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菅直人元総理から見た3・11原発事故対応の現実 (下) 事故当日、2つのタイムロス発生の真相と原因

情報提供
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「誰も原子力安全保安院のトップが原子力の素人だとは誰も思わないでしょ。そういう問題があると、次の問題に関わって来るわけ。それが事実なの」。厚生大臣時代とは異なり、総理をサポートする官僚が専門家でなかったことを問題視する菅元総理。
 なぜ住民避難が遅れ、住民が被曝したのか――これが福島第一原発事故の解明でもっとも重要な事実の1つである。あと30分避難開始が早ければ、双葉町の最後の脱出組は、3月12日の水素爆発の降下物を浴びずに済んだからだ。そんな1分を争う事態だった事故当日、不可解な時間のロスが、2つ起きていた。1つは、菅総理が、法律上、住民避難を始めることができる「原子力災害非常事態宣言」を出さないまま与野党党首会談に出向いてしまったこと、もう1つは、テレビ映像用に「やらせ閣僚会議」を開いていたことだ。菅総理は自分がハンコをつかなければ、法律的に原発周辺の住民避難を始めることができないことを知らなかったのか、ならば、なぜ周囲の官僚組織・保安院をはじめとする専門家が誰一人としてそれを教えなかったのか。やらせ閣僚会議は、海江田氏が「閣僚の一人が言い出した」と自著に書いているが、誰の発案だったのか。ジャーナリストの烏賀陽氏が、当事者の菅元総理に迫った。
Digest
  • 住民避難があと30分早ければ…
  • 17時15分の「あと1時間」情報が伝わっていたら…
  • 原子力災害非常事態宣言を出さずに党首会談に
  • PBS情報はなぜ見過ごされたのか
  • テレビ用やらせ閣議を開いたのはなぜか
  • 福島第一原発内部ですら情報共有ができなかった
  • 厚生省と原子力安全・保安院はまったく違った
  • 国会事故調に調査を継続させるべきだ

3・11当時の総理大臣だった菅直人・衆議院議員へのインタビューの後半を報告する。(→前半はこちら

後半では拙著『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』(明石書店)で取り上げた、3・11当日のいくつかのロスタイムについて尋ねた。

ひとつは、「なぜ避難命令の法律的な開始宣言である原子力災害非常事態宣言を出さないまま与野党党首会談に席を外したのか」。

いまひとつは、(ただでさえ時間がないなかで)「テレビ用のやらせ閣僚会議を開いたのはなぜか。それは誰の発案だったのか」である。

住民避難があと30分早ければ…

総理大臣は原発事故の際、住民避難を命じる権限者として法律(原子力災害特別措置法)に定められている。総理がハンコをつかなければ、住民避難は始まらない。

『メルトダウンまでの50年』で私は、2011年3月11日の地震発生から、翌12日の福島第一原発1号機の水素爆発までの約25時間に絞って、政府内(原子力安全・保安院、経産省、首相官邸など)の情報伝達で、どれくらいのロスタイムが生じ、それが周辺住民避難の遅れにつながったかを精査してみた。

原発が立地する福島県・双葉町にある「双葉厚生病院」(原発から3キロ)から避難する途中だった住民約300人が、30分差で水素爆発からの脱出に間に合わず、爆発の降下物を浴びたからである。住民避難があと30分早ければ、住民が放射性降下物を浴びることはなかった。つまり、原発事故の際は、政府内部での30分の時間のロスが、周辺住民にとっては致命的な遅れにつながる。これが福島第一原発事故の重要な教訓である。

そのロスタイムが発生したいくつかのポイントに菅総理がいたことが、その場に居合わせた関係者の証言でわかっていた。

このインタビューの後半は『メルトダウンまでの50年』の出版前に菅氏への取材が実現していれば、その中に織り込まれたはずの部分である。そういう意味で、本インタビューは同書の「バージョン・アップ」である。8月に発行予定の同書電子版には、こうした紙版発行後に取材してわかった内容「バージョンアップ」を反映する予定だ。

17時15分の「あと1時間」情報が伝わっていたら…

―――冒頭(上巻)のお話に戻ります。17時15分に「TAF(注:有効燃料頂部。ここから下に水位が下がると、燃料棒が露出して空焚きが始まる)到達まであと1時間」という事が総理の耳に届いていたならば、その後の展開がだいぶ変わっていたと思うのです。この17時15分というのは非常に微妙な時間だと考えます。というのは、海江田大臣が「15条通報」と「原子力非常事態宣言発令の上申書」を持って官邸に駆けつけ、総理に会ったのが17時42分です。もし17時15分のすぐ後に総理の耳に届いていたとしたら、ご自分の行動はどういうふうに変わっていたと思われますか?

(※15条通報=原子力災害対策特別措置法第十五条に定められ、主務大臣が全電源喪失・冷却材喪失など原子炉が重大な事態に陥った際に総理に報告し、総理は原子力緊急事態宣言を公示する)

「(手元の資料を見て)ここには15条通報は17時36分に(首相官邸に)到着と書いてあるね。まあ、時間はあちこち、いろいろ書いてあるからね。まあ、だから、そこはあまりね、ファクトではないことをね……あまり言いにくいですね。『もし〜だったら、こうなった』とはね。ただ、少なくとも先ほど言ったように、原災本部というのは(原発の)オペレーションをする本部ではない。それをするのは東電だから。こちらは、避難の問題なわけですよ。私は先ほども言ったように、翌日一番に(ヘリで現地に)行ったのは、原子炉の状況がわからなければ避難の指示を決められないからで、そして斑目さんの意見を聞きながら、3キロ、5キロ、10キロ、20キロと、どんどん決めて行ったわけです」

―――範囲が広がっていったわけですね。

「まあ時間差はありますが。逆に言って、もしそんなに早い段階でメルトダウンが起きる事が伝わっていたら、それ(その情報)に斑目さんがどう答えたか、ですよ。それによって斑目さんが『そんなに危ない状況なら、もっと広範囲にわたって避難命令を急いで出した方がいい』と言っていれば、出したでしょうね」

原子力災害非常事態宣言を出さずに党首会談に

原発の担当大臣であり、原発事故への対応にあたっていた原子力安全・保安院の担当大臣でもある海江田万里・経産大臣(当時)の回顧録『海江田ノート』(講談社)を引用しながら、ここまでの背景を説明する。

17時35分,経産省の大臣室にいた海江田大臣は「福島第一原発1,2号機が崩壊熱を冷却する電源をすべて失った」(=15条通報)という報告を保安院から受けた。原発が深刻な事態に陥っていると海江田氏が認識したのはここからだ。それまでは海江田氏は「運転中の原発はすべて緊急停止した」という報告で「原発は大丈夫なのだな」と考えていた。「原子力緊急事態宣言を出してくれ」という総理への上申書を持ち、海江田氏は首相官邸に向かう。菅総理に会ったのは17時42分である。

以下、海江田氏の前掲書から引用する。

私は、総理がすぐに原子力緊急事態宣言の案を承認してくれて、原子力災害対策本部を立ち上げてくれるものを考えていた。

ところがこのときの総理の反応は私の予想とは違っていた。先ほどの緊急災害対策本部会議の時の冷静さが失われていたように私には映った。

「原子力緊急事態宣言を出したらどういうことになるかわかっているのか」
「これは大変なことだ」
「チェルノブイリと同じことだぞ」
「チェルノブイリと同じことが怒っているのだぞ」

――チェルノブイリという言葉が何度か菅総理の口から出た。もちろん、大変なことになっているのはわかっているからこうして飛んできたのだ――と反論したかったが、総理の剣幕は私が意見を挟む余地を与えなかった。

そのうち、議論は、原子炉の状態がどうなっているのかの話になった。事故発生から官邸に詰めている寺坂院長は事務官僚だから、総理の細部にわたる技術的な質問には答えられなくても仕方がないのだが、院長の曖昧な答えが総理の怒りを増幅させた。

原子力緊急事態宣言発令はそっちのけで、こうした議論が始まってしまったが、私は議論を原子力緊急事態宣言に戻した。

すると今度は、

「原子力緊急事態宣言を出す法的な根拠はどうなっているのか?」
「どの法律のどの条文に具体的にどう書いてあるのか?」

との質問が総理から発せられた。(中略)

総理の秘書官室にあった「緊急事態関係法令集」が執務室に持ち込まれ、全員で検討に入るが、なかなか具体的な条文が見つからない。

そうこうするうちに、官邸で与野党の党首会談が始まる時間になってしまった。総理が執務室を離れて、党首会談の会場に入ったのは午後6時12分。その間、残った我々は、懸命に法律の条文を探す。結局、最後にわかったのは、原子力災害本部についての細かい規定は「原子力災害対策特別措置法」、さらに施行令、経産省の省令に記載されていることだ(中略)。

 党首会談から戻った総理に、その旨丁寧に説明して、納得を得、原子力緊急事態宣言が発令されたのは午後7時03分
 (前掲書18〜20ページ)

海江田氏も同書で指摘しているが、緊急事態宣言発令を要請すべく海江田経産大臣が菅総理に面会してから、発令されるまで1時間21分が費やされた。

 なぜ菅総理は、海江田大臣の要請が来たら、ただちに緊急事態宣言を出さなかったのか。宣言が出ないと、法律上、住民避難は始められなかったのに、なぜなのか。ここでの菅総理の行動は、私には非常に不可解だった。

―――「非常事態宣言発令の要請を海江田大臣が要請に来たとき、決裁をしないまま中座して、与野党党首会談に行った」と海江田氏の回顧録にあります。党首会談に中座される前に非常事態宣言を出すという選択はありえたと思いますか?

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震災当日の菅総理。住民避難命令に必要となる「原子力緊急事態宣言」が発令されるまでには、海江田経産大臣の要請から1時間21分が費やされていた。

「あんまりだからね、私からすると、そういう『こうなったかもしれない』『ああなったかもしれない』というような事は…後になって話を作るようなものなんです。それより事実の問題なんですよ。もうちょっと言うと、最初に出来ているのは『原災本部』ではないんです。地震の緊急対策本部で、こちらも総理がトップなんです。メンバーはほとんど同じなんですよ。

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当時は福島第一原発内で1,2、3号機で危険な状態が同時進行していた。それらの複数の情報が錯綜していたため、どれがどれか、よく理解できなかった、明瞭には記憶していない――菅氏はそう言っている。

海江田氏「閣僚の一人が言い出した」菅氏「総理の事は『閣僚の一人』とは言わないだろう」

「一番の事実は、原子炉がどうなっていたか。それがないと、また同じような事故が起きた時に対応出来ないんです」

筆者と菅氏の意見が一致したのは「事故原因にかかわる未解明の事実がまだたくさんある」「事故原因の本質的な部分はまだ調査が不十分」という点だった。

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 2016/08/02 22:17
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