海自輸送艦おおすみ衝突事故5年目の真相 「釣り船が急に右転」の目撃証言に重大矛盾(下)
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「とびうお」の後ろから「おおすみ」が追いかける形で衝突事故は起きた。しかし国交省運輸安全委員会は、直前(1分前)に「とびうお」が右に急転したのが事故原因だと結論づけた。「右転はなかった」という「とびうお」生還者の証言は完全に無視された。(模型を使った調査結果にもとづく再現=左側の一連の写真=と生還者や国賠訴訟の原告団の主張する事故状況=右) |
- Digest
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- 突如登場したとびうお「右転」説
- 後から来たのに「追い越していない」
- 調査委の「航跡図」を検証ー
- 「わずかにのぼる」の意味
- 右転説は想像の産物か
- 汽笛が鳴ったときに「とびうお」はどう見えたのか
- 「とびうお」船長は「おおすみ」に気づいていたのか
- ゆがめられた真相
2014年1月15日午前8時ごろ、広島県阿多田島沖の瀬戸内海で、海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」(全長178㍍、基準排水量8900㌧)と釣り船「とびうお」(全長7・6㍍、5㌧未満)が衝突、釣り船が転覆して乗員4人のうち船長ら2人が死亡する事故が起きた。「とびうお」の生還者は、「自衛艦が右後方から接近、追い越す際に接触した」と証言、「おおすみ」の追突が疑われた。しかし、丸一日後、追突したのは「とびうお」の方だったという目撃証言が現れ、情報が食い違いをみせる。はたして、1年後に国交省運輸安全員会が発表した調査報告書は、「とびうお」が先行し、「おおすみ」が後ろから接近した事実を確実な証拠に基づいて断定する。ところが、それでも「おおすみ」が追突したのではなく、事故直前に「とびうお」が右に(自衛艦の方向に)急転したのが主因だと結論づけた。突如登場した「とびうお右転説」に生還者らは驚き、「事実と違う。納得できない」と国家賠償請求訴訟を起こす。
突如登場したとびうお「右転」説
事故発生からちょうど1年後の2015年2月、国土交通省運輸安全委員会が調査報告書を発表した。それによれば事故が起きた状況はおよそ以下のとおりだとされる。
1 「おおすみ」は「とびうお」の後方から次第に接近する形で航行していた。「おおすみ」の速度は約17ノット(時速35㌔㍍前後)、「とびうお」は推定約15ノット(時速30㌔㍍前後)で「おおすみ」の方が速かった。」また針路は、先行する「とびうお」が南南西、(右後方から追いかける形の)「おおすみ」が真南で、互いの針路が交錯する状態だった。
2 しかし針路が交錯するものの、計算上、衝突することなく安全に交差できる状況だった。約60㍍の間隔をおいて、左前方を行く「とびうお」の後ろを「おおすみ」はぶつかることなく(「とびうお」の左舷側へ)横切るはずだった。このように危険はなかったが「おおすみ」は念のため減速した。
3 ところが衝突1分前(午前7時59分ごろ)、「とびうお」が突如右転し、針路を真西にとった。これによって「おおすみ」の左舷前方にいた「とびうお」が急接近し、衝突の危険が生じた。
4 「おおすみ」は右に舵をきって回避を試みたが、「おおすみ」の左舷中央~後部と「とびうお」の右舷中央がこするような形で衝突、「とびうお」が左舷側に転覆した。
運輸安全委員会調査報告書の結論部分には事故の「原因」としてこう書かれている。
(原因)本事故は、阿多田島東方沖において、おおすみが南進中、とびうおが南南西進中、おおすみが針路及び速力を保持して航行し、また、とびうおがおおすみの左舷前方から右に転針しておおすみの船首至近に接近したため、おおすみが回避しようとして減速および右転したところ、更に両船が接近して衝突したことにより発生したものと考えられる。
事故の主因は「とびうお」の右転にあるーーそう断定している。ただし右転した理由については、船長が死亡しているため不明だとしている。
調査報告書によれば、「とびうお」右転の度合いは90度近いが、生還者が気づかなかったのは、約40秒をかけて「徐々に」右転がなされたからだとの説明が論拠なくなされた。
運輸安全委員会に続き海上自衛隊も、1年後に内部調査の報告書を発表する。運輸安全委員会の報告をなぞった内容で、やはり「とびうお」が事故直前に右転したのが原因だと結論づけた。さらにその後、広島地検が「おおすみ」艦長ら乗員の不起訴を決定した。
かくして「おおすみ」の「シロ」判定がなされ、事件の記憶は多くの人々の中で薄れてゆくことになる。
「おおすみ」の責任を不問にした運輸安全委員会や自衛隊、検察の調査や捜査に、生還者の2人は「右転していない。納得できない」と強い疑問を感じた。遺族も「(亡くなった)船長は長年の経験がある。操船は慎重だ。自衛艦の直前を右転して艦に近づくなど絶対にありえない」と反発した。
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国交省運輸安全委員会の調査報告に記載された推定航路図。「おおすみ」の航跡はGPSの記録で裏づけられているが、「とびうお」はGPS記録はなく、「おおすみ」のレーダ画像から推定した。事故直前5分間はレーダ画像も判読不能で、完全な推定値。すくなからぬ誤差が生じる可能性があるにもかかわらず、この推定航跡図を根拠にして、60メートルの間隔で安全に交差できた、1分前まで危険はなかったとの結論が導かれている。![]() |
後から来たのに「追い越していない」
3年の民事時効成立まで半年に迫った2016年5月25日、生還者と遺族は国を相手に国家賠償請求訴訟を広島地裁に起こす。事故は「おおすみ」が追突したために起きたことは明らかだ--そう主張して責任追及を試みた。
原告の言い分をまとめると次のとおりである
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他船を見る角度(方位)が進行とともに小さくなる状態を「のぼる」「あがる」という。変化が顕著であれば衝突の危険はなく交差できると判断し、その変化が小さいと衝突の危険があると判断する。(模型をつかった「あがる」状況の再現)
訴訟で明らかになった「おおすみ」艦橋の記録からもれていた発言。国は「とびうお右転まで危険はなかった」と主張していたが、それより前の時点で「避けられん」という発言が確認された(右上)。(国側の準備書面より)
「とびうお」が右に急転したとすれば、「おおすみ」からみた方位は小さくならなければならない。しかし、右転に気づいたとされる7時59分31秒の艦橋での乗員の発言は「左50度漁船近づく」と記録されている。
現場から真西に1~1・5㌔㍍はなれた阿多田島から目撃したとされる工事船のC船長の目撃内容の再現(左側の一連の写真)。汽笛を聞いて海を見ると「おおすみ」の前方約180㍍に「とびうお」がいた。そしていったん艦に隠れたあと、再び「とびうお」が現れ、左舷側に転覆するのが見えたという。しかしこの証言はほかの証言と食い違う。ほかの島からの証言は、汽笛を聞いて海を見たときにはすでに事故が起きた後で「とびうお」は転覆していたという内容で一致している(右側の上)。また「おおすみ」乗員は、汽笛が鳴ったとき「とびうお」は艦首の左側真横10㍍くらいのところにいたと証言している(右側の下)。
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