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柏崎刈羽原発の地震リスク、33年前から東電に指摘 運転再開は問題外

情報提供
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東電の担当者に抗議・要請文を渡す「ストップ・ザ・もんじゅ東京」のメンバー。当日は、このほかに「大地を守る会」「たんぽぽ舎」「原子力資料情報室」「日本消費者連盟」「原発止めよう・東京ネットワーク」など計12団体・グループが抗議文を直接手渡した。(8月2日、東京電力本社前。写真撮影:林克明)
 冷却水漏れ、放射性廃液の海への漏洩、放射性気体漏れ、ダクトのずれや最大1メートル以上の地盤沈降。7月16日発生した新潟県中越沖地震で、柏崎刈羽原発は重大な被害を出した。東京電力は「想定外」と言うが、1974年から33年間も地震被害の危険性を指摘し続けてきた「原発反対刈羽村を守る会」の武本和幸氏に言わせれば、必ず起きる「想定内」の地震だった。だが東電は「よい教訓をもとに安全な原発にしたい」とのん気だ。地震発生当日から数回にわたり原発敷地内に入り視察・撮影した武本氏に話を聞いた。
(代筆:林克明)

◇地震直後、原発の敷地内に入る
 7月16日午前10時13分でした。そのとき私は柏崎刈羽原発(1号機)から4km南西方向にある柏崎市松波の事務所にいたのですが、ものすごい揺れで、一瞬にして事務所の電気が消えて戸がガタガタ、本棚が倒れ、ロッカーが倒れ、机が動き、パソコンが倒れる…。強力な揺れでした。

 1964年の新潟地震のとき、私は中学3年でしたが、この地震も経験したし、2004年の新潟県中越地震も経験しました。それよりも今回は強烈でした。

 電気が消えて大きな揺れが落ち着いた段階で、本棚などが散らかっているままで外に飛び出しました。そうしたら、隣の家が道路のほうに倒壊していた。近所の人がみんな外に飛び出していました。事務所は海岸にあって、津波警報が出ている。

 そういうなかで原発と自分の家のことが心配で、私が乗っているパジェロが動くことを確認して、原発(5号)から3km北東方向の刈羽村にある自宅に向かいました。 

 家の周辺は、100メートルに一軒くらいの割合で家屋が倒壊していました。

 集落の中の倒壊建物を見回っているところに、原発のことで活躍している参議院議員の近藤正道(社民党)さんから電話がありました。地震直後携帯は通じませんでしたが、しかし外からはかかってきました。

 西山インターで近藤さんと合流して、交通止めになっている北陸道を、柏崎インターまで走りました。橋のまわりは30センチくらいの段差がついている状況でしたが、緊急車両の証明書で柏崎インターまで来ました。

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「原発反対刈羽村を守る会」の武本和幸氏。
◇機能不全の原子力防災センター
 柏崎インターから、原発事故があった際のオフサイトセンター(原子力事故が発生した際に、現地で情報収集や避難指示などの対策を講じる機関で、東海村の臨界事故以降に各地の原発にできた)に行きました。そうしたら電話番が一人。

 「担当者が7人いるんですが、ほかの人はみんな原発に向かっていて私はよくわかりません」ということでした。

 ここじゃだめだ、ということで隣の建物に県の機関があったので行くと、そこは停電でした。自家発電でNHKの放送を流し、集まってきた約10人がその番組を見ていた。それが、新潟県の機関の状況でした。

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写真上から
■写真1:波打つ地面、ダクトのずれ

■写真2:火災のあった変圧器

■写真3:ダクトのずれ。地面・支持台が不等沈下

■写真4:変圧器の傾き

■写真5:使用禁止命令が出された非常用ディーゼル発電機燃料タンク。地面は不等沈下している。
(撮影:武本和幸)
 このときわかったのは、地震の大きな被害は、原発を中心にして10キロ圏。そして午後4時に安倍総理がヘリコプターで来るということでした。そうだったら、まず原発へ行こうじゃないかということで原発に向かいました。

 ところが、柏崎市周辺の道路は渋滞でほとんど動きがとれません。回り道をして田んぼ道を行きました。

◇地面が波打つ原発敷地内
 1時間で原発に到着しましたが、敷地内は激しく波打っている状態でした。安倍総理が説明を受けた場所ですが、敷地の中を見て私は驚きました。こんなに地面が波打ってる(写真1)

 波打った地面は、その後の修復作業で砂利で埋めてあります。

 また、2号機の建物への搬入口付近では、荷物を運び出す道路のヘリがめくれ上がっています。そして照明灯が好きな方向に、あっちこっちに傾いています。こういう状況を見てから、いったん原発を後にして柏崎の市街地に行きました。

 柏崎の本町通りは3軒に1軒くらいの割合で建物が倒れていた。このような状況を確認しました。

 これが、火事が出たトランスです(写真2)。原発の電気を所内で使うときに電圧を落とすために使う変圧器が火災を起こしたというものです。

 まず火事が起きた場所にいたる前に排気塔があります。排気塔のダクトが歪んでいました。156メートルくらいある排気塔なのですが、排気塔ダクトそのものは頑丈な基礎構造になっている。しかしダクトを支える台は普通のものだったので、その部分が下がってしまったそうです。それによって歪みが出た(写真3)

 それから、ダクトが様々な方向に折れ曲がっている部分も相対的に頑丈であるために、支える台が沈んだためにダクトが歪む。こういう状況がありました。

◇火災発生の変圧器周辺の構造物が浮き上がっていた
 火災を起こした変圧器の黒くなった部分にいろいろな人が注目していたので、私は変圧器の周辺を中心に見ていました。そうすると、いま3つ並んでいるのですが、変圧器に付属する構造物が浮き上がって、一部切れています(写真4)

 いたるところで地盤は沈下しています。そして1メートル以上沈下した部分もあります(写真5)

 柏崎市長は、間髪をいれず対応しました。消防が行って火事を消した後、現地のいちじるしい地盤の沈下を見て、原発を動かしたい国は何をするかわからないから、非常用ディーゼル発電機を使ってはならないという命令を7月18日に出しました。

 非常用ディーゼル発電機の軽油タンクには1週間分の燃料が入っていたそうです。これは柏崎市長が使用許可を出すものなので、消火活動が不完全な中で使ってはならないという命令を柏崎市長が出したわけです。

 地中配管を通って非常用発電機につながっています。火災現場には、東京電力の消防隊が4人で駆けつけたんだそうですが、彼らは消火栓を使えない。

 というのは、消火栓の配管が全部破断して水が出なかったから。そこで、消防に応援を頼んで、東京電力の消防隊は見ていたそうです。

 ひとりは消防自動車が来たときに施設に入るために門のところで待っていたといいます。

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写真上から
■写真6:タンク保護壁の地盤沈下は1メートルをゆうに超す。写真は近藤正道参議院議員

■写真7:配管保護コンクリートの損傷

■写真8:地盤沈下と消防配管の破損(修理されている)

■写真9:地盤が縦にひびわれている。

■写真10:ろ過水タンクの下部がゆがんでいる

■写真11:6号機使用済燃料プール。水があふれた。
(撮影:武本和幸)
 これが、タンクの防御壁(写真6)。油がこぼれないように2メートルくらいの壁がありまして、写真に写っている近藤正道参議院議員の身長と比べると1メートルをはるかに超える地盤沈下があったのです。このコンクリートの中を軽油の配管が

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読者コメント

maronhappy2008/02/01 02:51
ところで以前2008/02/01 02:51
地熱発電!2008/02/01 02:51
本当は2008/02/01 02:51
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