週刊新潮と日テレ、虚報の教訓
自分でスクープと題してデカデカと誤報を4回も連載し、その誤報の過程を再びスクープ扱いでトップ記事として載せるというマッチポンプ状態。もはや末期的であることは誰の眼にも明らかである。
ただでさえ週刊誌は信憑性が低く、もっともネットに食われている媒体なのに、とどめをさされたかな、という印象。既に広告費ではWEBに抜かれて4位転落しているが、これまでは、かろうじてニュース媒体としての価値は残っていたと思う。だが、少なくとも私のなかでは、これで週刊誌は完全に終わったな、という感覚を強く持った。
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島村氏はカネ目当てで朝日の記者を襲撃したと言っているのに、依頼したというアメリカ大使館職員からいくら振込まれたのか、といった基本的な数字が出てこないのにビックリ。ずっと疑問に思いながら読み進めても、ついぞ触れず。取材でそんなことも聞いていないんだろうか。書けないならば、その理由を記すべきだろう。
ぜんぶ読んでも、結局、「島田氏が真犯人でない根拠」が何ひとつ伝わってこない。それどころか、これだけ読むと、いかにも、まだ島村氏が犯人である可能性がかなり高いと読めてしまうのに、本人が否定し始めたからといって、早川編集長は「誤報でした」と謝罪している。意味不明だ。本人による否定と犯行の事実関係は別の問題である。
これで、あとから証拠が見つかってやっぱり島田氏が犯人だった、となったら恥の上塗りではないか。ということは、おそらく、とても外には恥ずかしくて言えないような決定的なミスが編集部内にあって、100%誤報である根拠が別にあるのだと思う。それを書いていないから消化不良なのだ。はっきりしないお詫び記事である。これで検証記事かよ、と思った。
教訓としては、頭の中で空想、捏造することは簡単で、世の中に詐欺師はたくさんいるのだから、証拠がない状態でこんな大事件を記事化してはいけない、ということだ。当り前のことだし、私もMyNewsJapanでは証拠を重視している。
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一方、日テレの「バンキシャ!」は岐阜県庁の裏金についての捏造証言を垂れ流したわけだが、取材した制作会社の人間(もちろんプロとしての訓練を受けていないアマチュア記者だ)と証言者がグルでやった可能性が高い。薄々ウソだと思っていても、アウトプットを出さないと制作費を貰えないから、流してしまえ、という話になる。日テレの社員プロデューサーは取材に立ち会わないのだから、チェックしようがない。
ただ、テレビが雑誌よりましなのは、映像から判断できることだ。たとえば日テレが流したような、顔も声もボカした証言ならば、全部ウソに違いない、と推測できる。だが雑誌の場合、文字だけだと、映像が不要な分、捏造が簡単で、見抜くことも難しくなる。
「経験豊富なプロの記者が証言者と向き合い、重要事項については物証を押さえる」。新潮も日テレも、こういう基本ができていなかったというだけの、極めてレベルの低い話なのだった。
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