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報道の自由求め 寺澤有氏の記者クラブ訴訟、進行中

情報提供
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原告による「意見陳述書」と、フリーランスとして発行された取材許可証(2004年12月15日)
 きたる2005年6月8日午前10時30分、東京地裁527号法廷にて、フリージャーナリスト寺澤有氏本人が、自身にとって2つ目となる「記者クラブ訴訟」の尋問で法廷に立ち、記者クラブ制度の問題点を陳述する。この日本における「報道の自由」の実態が明らかになる裁判について、マスコミは一切報じていない。

本訴訟は、寺澤氏が、記者クラブ所属の報道機関とは異なる差別的待遇を受け不利益を被ったとして、国を被告として、国家賠償法に基づき248万円の賠償を請求しているもの。裁判所が「司法記者クラブ」に所属する記者にしか傍聴席と判決要旨を交付しないのは、憲法十四条(法の下の平等)と、憲法二一条(表現の自由)に反すると主張している。

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訴状(2次訴訟)
 2004年10月12日、東京地裁に提訴され、日本外国特派員協会にて記者会見も行われた。日本の記者クラブの閉鎖性については 海外メディアの関心が高いが、日本のメディアは自らの既得権に関する問題であり、報じることができない。

訴状等によれば、今回の訴訟で具体的に問題になっている出来事は下記二つだ。

ひとつは判決要旨を受け取れなかったこと。2003年4月、札幌地裁において開かれた北海道警察元警部の覚醒剤取締法違反及び銃刀法違反事件の判決言い渡しに出向いた際、傍聴席と判決要旨を一部用意してもらおうと、札幌地裁に判決の一週間前に電話とファクスで要請したにもかかわらず、拒否された。

そして当日、傍聴に訪れたものの、傍聴希望者が多く一般傍聴席の抽選にはずれ、公判の様子を取材できず、判決要旨も交付してもらえなかった。この日、記者クラブ用には23席の傍聴席が用意されており、所属各社には判決要旨が交付された。

もうひとつは、傍聴席から排除されたこと。2003年7月、東京地裁において、武富士に内部資料を引き取らせる見返りとして一億円を要求した恐喝未遂事件の被告の公判を取材するため訪れ、一般席が埋まっていたために記者席に着席していたところ、開廷間際にクラブ所属の記者が来て、職員により法廷から排除された。

この日の公判は傍聴席20席(うち記者席5席)の狭い法廷でおこなわれており、傍聴は抽選方式ではなく、寺澤氏は開廷30分近く前に入廷していた。排除されたときには、裁判長に、立ち見が過去に許された事例を挙げて要求したが許されず、職員に取り囲まれて退去させられた。

【本訴訟の、これまでの経緯】

 2004年12月15日、開廷。まず 寺澤氏本人の意見陳述書 が読み上げられた。寺澤氏は、オウム真理教事件の公判においても江川紹子氏のような実績あるジャーナリストが記者席から排除されていることに驚く外国特派員の声を紹介。

さらにかつて国連カンボジア暫定統治機構を取材した際にフリーランスとして取材許可証を発行され、現地で活動する日本の自衛隊を含め自在に取材できた経験を述べた。国際的な視点から見て日本の記者クラブ制度が特異であること、それを追認しフリーランスに差別的取り扱いをしている裁判所の行為は違法であることを主張した。

2005年2月9日、第二回公判。問題となった裁判での事実の経過をめぐっての争いがないことがほぼ確認され、裁判所の行為が合理的な裁量の範囲内であるのかをめぐり書面での応酬となった。

 2005年4月13日、第三回公判。 高田昌幸北海道新聞報道本部次長による寺澤氏を支持する陳述書 が受理された。

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高裁判決文(1次訴訟)

高田氏の陳述書は、取材記者を記者クラブ加盟記者であるか否かによって区別することへの疑問を投げ掛ける日本新聞協会の見解を紹介し、この見解に沿うような開放にむけたクラブ側の動きがあるなかで、裁判所側が記者をクラブ加盟記者かどうかで区別している現状を批判し、「開かれた裁判所」の実現にかなう判断を下すことを期待している。

 今回の原告本人の尋問(6月8日)の前に、寺澤氏が排除された東京地裁の公判に同行していたフリージャーナリスト 山岡俊介氏の陳述書 が提出されている。山岡氏の陳述書では、公判当日の様子を詳細に説明し、クラブ加盟記者でなかったとしても寺澤氏が傍聴を許可されることがどれほど正当であるか、が主張されている。

 また、この問題をめぐる寺澤氏本人による記事は、 第二東京弁護士会発行の広報誌「二弁フロンティア」(05年2月号) に掲載されている。弁護士会も開かれた司法に向けての取り組みとして、この裁判の行方に注目している。


【2回目の、たった一人の闘い】

なお、寺澤氏は松山地裁において判決要旨の交付を受けられなかった問題で、同様の訴訟を1999年にも行っており、最高裁まで争って敗訴している。(左記高裁判決文・最高裁判決文参照)

この第一次の記者クラブ訴訟においても今回と同様の論点が争われている。

第一次訴訟では、「取材の自由とはいわゆる消極的自由、すなわち報道機関の取材行為に国家機関が介入することからの自由を意味するものであり、この取材の自由から国の行為を請求する積極的な権利まで当然に導き出されるものではない」(地裁判決)とされ、判決要旨は、裁判所の裁量によって交付するか否かを決めることができる、「司法行政上の便宜供与」と認定されている。

また、憲法十四条一項(法の下の平等)の規定は、絶対的な平等を保障したものではなく、合理的理由なくして差別を禁止する趣旨であるとされた。

便宜供与を行う対象を区別することの合理性を判断するのは、裁判所の裁量にゆだねられるとし、記者クラブ加盟社は「わが国の報道の分野において一定の役割を果たしているものであるから」「それ以外の報道機関には特に交付はしないという取扱いをすること」は、「裁量判断の合理的な限界を越えているとは言い難い」とされたのである。

つまり前回の裁判では、判決要旨の交付や記者席の確保は司法行政上の便宜供与であるが、それを限定する裁量は裁判所にあり、さらに裁判所はそれを記者クラブ加盟社に限定するのが合理的であると判断している、ということが示された。クラブに加盟していない限り、一定の実績のある報道(機関)として認めない、というのが裁判所(国)の認識だ。

しかしこれは、個人情報保護法制定時に報道とは何かをめぐって議論が沸騰し、フリーのジャーナリストや著述業などの個人が、大手報道機関と同様に、義務規定の適用除外とされたのと、対照をなす認識である。

今回の訴訟は、記者クラブの閉鎖性を間接的に問題化しているが、司法の閉鎖性を問うものともなっている。寺澤氏の闘いは、法廷内情報収集をめぐって、開かれた司法を求める流れのひとつとして意味づけられる。

裁判の傍聴中のメモやスケッチも、かつては記者クラブ所属記者の特権と化していたが、アメリカ人弁護士ローレンス・レペタ氏による裁判によって最高裁まで争われ、一般傍聴人までメモが自由になった。外国人からの指摘によって、司法が変化したのである。

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最高裁判決文(1次訴訟)

同様に記者クラブ制度そのものも、2002年に欧州連合(EU)によって、情報の自由貿易にかかわる制限を取り除くようにと、その廃止を要請されている(新聞協会はこれに反論の見解を表明)。また2004年のNPO「国境なき記者団」による報道の自由に関する年次報告では、日本は世界167カ国中、42位となっており、記者クラブの存在が外国メディアとフリージャーナリストを多くの情報へのアクセスを妨げていると判断されている。

 寺澤氏は裁判冒頭の陳述書によって、もし不条理な差別が是認される結果となった場合、今後も徹底的に闘う意向を表明している。外側からの圧力が現実を変えるばかりの日本で、内側からたった一人で、取材・報道の自由を求める闘いが行われている。この裁判の行方を見守ることは、日本の自由の現実を目撃することに他ならない。

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通りすがり2008/02/01 02:49
岡崎新2008/02/01 02:49
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