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早稲田鉄道研究会 氷河期世代のキャリア、趣味どころでない現実

情報提供
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2度目に勤め、今は倒産している会社の入っていたビルと私(小林拓矢)。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒、鉄道研究会出身のフリーライター。鉄道について書く機会を募集中。他山の石書評雑記(フリーライター小林拓矢のブログ)
 早稲田を氷河期後期(2003年)に卒業した人は、いかなるキャリアを歩んでいるのか。筆者が所属していた鉄道研究会の同級生7人を検証したところ、ストレートで正社員になれたのは2人だけで、うち1人はすぐに辞めた。残りは紆余曲折を経て、公務員、フリーランス、無職などに。結婚や金銭的な収入増など期待しにくい氷河期世代の鉄っちゃんとしては、もはや鉄道を趣味にするどころではなく限界にきている。「ヒルズ族IT長者」でも「ネットカフェ難民」でもない20代後半のリアルな苦闘をお伝えする。

【Digest】
◇教えないで「覚えが悪い」とクビ
◇パワハラ蔓延の悪徳商法に潜り込む
◇再度の就職先ではいじめ
◇口を開かない氷河期世代
◇「親の世代よりよくはなれない世代」
◇ほとんど給料が上がらないSE
◇趣味に生きられない氷河期鉄ヲタ



 鉄道とは「金を失う道」と書く。だが失う金すらない氷河期世代の非正規社員としては、鉄道趣味活動さえできない。たまにはどこかに乗りに行きたい、写真も撮りたいし駅弁も食べたい。旅行貯金もしたい、と思う。

 正直、近年の新卒バブルが羨ましい。2003年から2005年にかけての氷河期後期には、東京大学を卒業したニートがいるという話も出ていた。

私は本来2003年3月に早稲田大学を卒業するはずだったが、就職先が決まらないので2004年まで先送りした。それでも仕事はなく、卒業して無職に直行だった。

 鉄道研究会の同級生は、その中でキャリアをいかに積み重ね、並行して趣味活動を続けてきたのか。以下、詳細に述べよう。

◇教えないで「覚えが悪い」とクビ
 鉄道研究会会員の希望就職先で人気があったのは、やはり鉄道業界である。電通やフジテレビに行きたいという人はいないが、JR各社に行きたいという人は多いのが特徴である。だが、それを果たせる人は少ない。

 鉄道研究会の同期7人のうち、卒業してすぐに就職したのは2人だけで、上場企業はゼロ。そのうち名前が広く知られている大手企業は、全国紙に行った1人だけで、その人も、せっかく入った新聞社を辞めてしまった。もう1人は、国内系の中小ソフトウェア開発企業だった。残り5人は、留年するか、大学院に進学した。

 私の場合は、基本的には新聞社の記者職に絞って就職活動をした。当時世間では「自分のやりたいことを考え、それに向かって業界や職種を選び就職活動をせよ」という意見が多数あった。

 私もそれに従い、就職予備校などに通い勉強した。そして新聞社を受け、朝日新聞社と読売新聞社では筆記試験を通過して面接には行ったものの、一次でダメだった。

 朝日新聞社の面接では、タブーに触れてしまった。

 「どんな記者になりたいですか」

 「本多勝一さんのようになりたいです」

 後々朝日新聞の現役有名記者に「本多さんの名前を出してはいけない。ついでに私の名前も出してはいけない」と言われた。まだ、鉄道の話だけをしていたほうがよかったかもしれない。

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最初に勤めた会社。社員が80人近くいるのにビルのワンフロアの半分だったのは、ほとんどが客先常駐だから。
 1年留年して再度受け、再度落ちて、職無きままに、2004年春に卒業。こうなると鉄道趣味に時間を割くどころではない。卒業後は、地元や東京などのハローワークで仕事を探し、8月に東京で、あるソフトウェアの会社に就職した。

 まずは研修を受けた。研修の内容は教科書を見ながらテキストエディタにjavaのプログラムを打ち込み、その後E-learningシステムで問題を解く。1日に1回、部長が本の解説をする。

 背広を着て出社して、パソコンに向かう。ただそれだけの毎日だった。部長が夏期休暇を取っている間も、私は出社してパソコンに向っていた。8月中旬、土日は休日なので、鉄道関係の同人誌を買いに日本最大の同人誌即売会コミックマーケットに行った。その翌日、部長が出社して言った。

 「覚えが悪い」。そう言われ、翌日解雇されたのだ。在籍は18日間だった。

 私は、この会社に勤めるため、物件を探し自費(親の金だが)で引っ越しをした。会社の都合で引っ越しをしたのに引っ越し代は支払われない。それに、書類上の扱いは「自己都合退職」とされ、解雇予告手当ても出なかった。

 清水直子著『おしえて、ぼくらが持ってる働く権利』(合同出版)によると、「解雇する場合、雇い主は、30日前に伝えるか、その日から解雇するなら給与のほかにその30日分以上の『解雇予告手当』を支払わなければならない」と書いてある。

 労働基準法上でも14日を超えて働いたものは試用期間でも解雇の際にこの手当を支払わなければならないとされている。また、解雇権は濫用してはならず、試用期間中の解雇も裁判で闘えば覆せる判例もある。このことを知らなかったため、いいようにやられてしまった。今なら個人加盟ユニオンに入って闘えば覆せるだろう。

 保険証を翌々日に返しに行った際、総務の人に言われた。

 「自分の向き不向きを考えて、今度は適切な仕事を探しなさい」

◇パワハラ蔓延の悪徳商法に潜り込む
 急に仕事を探すことになった。ハローワークの合同就職フェアに何度も通い、書類を出し、面接を受け続けた。その間、私を解雇した会社が就職フェアにブースを出しており、解雇した当の部長がいた。

 「簡単に人を首にする会社が人を雇っていいのか」と私は怒鳴りつけた。

 「金を払ったからいいだろ」当の部長は言った。

 「ふざけるんじゃない!」とさらに怒鳴る。

 その頃は、趣味の鉄道どころではなく、遠方の路線に乗りに行ったりする余裕はなかった。

 翌2005年の2月末頃の就職フェアで、次の職場がやっと決まった。正社員だ。会社説明では「外国為替の関連仕事」と言っていた。何の仕事かわからなかったが、筆記試験と面接とが通ったので、同年4月から入社することにした。

 入社が決まって会社案内などを見ると、「外国為替証拠金取引」というものらしい。そのころは「多分、取引に関する業務雑務を行うのだろう」などと思っていた。

 大阪の本社に研修で行った際、大きな声で挨拶をする練習ばかり繰り返させられた。その際に人事部長は、雑談で夜の街での女性との交際の話と、「この会社は儲かる」の話ばかりしていた。

 勤務先は東京駅八重洲口徒歩1分。求人票では9時出社のはずが、8時には出社するよう言われた。初日から2日くらいは外国為替証拠金取引についての本を読まされ、その後、すぐに朝7時出社と、また朝が早まった。

 勤務内容は、電話で個人向けに新規の勧誘営業をすることだった。朝1時間は日経新聞を読み合わせ、8時から20時まで電話をし続ける。そのまま帰ることはできない。顧客への郵送物などを作り、かつ部長が帰るまでは帰ってはいけない。

 遅刻したら罰ゲームとして同じ部の人全員にコーヒーを買ってこなくてはいけない。無論自費だ。ノルマは、記憶では1日5件の見込み客のアポイントメント獲得だったが、400件かけて、1件くらいがせいぜいだった。営業成績の悪い人は怒鳴られ続ける。その上、市場が始まる前の朝早い時間には、客に対して「押し売り」の電話をしなくてはならない。

 5月の末頃、ちょっとしたことがきっかけで副部長に頭を殴られた。殴られた後、会社の床に正座させられた。社員に暴力を振るうような会社はやばいだろう、と思って、退職した。なお、この会社は、その年のうちに倒産した。

 その足で、知り合いがアルバイトをしていた雑誌の編集部に売り込みに行き、フリーライターになった。

◇再度の就職先ではいじめ
 つまり、2005年6月からライター生活が始まったことになる。住居費がかからない実家に戻り、2年ほど『週刊金曜日』『週刊SPA!』などの媒体に、社会問題などの内容の記事を書いていた。だが、不安定なフリーライターではなく、正社員になりたいとの思いは常にあった。

 2007年半ばから、中途採用が盛んになったとメディアでは報じられた。そこで私も、と思い、ライター活動を職務経歴書にまとめ小さな出版社や雑誌社に応募して、最初に内定を貰った会社に、2008年3月に入社することに。再度、東京近郊に引っ越した。今度は入社にあたり転居費用が出たのは嬉しかった。

 仕事は、運送業界の、業界紙記者。これまでのライターとしてのキャリアを生かした就職だった。だが体育会出身の強圧的な会社の先輩にいじめられ(パワハラ)、仕事が思うように出来なくなり、「仕事ができない」とみなされ、同じ月に解雇された。在籍は19日間で、またも試用期間中の解雇だった。

入社してすぐ、「この会社は大丈夫か」という思いがあった。役職者以外のほとんどが社歴3年以下。しかもその上、社内の人事に関する掲示に、「退職 ○○○○ (試用期間中の解雇)」といったものが貼られていた。他にも、退職者が何名も掲示され、私が在職中にも1人退職した。出入りの激しい会社だった。

 今度は、しっかりと解雇予告手当が出た。しかも、実家への転居費用も出た。が、精神状態は非常に悪くなった。

 そして私は今年4月、すぐにフリーに舞い戻った。

◇口を開かない氷河期世代
 以上が私のたどったキャリアであるが、鉄道研究会同級生の、私以外の6人はどういう道をたどっているのか。可能な限り取材を試みた。

 新卒で全国紙に勤務した人は、

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A君の横顔。A君自身で撮影した。私と似ていると言われるが、眉の濃さが違う。

私、A君、B君が在籍していた鉄道研究会のある学生会館。

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SuzumiyaRyosuke2009/03/25 14:53

1年留年して再度受け、再度落ちて、職無きままに、2004年春に卒業 1979年生まれの氷河期世代フリーライター。 山梨県出身。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒

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Blue-Period2008/07/05 13:35

自分なんかオフィス賃貸料が自分の家賃並の会社だったけどな。>『最初に勤めた会社。社員が80人近くいるのにビルのワンフロアの半分だったのは、ほとんどが客先常駐だから』

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布原信吾2016/10/27 14:14
布原信吾2016/10/26 13:08
布原信吾2016/10/26 13:01
ひろでん2012/07/18 22:25
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読者2008/07/04 21:59
Re: RU2008/07/04 21:55
RU2008/07/04 09:32
おいどん2008/07/04 06:21
氷河期の苦労2008/07/04 00:58
Y.M.2008/07/04 00:12
泉太郎2008/07/03 22:35
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