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死ぬまでやってほしかった田原氏の降板

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唯一、欠かさず録画して見てきた政治番組だったのですが。残念。テレビの凋落を象徴してますね。

 テレ朝 小宮&田原氏が降板へ
田原氏は89年4月の番組スタート時から、政治家の討論コーナーのホスト役を20年にわたって担当。各党幹部から引き出した発言が新聞などで報道され、政局に影響を与える「サンプロ現象」を呼び起こすなど、こちらも番組の顔として大きな注目を集めてきた。後任は人選中。もうひとつのレギュラー番組「朝まで生テレビ!」(金曜深夜1・25)には引き続き出演する。
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局アナに代わりが務まるわけないし、ほかに視聴率とれる適任者も見当たらない。テレ朝は、後任が視聴率を取れないことを理由にして、遠からず番組ごと消滅させるつもりでしょう。

また、もとどおりの、どうでもいいバラエティー番組みたいなのが1つ増えるだけ。

田原氏には、死ぬまでやってほしかったし、番組中にかっこよく死んでほしかった。本人もそのつもりだと思っていたのですが。

いま、わたしが出ている「サンデープロジェクト」も、スタート時はワイドショーだった。スポーツコーナーがあり、ローカルな話題があり、芸能人のコーナーがあり、その一角に15分間のわたしのコーナーがあった。当初は、ゲストも、政治家に限らず、時の人、話題の人を、ということではじまったのである。いまでもよく覚えているが、第一回のゲストはハマコーこと、浜田幸一だった。政治を真っ向から論じようという気はなかったのである。

ところが、しばらくやっているうちに、政治家の話は面白いぞ、という反応が出てきて、それにつれて視聴率も上がってきた。すると、テレビというのはいい加減なもので、わたしのコーナーは一時間近くに拡大され、内容もほとんどが政治トークになってしまった。いま、「サンデープロジェクト」をワイドショーだと思っている人はいないだろう。番組は生き物であり、どんどん変わっていく。

(中略)

私の理想の死に方というのは、こうだ。『朝まで生テレビ!』で、さっきまであれこれ吼えていた田原が妙に静かになったなと、出演者たちが見る。そこで田原は息絶えていたというのが、私の理想なのだ。その日まで、私はつねにテレビの現場で格闘し続けたいと願っている

--『メディアと権力のカラクリ』(田原総一朗)より

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