問題に関して、7つの要請を会社に対して行なっている。
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トヨタでは、入社してから定年まで教育尽くめなのです。段階ごとに社員に対する「教育」システムがある。それでマインドコントロールをしていくのです。
ところが組合としての教育システムとしては、定年までに1回だけ。組合役員になればなんらかの勉強のようなものはしますけどね。労働組合員としての教育システムはまったくありません。労働者の意識で働く意識がすごく薄いです。
有給休暇ひとつとっても、権利という意識がないです。権利を教えないのでは、権利はうまれないですよ。そういう意味ではものすごく貧困。
◇選挙で社内における犯人探し 24歳ではじめて職場委員に立候補して以来、いろいろな人間関係もふくめて苦労しました。そのときは当選したからまだよかった。それ以降も立候補しましたが、当選したのは最初のときだけです。
それでも選挙に立候補すれば、一票、二票は入るわけです。すると、私に一票を投じたのは誰であるかという犯人探しが始まります。実際には投票してないのに「あいつではないか」と睨まれて、嫌な思いをするわけです。
疑われちゃうんですよね。
会社のやることに協力的でないように疑われる。若月に投票しそうな人間、若月とよく話をする人間とか、その程度で犯人扱いにされる。
そうレッテルを貼られると昇進差別につながっていくのです。一度睨まれるとそうなってしまう。職制に楯突いた、と言われたり。別に楯突くわけでなく自分の意見を言っただけで、あたかも楯突いたかのように受け止められて、一生うだつがあがらない。
◇不穏分子あぶり出し作戦 なんとか社内の労働環境をよくしようと、私は選挙に立候補しましたが、最初に立候補する数年前の1971年に組合選挙制度を変えられました。それまでは、自薦候補、組合評議会推薦候補の二種類で自由に出馬できていました。
新制度では、上部団体役員と三役(委員長・副委員長・書記長)の4つのポストについては、全国で50人以上の支持書を選挙管理委員会に出して認められなければ立候補できなくなったのです。
50人集めるのは、はっきり言って大変なことですよね。全員名前を出さなければならない。つまり秘密投票ではないのです。
推薦してくれた人が組合員であることの確認をするために、選挙管理委員という建前で職場に電話を入れます。それも推薦人に名を出した組合員に確認するのではなくて、その職場の上司に電話を入れるわけです。
そうして「お前のところの誰それが、若月忠夫を支持しているが、実際におるのか」と確認をする。すると職場でばれてしまうのですよ。そうなると、まったく秘密選挙にならない。即、私を推薦した人が上司に呼ばれて説得工作.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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緊急SAMIT。8万人職場コミュニケーション総点検活動と称し、トヨタ人事部が提出した資料。若月委員長によると、このページの左上にある「重要問題の発生」とは、闘う組合「全トヨタ労働組合」の誕生のこと。
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