チェルノブイリ旅行-1 「妊婦の孫に健康被害」の実態を検証する
チェルノブイリ原発3号機と4号機 |
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- 水墨画のようなチェルノブイリ遺跡
- 「放射能は遺伝子を傷つける」と言わなくなった
- 森の都キエフへ
- 乳製品と生野菜に注意?
- 5歳以下の脳腫瘍が激増
- 孫世代の調査を誰も本格的にしていない?
- 我々の調査取材の視点は間違っていたのか
水墨画のようなチェルノブイリ遺跡
2012年3月1日。左右に深い森を見ながら、車はかなりの高速で走る。辺り一帯は「居住禁止区域」で信号もなく、アスファルトの上は雪も溶けているため、一般道なのに高速道路なみの速さで疾走する。
車が左折すると森が途切れ、とつぜん開かれた空間が拡がる。細い運河と並行する道を進むと、右前方にチェルノブイリ原発の姿が浮かび上がってきた。
1986年4月26日の原発事故によって、建設中のまま使われることのなかった建物や煙突が何本かつづき、一番遠くには厚いコンクリートで被われた4号炉らしきものが小さく見える。
湿り気のある冷気が立ち込める辺り一帯は、水墨画に薄く色をつけたようだ。原発前の木立ちが赤味を帯びている。
さらに車を進めて、86年に爆発した4号炉の真ん前に止まった。厚いコンクリート石棺に封じ込められた姿は、近代技術の集積であるはずなのに、まるで中世の遺跡である。
2012 年3月1日、事故から26年を迎えようとするチェルノブイリ原発“遺跡”の前に私は立っていた。一か月前から準備をはじめ、ようやくたどりついたと言う感じだ。
チェルノブイリの被害者を地元で支援している団体に日本から連絡をとり、原発のある立ち入り制限区域の視察を申し込んでもらうように依頼。参加予定者の氏名・生年月日、パスポート情報をメールで支援団体に送り、そのメンバーが現地の関係機関に申し込んでくれた。
通訳者のパスポートデータを送信するのが遅れたため通訳者は制限区域に入れないことになり、なんと私のへたくそなロシア語で現地取材をしなければならないはめになってしまった。とはいえ1日だけのことだから何とかなるとは思ったが・・。
成田空港を出発し、モスクワ経由で16時間、ウクライナの首都キエフの空港に到着した。ホテルに入って翌日の取材をこなし、コーディネートしてくれた支援団体の案内で市中銀行に行き、4人分の参加費(日本円で約9万円分)を振り込む。
その翌朝、予約した12人乗りのマイクロバスがホテル前に到着。前日に銀行に支払った領収証をもっているのを確認し、キエフの中心部から北西約120キロにあるチェルノブイリ原発に向けて出発した。
日本なら3時間くらいかかってもおかしくないが、キエフ市内を出るとほとんど信号がないので1時間40分で立ち入り制限区域(いわゆる30キロ圏)の検問所に着いてしまった。ここでは全員がパスポートを提示し一人ひとりチェックされる。
同行した人物が写真をとろうとすると、若い警察官がやってきて厳しく叱責するので「人は写さないから大丈夫ですよ」と私が説明し、険悪な雰囲気になるのは避けられた。
再び乗車して進むと、今度は10キロ圏の検問所があるのだが、ここではパスポートの提示は求められず素通りだ。
こうして日本からはるばるやって来て遺跡の前にたどり着いたのである。原発や周囲のゴーストタウン・村の様子は次回に報告するとして、いままで原発の取材をしてこなかった私がなぜここまでやってきたのかというと、それは、一本の電話がきっかけだった。
「放射能は遺伝子を傷つける」と言わなくなった
「林さん、チェルノブイリに行かない?」
1月24日夜、半年ぶりくらいにNPO食品と暮らしの安全基金の代表を務める小若順一氏から電話があった。
最初のひと言で、少し高揚しているのがわかった。過去に環境系消費者運動の世界で独特な影響を及ぼしてきた人物だけに、何かつかんだに違いないと私は直感したが、案の定、彼の話は刺激的だった。
「チェルノブイリの“孫”たちに健康被害が出ているかもしれない。放射能被害とくれば遺伝子への影響を疑わなければならないのに、誰も指摘していない。かつては遺伝の影響を語っていた人も、3月11日以降はそれを言わなくなってしまった・・・」「そりゃ、放射能の被害といえば遺伝だと思いますけど、孫ですか、チェルノブイリの子どもたちじゃなくて」
「そう、孫。チェルノブイリ事故の孫たちに遺伝的影響が出ていることをきちんと調査取材するのは世界で初めてかもしれない」
「そんなに大事なことなら、なぜマスコミは報道しないんでしょう。脱原発活動家でも、遺伝問題を強調する人は少ない。確かに小若さんが言うように、放射能とくれば即遺伝、と考えるのが普通だと俺は思うけど、どうもスッキリしないんですよね」
「気づいていないのかもしれないね。あるいは一歩間違えると差別になることを心配しているのかなあ・・」
小若氏は、遺伝毒性の視点から、ポストハーベスト農薬(収穫後に使用する農薬)、環境ホルモン、遺伝子組み換え食品などの問題点を、具体的に生活者・消費者に浸透させてきた人である。
遺伝の視点から子や孫を守る活動を40年近く実践してきた人だけに、気になる発言だ。それにしても、「世界で初めてかもしれない」とは少し大げさすぎはしないか。
小若氏の勘をそこまで刺激したのは、実はイタリア国営放送「RAI2」の番組だった。
放射能汚染による遺伝の問題を絵と文字で解説した絵本パンフレット 「子どもの命を守りたい」(絵と文:早川聡子) A4判カラ―16頁240円。少しだが筆者も制作に協力した。画像は遺伝子に関わる頁。 |
「去年(2011年)6月5日、イタリア国営テレビの『キエフ病院の子供たち――2011年―チェルノブイリから25年』という番組がユーチューブにアップされ、そこに重大な内容が含まれていた。
番組に出てきた脳腫瘍にかかった赤ちゃんの母親は事故が起きた年の1986年生まれで、『私の生まれたミエペトロフスカでは、私と同時期に出産した殆どの母親が、病気の子供をかかえています』という発言にハッとしたんだよね」
「1986年といえば、チェルノブイリ原発の大参事が起きたときじゃないですか
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(上)宿泊したホテルからの眺め。(中)旧市街の広場。(下)街のカフェテリア。見かけは“社員食堂風”だが、味はかなりのもの。特にスプーンを入れてあるボルシチが美味い。全部で500円少しくらい。
(上)チェルノブイリ被害の子どもたちを長年にわたり治療してきたユーリー・オルロフ医師。(下)会った母親では一番若い90年生まれのアンナさんと脳水腫の息子スタス君。
原因不明の病気になった娘(4歳)をもつカテリーナさん(26歳)は自身も病気を抱えている。チェルノブイリではなくロブノ原発の近くに住んでおり、「原発の影響の可能性を医者どおしでは話しているけれど、診断では決してそのことを言わない」と語っていた。
ヴァレンチーナさん(40歳)は、17歳の長男を筆頭に3人の息子全員が病気。写真は三男のボグスラブ君(1歳2か月)。上の写真のカテリーナさんと同様、ロブノ原発の影響ではないか、と疑っている。「お医者さんは放射能の影響について話しているのに、患者の私たちにはなぜか話さない」と、カテリーナさんとまったく同じことを話していた。
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微妙な問題だけど、事実は公表してほしい。被害者が「公表するな」って言っているなら別だけど。
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読者コメント
聞いたところでは、アメリカでは三世までの被曝調査を行っていると聞いているが、なぜこの国ではできないのか?答えは、結果が怖いということか。
niseiさん
私の妻も被爆二世です。
私の奥方は被曝二世 4年前からヘマンジオペリサイトーマなる病に侵されている。
現在は緩和ケア病棟に・・・日本では二世には影響はないという結果らしいが 統計をとった結果ではないと専門家の医師から聞いている これで影響はないとは言えないだろう と私は見ている 頭の天辺から全身の骨に腫瘍が取りつき少しづつ進行しています。
参考になるかも と思い書き込みました。
広島で被爆者の取材を何度もしたことがある経験からすると、被曝2世達は遺伝的影響を心配しておののいていた。世間に訴えたい気持ちと差別に会うことへの怖れの狭間で苦悩していた。踏み込んで取材することがためらわれた。
記者からの追加情報
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