タイで働く(2)「儲けは日本の3倍」も タイでの起業、成功のポイントと困難
タイで焼き鳥屋をオープンしたが、タイ人と仕事をするのは大変だった。胃がキリキリ、後に胃潰瘍と診断された。既に閉店した焼き鳥屋の前にて。 |
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- タイで焼き鳥屋をオープンして失敗
- 「考えるよりも、まずやってみて、後で調整」がタイ式
- 再起をかけてタイに
- 儲けはエグい、日本の3倍
- 日本食やってる社長本人が来てやったら成功する
- FTAで日本からの商品も無税で輸入できるように
- タイは日本人が住んだり起業するインフラも整ってます
- 業種限定だが、法人税無税、外資100%OKというBOI投資制度
- 自身の背丈にあったスケールで始めれば
- 先駆者から学ぶタイでの起業
タイで焼き鳥屋をオープンして失敗
前回はタイの日系企業で働く日本人について書いたが、今回はタイで起業する日本人について書いてみたい。かくなる僕も、北タイにあるパイ(Pai)という観光地で昨年、焼き鳥屋を開業した経験がある。
といっても自身で起業したわけではなく、雇われ店長としてであった。タイでは外国人が起業する際、タイで会社を設立しなければならないが、その会社の資本(株式)の51%以上をタイ人に出資(保有)してもらわなければならないという法律がある。名義を借りるとか、そういった手続きを代行してくれる会社や弁護士もいるが、それなりの資金も必要である。
参照:タイで会社を設立するには僕の場合は2012年10月、パイに16年間住んでいる日本人の方(62歳)から「パイで焼き鳥屋をやりたいって言うタイ人がいるんだけど、今度、一緒に会ってくれないか」と誘われた。
約束の日にBaan Pai Village というリゾート・ホテル&レストランに行くと、タイ人社長ケムチャイ氏が待っていた。とても落ち着いた物腰で62歳という彼は、英語も喋れるし、タイのリゾート地パンパンガン島やサムイ島にリゾートホテルを経営するビジネスマン。日本に仕事で行った際に新橋の焼き鳥屋が気に入り、自身が経営している Baan Pai Village 内のステーキ屋で、日本式焼き鳥屋を出来ないかと、日本人シェフを探しているとのことであった。
シェフの条件は、ワーキングパーミットを出してくれて、住居も提供、週1日休みで、月給1万バーツ(約3万2千円)+利益は半々で分け合うという。悪くない条件である。ケムチャイ社長曰く「あまり儲けは気にしなくていい。とにかく自分の好きな日本食レストランをパイでやってみたいんだ」
最初、僕は「自分でやるのは無理です。誰か知り合いにあたってみる」と返答した。しかし度重なる電話での問い合わせと、辛いタイ飯が好きでない娘や僕が、自身で作った日本食を食べられるのも魅力だと、「当たって砕けろ!」と、引き受けることにした。
「考えるよりも、まずやってみて、後で調整」がタイ式
しかし実際、開店準備などでタイ人と仕事をしてみると、仕事に関する考え方が日本とは違うのを痛感した。日本では店など、何か新プロジェクトを始める時は事前に打ち合せを重ね、どう進めていくのか決定し、共通理解のもと仕事を進める。しかし、タイでは、とにかく「やってみる」。そこで間違いや修正点があれば、その時点で調整していくというやりかたなのだ。
その悩みをケムチャイ社長に相談しても「僕らはタイ式のやり方で成功している。日本式に全部決定して事を起こして、途中で儲からないと分かったら、投資した全額がもったいない」と言われた。そう言えば、僕らが5ヶ月滞在したタコメパイのオーナー、サンドット氏もそういうタイ式「あまり考えずに、まずやってみる」というスタイルだった。
そして店は11月中旬にオープン。しかし、店の手伝いとしてあてがわれたタイ人夫婦は、まだ20歳そこそこで英語も話せなければ料理経験もなし、、、、しかもオープン前日には、社長秘書から売上目標やコスト計算などのビジネス書がファックスで来て、1日=7000バーツ(2万3千円)が目標、最低3500バーツ(1万円)を売り上げてくれという。なんか最初の話と全然違う。
オープン数日はタコメパイの友人や、パイ在住の日本人が大勢来てくれてた。その分、忙しく、準備から休みなしでやっていた僕は左胃下のあたりがキリキリするほどストレスを感じていた。
そしてケムチャイ社長が視察に現れ「うどんもやってくれ。それとトンカツもやりたい」など、どんどん要求が増えていくので、僕も腹にすえかねて「最初と話が違う。料理の数を増やすのは良いが、その分、仕事量も増えるので、もっと給料を上げて欲しい。それと、料理の出来るタイ人を寄越してくれ」と本音をぶつけた。
するとケムチャイ社長は「料理人はステーキ店から寄こす。しかし、売上が伸びれば、利益の半分は君のモノだから、基本給はそのままでいいだろう。がんばれ、成功の為に」と言う。僕がすかさず「成功って、なんですか?」と訪ねると、「マネー!」とニッコリ微笑む社長であった。
そして翌日、僕が疲れを取るため温泉に行きたいので、料理の準備をして夜の営業はタイ人達に任せると、売り上げは650バーツ(2千円)だった。すると次の日の朝、社長秘書に「店を閉める」と冷たく言われ、わずか4日で、幻の焼き鳥屋は店じまい。社長曰く「あまり儲かりそうも無いから」。さすがタイ人、見切りが早い!
結局、給料も家賃を1月払ってやったのだからと言う事でもらえず、その後も体調を崩したまま過ごす(後日、胃潰瘍と診断された)という最悪の年末を迎えた。いやいやタイ人とビジネスするのは、もう結構。なんかタイが嫌いになりそうな経験であったが、タイでビジネスを起こす難しさと、良いタイ人パートナーの重要性を痛感した。
たしかに外国でビジネスを起こすのは難しい。価値観も環境も違う完全アウェイでの勝負なのだ。しかし、僕のように事業に失敗するばかりではない。実際にタイで起業し、順調にビジネスを行っている日本人を紹介したい。
再起をかけてタイに
2012年7月、タイの首都バンコクのオフィス街アソークで串焼き、モツ鍋という大阪の味をメインとした日本食屋「しゃかりき432」をオープンした清水友彦社長(37歳)。現在、バンコクで最も流行っているお店、その人気の秘密が伺えるお話を聞かせてもらった。
――タイに出店した理由は?清水社長「タイには旅行で5,6回来たことがあって、その時、日本食屋のレベルは高いけど、まだまだ入り込む余地があるなと思うてたし。日本で10年、串焼き屋やってたけど、ここ数年、売り上げ下がる一方やし。見切り発車でやってみよ思って、6軒あった店を4軒売却して、残り2軒はカミさんに任せてタイに来ましたわ。半分、逃げだしてきた感じというか、再起をかけてタイにきた」
――タイでの会社設立の手続きとか、お店の場所を決めるのは、面倒ではなかったですか?
大阪的な接客で大成功するシャカリキ432の店構えと清水友彦社長 |
――お店を始める初期投資は?
清水社長「日本と同程度やね」
――タイ語は?
清水社長「カタコトしかできん。けどタイ人スタッフが日本語を分かろうとしてくれる」
――それで、食材の仕入れとか問題ないんですか?
清水社長「日本の食材も全部、こちらで手に入るし問題はない」
儲けはエグい、日本の3倍
――異国の地で、大変な事とかないんですか?清水社長「そりゃ大変やけど、なんとかなる。最初が大変なのは、当たり前でしょ。それが見切り発車のおもしろさや!だから毎日がおもろいよ。俺の基準はおもろいか、おもろないかやから」
――今、バンコクの日本食屋で一番、勢いがあると言われてますが?
清水社長「こんなに流行るとは思ってなかったわ。別に狙ったわけではないんやけど。儲けもエグいね。日本の3倍くらいはあるんちゃうかな」
日本食やってる社長本人が来てやったら成功する
――成功の秘訣は?清水社長「
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K−1MAXチャンピオンのBUAKAW選手のジムでタイ人のボクサーとポーズを取る中山さん(左端)
「マスターピース」という日本の会社の募集を経て、タイのコールセンターで働いた経験を持つ大塚一真くん
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