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日本市場で成功するには 『オーマイニュースの挑戦』

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 韓国で大統領選にも影響力を持つようになったインターネット新聞「Ohmynews」のオ・ヨンホ代表がその軌跡を記した本。2000年に創刊し、いまや市民記者登録者3万2千人(2004年6月現在)が、毎日200本の記事を送ってくるという勢いだ。私自身、このモデルを参考とするため2001年に現地取材をしたが、そのまま移植しても成功しないと強く感じた。
Digest
  • 日本と違う前提条件
  • 日本での試みの現状
  • 時代と国民性
  • 「準備された市民」がいない
  • あの時代、あの人がいたから
  • 団塊ジュニアのマーケット特性
  • 団塊ジュニア以降の心をとらえる記事の提供
  • 日本の「情報流」の現状を気づかせる
  • 市民記者制によるジャーナリズムが、戦中・戦後体制を脱皮させ、人々を精神的に充足させる
  • 人類の普遍的真理に対する気づきを与えるジャーナリズム

【Digest】
◇日本と違う前提条件
◇日本での試みの現状
◇時代と国民性
◇「準備された市民」がいない
◇あの時代、あの人がいたから
◇団塊ジュニアのマーケット特性
◇団塊ジュニア以降の心をとらえる記事の提供
◇日本の「情報流」の現状を気づかせる
◇戦中・戦後体制を脱皮させ、人々を精神的に充足させる
◇人類の普遍的真理に対する気づきを与える

日本と違う前提条件

韓国で成功を収めたモデルを日本にそのまま導入しても成功しないのは、前提が大きく違うのだから当然である。オ・ヨンホ代表は著書のなかで、「オーマイニュース」躍進の理由を5つあげている。これ自体には私も異論はない。

1.韓国ではこれまでのマスコミに対する不信と不満が、数十年にわたって歴史的に積み重なってきた

2.若い人たちへの政治への参加精神がどの国よりも高い

3.インターネットインフラが世界のトップレベル

4.韓国では1つの問題に対する「集中度」が高く、単一民族

5.韓国の土壌が市民記者制を望んでいた

 3と4は日本も全く同じであるが、残りの3つは180度違う。

1【マスコミ】については、日本では、マスコミに対する不信感が弱い。これは、日本の新聞は、積極的に嘘を書くほど悪くないからだ。日本のマスコミの問題は「重要なことを書こうとしない」ことにある(例えば田中角栄の金脈は立花隆が報じたものだし、同様に西武・堤家の問題も昔から言われていたことがずっと放置され今頃問題になっている)が、それは読者のリテラシーが低いこともあって、不信感にはつながっていない。

2【政治】については、言うまでもない。若い人ほど選挙にいかないし、とにかく政治に対し冷め切っている。内向きで個人主義的な傾向が強い。韓国では盛大な「落選運動」があるが、日本ではそのような動きは全然盛り上がらない。イラク戦争においても、日本はどの先進国よりも反対デモに参加した人が少なかった。私自身、参加していない。

5【市民】については、そもそも市民という意識が日本人にはない。戦前は皇民、戦後は会社人間。「勝ち取った民主主義」でないため、市民意識が育たなかったのである。韓国は軍事独裁政権との戦いのなかで市民運動、労働運動が活発化し、市民権を勝ち取ってきた歴史があるから、全然違う。

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日本ではあり得ない市民記者らによる会合(「NEWS23」より)

本書によれば、オーマイニュースは、市民団体の「民主言論運動連合」が母体である。この団体向けに新人記者養成プログラムの講師をしていたオ・ヨンホ氏が受講生に呼びかけ、4人で始めたのが、そもそもの始まりという。

一方、日本には社会的に認知された市民団体が存在していない。道行く人に尋ねれば、100人に2人くらいは、弁護士らが各地で組織している「市民オンブツマン」あたりを口にするかもしれないが、それ以外の名前は出てこないはずだ。

日本での試みの現状

本書でオ氏はこう述べている。「『オーマイニュース』を三度訪問した日本のマスコミ関係者は、2002年の初めに『オーマイニュース』と同じようなコンセプトのインターネット新聞を作った。しかし、それほど成功しなかったようだ。」

これは「JANJAN」のことである。前提を無視して、まともに、そのままの形を持ち込もうとしたのだから、うまくいくはずがない。富士ソフトABCという鎌倉市に本社を置く上場企業が、元鎌倉市長の竹内謙氏(JANJAN現社長)の要請で億単位のカネを拠出し運営されているという。これだけ財政的に恵まれているのに「成功しなかったようだ」という原因は、やはり前提条件が違うからだろう。同社は株式会社だが売上げはゼロに近く、富士ソフトの株主は、何らの利益(というか売上げさえ)も生まない事業に巨額を投じることに対し、よく黙っているものである。

一方、ライブドアも昨秋、オーマイニュースをまともに参考にして、同様のモデルで記者を募集し、1日の講座を受講すれば誰でも「パブリック・ジャーナリスト」(要するに市民記者)になれる仕組みを作り、既に記事も掲載され始めているが、ろくな記事がない。立花隆氏は「文藝春秋」(2005年5月号)で下記のように述べている。

「これと似た制度が韓国で爆発的に成功し、影響力において既成メディアに拮抗するところまできているが、ライブドアはケチなビジネス・モデルを作ったため(記者は起りうるすべてのトラブルに自己責任で対応。取材費も自己負担。記事を書いてもキャッシュの報酬はなく、ライブドアのページで使える『ポイント』の報酬しかない、など)、ろくな記者が集まらず、従ってろくな記事も生まれず、若干の有給自社記者によって、かろうじて自社発の記事をアリバイ的に数本出すというレベルにとどまっている。」

ここでは「ケチなビジネス・モデルを作ったため」としているが、「オーマイニュース」の原稿料も、トップ記事で1万ウォン(約1千円)、サブ記事で5千ウォン(約5百円)、それ以外が1千ウォン(約百円)であった(2002年8月現在)。ライブドアのパブリックジャーナリスト講座の受講者によれば、1本記事を書くと、1千円相当のポイントが貰えるという。講座が8千円なので、記事を8本書かないと元が取れないそうだ。

確かにケチだが、韓国でもトップ記事で1千円だから十分にケチなのであって、韓国での成功要因がそもそも金銭的報酬でないことは明らかである。私が2001年に韓国で市民記者4人ほどに話を聞いた際にも、「原稿料が欲しくて記事を書いている人など、ほとんどいないので、記者に払うより会社の運営費に充てたほうがいいと思う」というのが支配的な意見であった。

時代と国民性

これら前提条件が異なる日本において、市民記者制のネット新聞を成功させる場合、もっとも意識しなければならないのは、下記2点である。

1つ目は、「時代」の認識である。

韓国は今、軍事政権との長い民主化を求める闘いの影響で、市民運動、労働運動が盛んである。「三八六世代」(30代、80年代の活動家、60年代生まれ)などが血を流すような学生運動・民主化運動を80年代、90年代と必死でやってきて、その下の世代もその流れを受け継いでいる。

創刊6ヶ月目(2000年夏)、金泳三氏が自分の特別講義を阻止する高麗大生に対抗して高麗大正門前で座り込みを続けたとき、オーマイニュースは、それを14時間にわたって生中継をして読者をクギ付けにした。日本では大学が冷めているので、この種の事件がそもそも起きない。

2004年3月、ノムヒョン大統領の弾劾案が国会で強引に可決されてしまったことに対して、光化門では25万人の市民たちがロウソクを持って反対の意志を示した。オーマイニュースは、動画で生中継した。日本では、市民団体が30人くらい集まるのがせいぜいだろう。この25万人たちは、まさに潜在的なオーマイニュースの読者だ。それに対し、日本のマーケットは30人かもしれない。

2001年8月、私は韓国・ソウルに視察に訪れたが、市内で電車に乗っていたら、学生らしき若者のグループ3人がチラシを配り、車内で堂々と演説を始めた。チラシによれば、韓国通信の契約職労組が7000人解雇されたことに対し、復職を訴えるものだった。日本では見たこともない光景で非常に新鮮であった。15日の「光復節」の日に延世大学に行ったら、学生が野外劇場に次々と集まり出し、朝鮮半島の統一を訴える演説が延々と続いていた。約3000人はいただろう。日本のシンポジウムのような、偉い人の話を聞きに集まるのではなく、学生だけで全てが行われていた。日本でこのような集会は、消えて久しい。

確かに日本でも、一時的に盛り上がった「政治の季節」があった。団塊の世代、いわゆる「全共闘世代」による学生運動が盛んだった1960年代後半、東大の安田講堂が火炎瓶で炎上していた時代なら、同じモデルで成功した可能性があっただろう。現代では不可能だし、そもそもあれは、一時的な出来事に過ぎず、今の韓国のような状況とは本質的に異なる。

2つ目は、「国民性」の認識である。

日本の民主主義は、与えられたものだ。これは実に厄介である。敗戦で米国から押し付けられた民主主義なので、市民が戦って権利を勝ち取った歴史がない。市民意識がないのだから、「市民」記者制度にはもっとも馴染まない国といえる。

さらに、「和をもって尊しとなす」(聖徳太子の17条憲法)の時代から、日本人は争わぬことをよしとする国民性が染み付いている。権利意識がなく、「お上」意識ばかりが強いから、自分からは発言・発信しようとしない。そういう人が記者登録をしても、何を書いて良いものか、迷ってしまうのも当然である。

「準備された市民」がいない

 上記2点を主たる理由として、日本には「準備された市民」がいない。 世界新聞協会でのスピーチで、オ氏はこう述べたという。「技術は、それ自体では社会を変えられない。準備した人間だけが社会を変えられる。あなたの国でも『オーマイニュース』のようなインターネット新聞を作りたいと思うなら、まず準備した人たちがいるかどうかを確認すべきだとすすめたい」

オ氏は、市民記者について、社会的遊休資産の活用だ、と述べている。書きたい、発信したい、と思っている一般市民がいるのに活用されておらず、遊休資産となっていた。これを「prepared citizen」と呼び、この人たちを安価な原稿料で活用すればネット新聞が成功する、と考えた。2000年2月の発足当初から7百人超の市民記者がいたのだから、驚きである。

日本で遊休資産活用の成功例として思い浮かべるのは、ベネッセ・コーポレーションの「赤ペン先生」である。日本の家庭には、高学歴で優秀な女性が時間を持て余しており、これは社会的な遊休資産だ。母性は濃やかで教育に向いており、モチベーションも高い。これを活用して大儲けしているのが、ベネッセの利益のほとんどを稼ぎ出す「進研ゼミ」事業である。

日本にはこの種の遊休資産はあっても、「prepared citizen」という遊休資産はない。私の世代(団塊ジュニア)以降の若者は、自分の将来のことで精一杯で、国や政治のことなど後回しである。情報発信をして政治にコミットする気など毛頭ない。情報発信するのは暇な「2ちゃんねらー」くらいのもので、彼らの中核は、暇を持て余しているニートや社内失業者であろう。

彼らの心に、前向きな情報発信をする準備はない。匿名で、何の編集もなされず読むのに膨大な時間を浪費する「2ちゃんねる」は、そういった時間が有り余っている人しか、見ていられないメディアといえる。彼らは韓国の「prepared citizen」とは正反対にいる人たちで、冷やかしたり、足を引っ張ったりといった後ろ向きの行動パターンを圧倒的に好む。たとえばイラクの人質事件でも人質叩きのほうを好む。活動を起こす人の足を引っ張りたがる。

2ちゃんねらーは日本の若い世代を象徴しているところがあって、今の日本では、真面目に政治のことを考えたり、社会問題を解決するための活動を起こすことは、非常にダサく見えるのだ。そこに「クールさ」「格好よさ」は、全くない。今の韓国は、非常にアツい人が多いからこそオーマイニュースが成功している訳だが、日本では、こういうアツい人のことを、若い人ほど敬遠し、逆に「サムい」と感じてしまう。「何、アツくなってんだよ」と。

政治に対する不信感は、既に日常化して日本人のなかに定着し、世の中の「大前提」になっている。だから、橋本元総理が1億円のウラ献金で起訴されずとも国民は気にもならず、「またか」「やっぱり」で終了。我々の世代は、ロッキード、リクルート、佐川…と物心ついた頃からずっと汚職が続いており、「政治とはそういうものだ」「どうしようもない奴らなのだ」という諦めがある。大前提を疑うことに時間をかけるのは無駄だ、サムい、合理的でない、もっと自分自身のことに時間を使おう、というわけである。その感覚は、私自身、よく理解できる。

ブログは確かに増えてきたが、日記の延長がほとんどで、その内容にも、常に自主規制が働いている。たとえば私が取材すれば、自分が勤める企業の問題点を的確に指摘する人でも、それを自分のブログに書いて改善しようとか、告発しようとする人はいない。社会問題や労働問題、ましてや政治問題について事実や意見を発信しているブログは、ごくごく少数である。

韓国の市民記者に、「なぜ実名で情報発信できる人がこんなにいるのか?日本では会社に気兼ねして自主規制する人がほとんどだ」と尋ねたところ、「70年、80年代を闘ってきた先輩が空間を広げてきた結果だと思う。日本では大学生が戦ってこなかったから、会社の目が気になるのではないか」(朴東美、26歳)と言っていた。サムソングループでは、社内LANからオーマイニュースのサイトに接続できないよう設定されているほどだ。サムソンの違法相続問題をオーマイニュースが追求しているからだという。

別の市民記者は「韓国では、総選挙市運連帯がつながって選挙で頑張った。日本でも連帯することが重要だ」(柳尚辰,26歳)。その通りなのだが、少なくとも今後5年くらいのスパンで見たら、日本では無理だな、と思った。それほど冷めている。「時代」と「国民性」が違うからである。

あの時代、あの人がいたから

大前研一氏が、「デル」や「シスコシステムズ」など急成長したIT企業について指摘していることだが、オーマイニュースは「タイミング・スペシフィック」「パーソン・スペシフィック」の典型例といえる。つまり、ある特定の時代に、特定の人がやったから成功した、ということだ。両者のいずれが欠けてもダメだった。

日本は、時代が違う時点で、既に同じモデルでは成功しえない。坂本竜馬級のスペシフィックなパーソンが登場したとしても、市民記者モデルでは無理だろう。ライブドア堀江という、知名度抜群の超スペシフィックなパーソンが、集客力抜群のポータルサイトでやっても、うまくいく兆しがないのだから。

団塊ジュニアのマーケット特性

 時代と国民性という2重苦を克服し、「準備された市民」を育てるという超難題を解決しない限り、日本では市民記者モデルは成功しない、と述べてきた。 それでは、どうすれば成功するのか。私自身、成功の可能性があると思っているから本サイトを立ち上げたのであって、不可能ではないと思っている。

まずは、マーケットニーズを知ることだ。ネット新聞のターゲットは、当然、WEBの利用率が高い若い世代(20代、30代)である。この世代は、私もその一員で同世代の人数が多い「団塊ジュニア」世代を中心に、それ以降の世代と併せて考える必要がある。

「団塊の世代」という言葉を作った堺屋太一氏によれば、団塊ジュニアの第一の特徴は「シラケの世代」だという。「しゃかりきになって議論したり、子供っぽい夢を持って走り回るのはかっこ悪い、という発想が充満しています」「学生のうちにバブルが崩壊し、就職のときは『氷河期』と言われ、終身雇用制が崩れて行くのを見た団塊ジュニアには、『人生の理想』というものが与えられていない。それでいて小中学までは規格大量生産型の画一教育で来たから、自分で理想を創造することができない者も多い」(以上、「文藝春秋」2005年5月号)

 確かにシラケている。その通りである。

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