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鬼滅の刃 グレートマザーとノブレスオブリージュ編

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「鬼滅の刃 無限列車編」ポスター

後半は、なかなか泣ける場面もあって、心に残るものもあり、久しぶりに観てよかったと思える映画だった。偶然、通りがかって、上映開始1分前で、前後左右すべて5席以上空けて座れることを確認できたので、観てしまった次第。観客は20人くらいだった。

前半は普通の「荒唐無稽なチャンバラ劇」で、普通の少年ジャンプな世界。鬼だからって理屈抜き、何でもアリで、あげく鬼が列車と一体化までしてしまうのはどうかと思った。舞台が列車のなかで完結するとあって、夢と回想で補うも、場面転換が豊かなジブリ(千と千尋、もののけ姫)に比べ、退屈だ。まだ若い吾峠呼世晴さんは、これからいくらでも伸びしろがありそうで楽しみである。

僕はジャンプ全盛期ど真ん中世代だから、キン肉マンやドラゴンボールなど、全編を通して戦闘シーンが大半を占めるやつは随分読んでいて、それがどう形を変え、技が変わろうが(キン肉バスターが「○○の呼吸○○の型」になろうが)、どうせ最後に正義と友情が勝つんだろ、現実世界は全然違うから困るんだよ、まだ将来と夢のある少年だからって単純すぎだろ、さっさと敵を片付けろよ…って感じで、もはや響かない。

響いたのは、Ufotableとアニプレックスによる、絵と音のド迫力(Dolbyシネマだった)のほうで、こちらはなかなかの出来だ。まだ後方や上から音が来るほどでもないし、3Dでもなく、客席の真上をキャラが動いていくこともなかったので(インドで見た活劇は完全にこのタイプだった)、映画館に足を運んで観る付加価値については、もっと追求してほしい。3Dメガネで技術的に可能なはずだ。

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偉大な母としての煉獄瑠火(煉獄杏寿郎の母)

■偉大な母、強く生まれた者の責務

というわけで、肝心の、裏に流れているストーリーである。鬼のほうの出自や、鬼になった背景になにか抜き差しならない深い事情でもあるのだろう(社会部記者目線)と期待していたが、前半の下弦の鬼「魘夢」、そしてなぜか唐突に説明もなく現れた上弦の鬼「猗窩座」についても、過去が語られることはなかった。ただの悪い鬼として描かれていた。これは残念である。

後半に入って、その「猗窩座」と、本作主人公の「煉獄杏寿郎」の戦い、その煉獄側の背景ストーリーが、一番の見どころとなっていく。戦いのなかで、回想シーンが繰り返され、どんどん引き込まれていくのだ。

母親(煉獄瑠火)は、強い力を持って生まれた杏寿郎にノブレス・オブリージュ(持てる者の義務=特権には責任が伴う、身分や地位の高い人はそれにふさわしい品位を保ち、犠牲的精神を発揮して社会的義務を果たさなければいけない)を説く。

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

そして杏寿郎は、列車の乗客全員を守り抜き、猗窩座と戦って、鬼にならないかという誘いも、「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」ときっぱり断り、「俺は俺の責務を全うする!! ここにいる者は誰も死なせない!!」「心を燃やせ」と自分を奮い立たせて戦う。

回想シーンでは「強く優しい子の母になれて幸せでした」という死に別れた母に対し、「母上 俺の方こそ 貴女のような人に生んでもらえて光栄だった」。そして、鬼と相討ちのような形で死んでいく。このあたりの母と子の描き方は、女性作家(文春によると吾峠氏は30代前半の女性)ならではだな、と感じた。男性作家だとマザコンぽくてちょっと気持ち悪いから、なかなかここまでのセリフは描き切れないだろう。

杏寿郎は、自我が独立していないのでは、というくらい母親に心酔する、永遠の少年のようでもある。「グレートマザー(太母)」も「永遠の少年」も、ユングが提唱した元型の一つで、人類共通の集合的無意識の中に遺伝的に存在するものと考えられるから、必然的に、多くの人の琴線にヒットする。子を持つ母親が、いわば思い通りの理想的な子として育った煉獄さんにハマって何度も映画館に足を運ぶのも、まあわかるところである。

■自己犠牲映画の金字塔に

主人公が死ぬ設定の大ヒット映画は、意外にレアだ。これは、自殺や自己犠牲を美化してはならないという政治的配慮もあるのでは、と思っている。「タイタニック」は確かにそうだが、あれは誰かを助けるために自己犠牲の英雄的行動をとった結果ではなく、たまたまジャック(ディカプリオ)が凍死し、ローズが生き残っただけである。

「アルマゲドン」は主人公(ブルース・ウィルス)が起爆ボタンを押して自爆することで人類を救う物語であるが、鬼殺隊のような使命を負って訓練してきたわけではなく、たまたま有事に際してNASAから任命されただけだ。

その点、自己犠牲といえば、日本国が人類史に打ち立てた負の金字塔ともいえる、神風特別攻撃隊がある。私が読んだ小説で、今回の「鬼滅の刃」と似たような場面として真っ先に思い出したのが、カミカゼアタックをテーマとした「永遠のゼロ」であった(映画は歴代18位87億円、書籍は500万部超)。筆者は「涙を流しながら書いた」と記している。

主人公のゼロ戦乗りの名手で教官でもあった宮部は、20歳前後の若者をたくさん人間爆弾に仕立てて殺してしまった悔恨の念から、実質的にハラキリのごとく、特攻に出て、散っていく。それは、同じく特攻隊で、まだ学生だった賢一郎を助けるための死でもあり、葛藤につぐ葛藤があった。特攻隊自体が命を捨てて国を救うというタテマエだが、1人の仲間を救うための犠牲的行動でもあった。

 出発直前に宮部から機体の交換を頼まれ、賢一郎は宮部が搭乗するはずだった機体に乗り込む。しかし、その機体はエンジントラブルにより海上に不時着し、賢一郎は九死に一生を得た。それは偶然ではなく、宮部はエンジンの故障に気づいた上で、あえて賢一郎と機体を交換していたのだった。(同書あらすじ)

「強く生まれた自らに課された責務」を全うするために鬼の攻撃を食い止め死んでいく杏寿郎の姿も、涙なくして観られない。男はそもそも戦隊ヒーローモノが大好きだ。「どうせ子ども向けだろうと馬鹿にして子どもと観に行ったが、自分も泣いた」というオヤジは多い。自己犠牲の英雄的行動は、いわずもがなで人間の琴線に触れる。

ジャンプを読む子どもたち、そして母親と父親の心をも、わしづかみしたわけだ。いわば、「鬼滅の刃 グレートマザーとノブレスオブリージュ編」というのが、この映画の実態を表している。

■日本で大ヒットの背景

ジャッキーチェンの香港映画やインドのボリウッド映画、そして特に米国のハリウッド映画は、単純な善悪二元論が大好きで、スカッと非日常を体験させるため、最後に正義は完勝しなければいけない。悩みや葛藤は不要だ。だから主人公は死なない。鬼滅の刃が、それら海外の国々でどのように受け止められるのか、日本並みに大ヒットするのか、注目である。

というのも、大ヒットした日本には、特殊な事情があるからだ。コロナ禍で閉塞感が充満した世情、ノブレスオブリージュのかけらもない私利私欲・無策無能な為政者たち。国民に自粛を求めつつ、自分だけは夜中まで宴会を楽しむ厚労省老健局の役人たち。世界最低レベルの接種率なのに、自分だけは割り込んでワクチンを打つ首長やスギ薬局創業者夫妻。「隗より始めよ」と政治家にエラそうな口をききながら、自分だけは大人数の資金パーティーに出席して自民党との癒着を強める中川医師会会長。リーダー層ほど、クズばかりだ。

そんな腐ったリーダーばかりのデタラメな日本社会で、国民のもやもやしまくった荒んだ心を、スカっとさせてくれ、ノブレスオブリージュの大切さを説き、心を洗ってくれたのが、この映画だった。つまり、タイミングも抜群だった。ジグソーパズルの未完のピースにガチっとハマった結果が、歴代最高の興行収入(約400億円)につながったのだと思う。

「永遠のゼロ」に続いて、訓練された主人公が自己犠牲を払って強敵に立ち向かい仲間を救うヒーロー映画が、またもや日本で大ヒットした、これは滅私奉公なカミカゼジャパンの国民性によるものだ――とならないよう、全世界での大ヒットを願いたいところである。

「おくりびと」のジャーナリズム

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