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チェルノブイリ旅行記-3 東京都より広い管理区域の原発遺跡とゴーストタウンへ、死線さまよう事故処理体験談を聞く

情報提供
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プリピャチ市は、チェルノブイリ原発のために何もないところから建設された都市で、いまは完全なゴーストタウンになっている。背後に見えるのは原発。
 大惨事を起こしたチェルノブイリ周辺の管理区域を視察した。ゴーストタウンがいくつもある中、原発関係者だけが出入りするのは異様な光景で、26年経った今も原発から10キロ程離れた場所で毎時20μ㏜(マイクロシーベルト)もの放射線量を示すところも。一度避難して戻ってきたごく一部の住民に話を聞くと、とても普通には住めないという。事故当日から2号炉で緊急処理にあたって以後4年間従事し、放射能被害で死線をさまよった人物に、生々しい体験談を聞いた。
Digest
  • 立て板に水のごとく説明する公式ガイド
  • 犠牲者は何人なのか。98万5000人という数字も
  • 東京都より広い地域が今でも立ち入り制限区域
  • 4号炉石棺は老朽化 線量計が鳴りっぱなし
  • 事故当日、2号炉の全電源喪失で茫然自失
  • ゴーストタウン・プリピャチ市を歩く
  • 戻ってきた73歳の夫婦
  • 移住と食生活――福島の周辺には戻れるのだろうか

立て板に水のごとく説明する公式ガイド

緑がかった迷彩服の防寒具をまとった帽子の女性が、微笑みながらクルマの方に向かってきた。見たところ、20代前半である。

「こんにちは。私が今日ご案内するガイドです。よろしくお願いします」

チェルノブイリ原発を中心とする立ち入り制限区域内を案内する、公式ガイドだ。

これから区域内を視察する参加者全員の表情が、こころなしか爽やかになったように感じる。みんなが、意外だ、と感じたはずだ。

チェルノブイリ原発による被害で制限区域に指定された場所を案内する公式ガイドといえば、役人風、警察官、あるいは軍人風の男性だと勝手に想像していたので、あまりにも新鮮であり、笑顔の女性の登場は意外だったのだ。

3週間前からパスポート情報をメールで送って許可をもらい、モスクワ経由でウクライナの首都、キエフに到着。2日前にはキエフ市内の銀行で参加者4人分、日本円換算で10万円弱を振り込んでいる。

そして3月2日の朝、キエフから北西方面に120 ㎞のチェルノブイリ原発を目指してホテルを出発し、1時間40分ほどクルマを飛ばして、制限区域の検問所まで辿りついたのだった。

道路の両側に詰所があり、バーで道をふさいでいる。パスポートチェックが終わると女性ガイドが乗り込み、クルマはすぐに発信した。

「今日これからご案内しますが、まず注意事項を言います」

何も書類を見ずに、女性は早口に語る。

「立ち入り制限区域では、域内の動植物、食べ物、水などの摂取は、禁止されています。

写真は原則自由ですが、検問所、警察官などの撮影は、しないでください。特定地域では撮影禁止なので、指示にしたがってください」

大きな目を輝かせ、英語でペラペラとすごいスピードで話し、まったく淀みがない。

そして名刺の2倍くらいの紙に、参加者の氏名やパスポート番号が書かれた証明書を手渡してくれた。

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(上)立ち入り制限区域へ入る許可証。(下)原発から18キロメートル離れたチェルノブイリ市内。制服を着た警官や消防関係者の姿が見えた。
「あなたは、ここで月にどのくらい働いているのですか」

同行していた元NHKプロデューサーでNHKスペシャル『にがよもぎ チェルノブイリ原発事故』などの番組を制作してきた林勝彦氏が質問した。

「月に15日です」

「働くにあたって、あなたの浴びる線量のリミットはどのくらい?」

「年間2ミリシーべルトまでです」 

実は、このとき一緒に取材していたのは、林勝彦氏の他に、日本在住の韓国人ジャーナリスト・趙華行(チョー・ファフェン)氏、イタリア語通訳のアルトゥーロ・マリオ・デ・ボルトーリ氏、そして私の、合計4人だ。

なぜイタリア人のボルトーリ氏がいたのかというと、この取材をコーディネートし事務手続きをしてくれたのが、イタリアの支援団体「ソレッテーレ」であり、彼がその取次や通訳をしてくれ、チェルノブイリ原発を見たい、と希望したからだ。ちなみに彼は、平均的日本人よりも日本語の文章を書くのが上手である。

放射能汚染による孫への遺伝的影響を調査する今回の計画を立案した小若順一氏(食品と暮らしの安全基金代表)は、2日前に目的の親子を取材した結果を、制作中の絵本パンレット『子どもの命を守りたい』に追加するため、すでに帰国の途についていた。

犠牲者は何人なのか。98万5000人という数字も

チェルノブイリ原発事故の放射能による被害が、子どもどころか孫にまで及んでいると聞き、その実態を調査取材するためにウクライナまでやってきたわけだが、少なくとも住民は、かなり深刻な健康被害を受けていた。

もちろん、すべてチェルノブイリ事故が原因とは言えず、他の原因も複雑に絡んでいる例もあるだろう。しかし、放射能によって膨大な人々が被害を受けているのは、間違いない。IAEA国際原子力機関発表4000人(2005年)、WHO世界保健機構報告で9000件(2006年)のガン死亡者、グリーンピース9万3000件(2004年)など、データは様々である。

最大の数字を出しているのは、2009年に「ニューヨーク科学アカデミー」から発行された『チェルノブイリ――大参事が人々と環境に与えた影響』という本。1986年から2004年までの死者は、98万5000人だとされている。英語・ロシア語・ベラルーシ語・ウクライナ語などの5000の論文と聞き取り調査の結果だという。

これらはガンを中心とした死亡者数だけであり、それ以外に、生きていても病気に苦しむ人々がいる。もっといえば、病名は与えられなくとも、四六時中だるくてつらいなど、日常生活に支障をきたす苦しみを延々と抱えて生き続ける人々は、膨大なのである。広島や長崎の被害者も同じだ。

本や話では聞いてはいたものの、こちらに来て小児病棟や、病気治療する親子の宿泊施設「家族の家」を訪ね、病気に苦しむ大人や子どもを目の当たりにすると、その深刻さを肌で感じる。病人を抱える家族や親せきたちの生活をも垣間見て、彼らを不幸に陥れた元凶をしっかりと見よう、と現地に向かった

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コンクリートの石棺で覆われた四号炉。老朽化もあり、この外側にさらに強固な覆いをかける計画があるという。

(上)プリピャチ市内。すべてが計画どおりに建設されている。(下)プリピャチの中心部。

トーストタウンになったプリピャチ市のアパート。(上)入口にはこんな絵がペイントされていた。(中)エレベーターはもちろん動いていないので階段で16階の屋上まで登った。(下)室内。どの部屋も何も残っていなかった。

一度避難したが戻ってきた夫婦。この村はかつて400世帯が住んでいたが、いまはこの夫婦を含めて5世帯のみ。チェルノブイリ市近郊の村で。

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