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美女にモテモテの「わが師匠」山路徹氏から学んだこと-3

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フリーとしてテレビ業界で食っていくことの厳しさを痛感していた2002年春。APF通信社の山路代表は「オウム潜入」取材を企画した。筆者はしぶしぶながら以後半年にわたってかかわることになる。アレフ信者がヨガ教室を開いていた杉並区内の雑居ビル。
 新聞社を辞めた筆者は、上京して山路徹氏率いる報道番組制作プロダクションAPF通信社(本社・東京都港区)の戸を叩いた。しかしテレビデビューまでの道のりは険しかった。収入も途絶え先行きに不安を覚えるなかで持ち上がった「オウム潜入」企画。気乗りがしないまま足を入れた結果、半年もの長期にわたってかかわるはめになる。苦心惨憺して放送した番組は大ヒット、続く「ヤミ金」企画も大成功して状況は一挙に好転した。大テレビ局にもてはやされて筆者は有頂天となる。山路氏も上機嫌だったが、別れはあっけなく訪れた。
Digest
  • ベンツで張り込み、ランドローバーで尾行
  • 「アレフ」ヨガ教室潜入で体調改善
  • 「何とかしろよ!」とキレた山路氏
  • 「バンキシャ」大成功で有頂天に
  • 「武富士」とともに秋風吹く
  • 「ギャラ? 300万年早いんだよ!」
  • 山路さん、ありがとう
前回までのあらすじ →その1 →その2

◇ 生活不安の前に現れた「オウム企画」

――大事な話がある。集まってほしい。

テレビプロダクション「APF通信社」代表の山路徹氏から、ビデオジャーナリスト講座受講生らに呼び出しの連絡があったのは2002年春、一連の講座が終わって1~2ヶ月後のことだった。筆者は5年勤めた「山陽新聞社」を辞め、東チモール取材から帰ったばかりだった。

インドネシアからの独立を控えて東チモールには自衛隊のPKO部隊が派遣されていた。これに対して、かつて「従軍慰安婦」にされたり壕掘りの強制労働に駆り立てられた老人たちは「日本軍の再来だ」と強い憤りを訴えた。筆者はそうした声をビデオテープに収録して帰国した。取材はうまくいったと思っていたのだが、帰国してみるとマスコミは「ムネオ問題」一色。テレビ局への売り込みは失敗し、取材したビデオテープは放送することができないままお蔵入りとなった。 

テレビの厳しさを思い知った最初の経験だった。

山路氏の呼びかけで受講生4人が東京・赤坂にあるAPF通信社の事務所に集まった。

口外無用――山路氏は念押ししてから切り出した。その内容はおよそ次のとおりである。

〈杉並区にオウム真理教(アレフ)信者のやっているヨガ教室があるという情報をつかんだ。表向きは普通のヨガ教室だが、「ヨガ」を入り口に信者の勧誘をしているらしい。これを取材しようと思う。皆さんにも協力してほしい〉

アレフの信者がヨガ教室をやることがそんなに問題なのか、筆者にはいまひとつよくわからなかったが、山路氏は興奮気味に取材計画を話した。

① ヨガ教室を張り込み、出てきた人物を尾行してアレフの施設に行くかどうか、つまりアレフの信者かどうかを確認する。

② ヨガ教室に生徒を装って潜入し、内部の様子を取材する。

そして「潜入役」に指名されたのが筆者だった。

「ハラをくくるしかないよ。ミヤケちゃん」

語気強く山路氏は言った。

気乗りのしない話である。だが断る理由も見つからなかった。新聞社を辞めてしまったいま、頼りはAPF=山路氏しかいない。「何千万円稼ぐのも夢じゃない」と、ビデオジャーナリスト講座で山路氏は言った。その言葉を信じて故郷の知人・友人にも話してきた。ところが上京して数ヶ月、いまだテレビで1円のカネを稼ぐことすらできていない。見通しもなかった。

失業者同然の身に選択の余地はなかった。

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尾行、潜入--気が進まない取材だったが、生活不安を抱えた筆者は「オンエア」の日を夢見てヨガ教室に通った。ヨガの効果で体調はよかった。ヨガ教室に続く階段。

ベンツで張り込み、ランドローバーで尾行

最初の打ち合わせから数日後の夜、山路氏率いるAPF「アレフ取材班」は、ランドローバーとベンツに分乗して杉並区の某所へ向かった。

山路氏はほかにも高級クラウンとロールスロイスを持っていた。もっぱら軽自動車ばかり乗ってきて、ただの普通車であっても「経費がかかる=贅沢」というイメージを持っていた筆者には、どれもこれも目のくらむような高級車だった。後にロールスロイスに乗せてもらったのだが、その際、山路氏はドアの内側に取り付けられた木製の部品を指して、笑いながら言ったものだ。

「それだけで何十万円もするんだよ」

山路氏の周囲には「金持ち」の雰囲気が濃厚に漂っていた。

筆者はビデオカメラを持って山路氏が運転するベンツの後部に乗り、張り込んだ。スモークフィルム越しにヨガ教室の明かりに目を凝らす。やがて明かりが消えて一人の人物が出てきた。慣れないカメラワークでその様子を撮影する。続いて、山路氏は猛烈な勢いでベンツを運転すると世田谷へ向かった。世田谷区の千歳烏山にはアレフの出家信者が暮らす施設がある。そこへ先回りするのだ。

別働のチームと携帯電話で連絡を取り合いながら世田谷に到着、車を止めて再び張り込んだ。しばらく待っているとさきほどの人物が歩いてきた。そしてアレフの施設へと入っていった。山路氏の予想どおりである。ヨガ教室とアレフの関係がこれではっきりした。

赤坂の事務所に戻ったのは深夜だった。取材がうまくいって山路氏は機嫌がよかった。

「テレビは絵がなきゃだめなんだ

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長期間にわたる「オウム潜入」取材だったが成果ははかばかしくなかった。山路氏が「何とかしろよ!」と怒鳴りだす始末だった。だが、辛抱のかいあって筆者はアレフの道場に誘われるようになる。放送の目途もたって山路氏はご機嫌になった。杉並区内のアレフ東京道場付近。

「オウム潜入」「ヤミ金VS司法書士」と、看板番組で立て続けに特集を放送した。山路氏は興奮し、筆者も有頂天となった。鼻高々で日本テレビを出入りする毎日だった。

山路氏の態度が冷淡になったと感じたのは、筆者が消費者金融「武富士」の追及をはじめたころからだった。武富士から訴えられた『週刊金曜日』の批判記事(上)と、武富士社員に母親の連絡先を尋ねられ怖い目をした様子を語る小学生(下)。

APF通信社を追われた原因が武富士にあるのかどうか不明だが、「おごるな」「甘えるな」「勇気を持て」という教訓を筆者は学んだ。APFを去ってから約10年、武富士は会社更生法を申し立てて破綻した。写真は武富士神田支店。

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