トヨタカムリ・ハイブリッド。トヨタのドル箱市場、北米で発売。中国やオーストラリアでの生産も予定されている。
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トヨタ「カムリ」ハイブリット車の開発責任者をしていたチーフエンジニアのAさん(当時45歳)は2006年1月2日、虚血性心疾患で亡くなった。豊田労働基準監督署長は今年6月30日、過労死と認定。昨年12月の判決で過労死であることが確定した内野さんに続いて、社運をかけたハイブリッド車開発のために、なぜAさんは死ななければならなかったのか。社員の過労死認定が続くトヨタの労働実態について関係者に聞いた。
【Digest】
◇娘が死亡した父を発見
◇開発責任者の負担
◇土日出勤 頻繁な海外出張
◇直前2か月は月90時間の時間外労働
◇娘が死亡した父を発見 2006年1月2日朝の10時。起きてこない父親の様子を見に長女(当時12歳)が部屋に行くと、トヨタ自動車製品企画室に勤務するAさん(当時45歳)は、蒲団の中で亡くなっていた。虚血性心疾患だった。
死亡時刻は、1月2日午前1時ごろ。つまり新しい年が始まった元旦の夜、床に就いて間もなく亡くなっていたことになる。働き盛りのAさんに何が起きたのだろうか。
大学の工学部を卒業したAさんは、1982年4月、トヨタ自動車に入社した。配属先は、静岡県裾野市にある東富士研究所だった。ここで電気自動車などの開発に従事し、その後、1991年に本社(愛知県豊田市)の製品企画室に転勤になっている。2002年ごろに新型カムリHV(ハイブリッド)開発プロジェクトに携わる。04年11月には、開発プロジェクトの責任者に任命された。亡くなった前日の06年1月1日付では、新型カムリ・ハイブリッド車のチーフエンジニアという経歴の持ち主である。
入社当時から電気自動車やハイブリットカーなどの最先端技術の開発、商品として送り出すまでの重要な仕事を担っていたという。Aさんが亡くなる直前は、「カムリ」のハイブリッド化の開発責任者として多忙を極めていた。
「カムリ」は、アメリカにおいて、過去9年間で3回、売れ行きナンバーワンになった実績があり期待がもたれていた。カムリの新車にハイブリッドを搭載する開発を行っていたのである。妻の代理人、梅村浩司(こうじ)弁護士は、「カムリは北米でトヨタのドル箱でした。ハイブリッド搭載の新型カムリの開発は、トヨタ自動車の屋台骨を支えるプロジェクトであり、それをAさんは命をかけてやっていたのです」と話す。
ハイブリッド車のカムリは、コンパクトで環境も考慮した車として、アメリカ市場での伸びが期待され、トヨタの「期待の星」だった。その開発の全責任を負っていたのがAさんだったのである。
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Aさんの過労死に対するトヨタ自動車の渡辺捷昭社長からの感謝状。「生前のご功績をたたえ…」 |
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◇開発責任者の負担 製品企画のチーフエンジニアの仕事とはどのようなものだったのか。夫の上司から聞いた話として、妻が陳述書に次のように書いている。
「たとえて言えば、小さな企業の社長のような立場にあるとのことでした。多様な車のパーツ、さまざまな部門、組織、チーム(エネルギーの問題、原価の検討、デザイン、バランスなど)を統括する仕事でした。
しかも、それぞれの課題に期限が設定されていました。常に3~4歩先を考える必要がありました。さらには米国という外国への受け入れられ方、マスコミへの対応など技術的問題以外にも、さまざまな問題への対処も迫られていました。多様な問題をかかえ毎日、毎日考える必要がある仕事でした」
つまり、ハイブリット「カムリ」開発に関して、単に技術面のみならず、すべてにおいて唯一の責任者であるという重い役割を担っていたということだ。遺族代理人の梅村弁護士の話で補足しよう。
「他に補佐するような責任者はおらず.....この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
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Aさんの妻が名古屋地裁に提出した証拠保全申し立ての際の陳述書。労災申請するにあたり、会社にある資料などの証拠保全を申請した。
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厚生労働省が示す過重労働の判断材料。Aさんの場合、長時間労働のみならず精神的疲労も過労死の原因と認められた。
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