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記事内容の正確さ裏付ける結果に――内心の「印象」で見出しだけ削除を命令、“異端審問官”原克也裁判長の歴史的言論弾圧判決

情報提供
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〈「東進」はワタミのような職場でした〉などとする特定の東進衛星予備校(FC方式)での労働体験記の見出しに対して、直営の東進ハイスクールを含む東進グループ全体で問題があるような印象を受けるなどとして削除や賠償を命じた東京地裁・原克也裁判長の歴史的言論弾圧判決。
 ナガセ(永瀬昭幸社長)がFC展開する特定の「東進衛星予備校」における過酷な労働環境を告発した体験ルポをめぐる名誉毀損訴訟の一審判決が2016年11月28日にあり、東京地裁の原克也裁判長は、直営・FC方式で全国展開する「東進」予備校の「全てかその多くで」同様のことが起きているとの印象を受ける――などとするナガセ側の身勝手な言い分を丸のみし、見出し削除と40万円の賠償を命じる言論弾圧的な判決を出した。一方で、見出しを除く本文には一カ所も問題となった部分はなく、記事内容(事実の真実性)の正確さが改めて裏付けられた。記事の中身が正確な事実であるがゆえに「見出し」に言いがかりをつけて嫌がらせするくらいしかできないナガセと永瀬昭幸という男の貧しい品性が、裁判を通じて改めて浮き彫りとなった格好。原克也裁判官のFCビジネスをはじめとする経営・経済に対する無知と偏向思想がにじみ出る滑稽な判決文は、いずれ歴史の笑い者にされる内容で、裁判所の劣化を示した。(判決文はPDFダウンロード可)
Digest
  • 現代の異端審問官「原克也」
  • 日本に言論の自由などなかった!
  • 事実と印象のすり替え
  • 裁判官はナガセの回し者?
  • 原克也の「慰安婦問題をでっち上げ」表現を擁護した過去
  • よみがえる讒謗律

現代の異端審問官「原克也」

異端審問官さながらの乱暴な論理は、明治政府が政敵を弾圧した讒謗律をも彷彿とさせるものだった。

原克也裁判長は〈「東進」はワタミのような職場でした――ある新卒社員が半年で鬱病を発症、退職後1年半で公務員として社会復帰するまで〉という特定の体験であることを明示した見出しに対し、「ほかの東進でも同じようなことがあるのではないだろうか」といった、読み手が感じ得る「印象」を理由に、この見出しが「虚偽」と決めつけた。

「1、被告は…ウェブサイトから…見出しを削除せよ…」

メガネをかけ、顔色もよくない。オーラもない。ごく平凡な中年サラリーマンといった風貌の原克也裁判長は、終始下を向いたままモゴモゴと判決を言い渡した。「東進」で起きていることを書いた記事が、その「真実性」や「真実相当性」をいっさい不問にしたまま、見出しに「東進」という言葉を使ったことは違法である、と決めつけたのである。

事実を書いても名誉毀損は成立する。ただし、公益性・公共性があり、かつ真実性・真実相当性が証明できれば違法性が免ぜられる――これが現在使われている日本の名誉毀損の仕組みである。立証責任は訴えられた側に課せられる。

この名誉毀損のあり方をめぐっては、裁判を悪用した「言論弾圧」を横行させているとの批判がなされて久しい。だが今回の判決はこの悪名高い「名誉毀損」の論理をさらに飛び超えてしまって、凶暴さを激増させたと言ってよい。真実性や真実相当性を争点とせず、単に表現から読者が受ける(であろうと裁判長が偏狭な心で思い込む)「印象」だけを理由に「虚偽」で「違法」としてしまったのだ。もはや日本は、建前としても民主的国家とは言いがたい状況になりつつある。

「私は検閲官だぞ!」

裁判官が自らそう宣言したに等しい歴史的な言論弾圧判決だった。これは、原克也裁判長と中野達也・小久保珠美各陪席裁判官の名とともに後世に記録しておく必要があると、傍聴席で判決を聞きながら筆者は思った。

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東京都内の東進ハイスクール。過酷な労働環境などFC、直営の各地の校舎などから問題を訴える声が漏れてくる。

日本に言論の自由などなかった!

そもそもナガセの訴え自体が意味のよくわからない内容であった。記事は嘘だ名誉毀損だといいながら、いったい記事のどの部分にどんな嘘が書いているのかがはっきりしない。仮に、反スラップ法のある米国の州でこういう裁判を起こそうとすれば裁判自体が門前払いによって成り立たないであろう。

虚偽を書いたと、記者・編集者にとって最大の侮辱を投げつけられた記事とは何か。一読してわかったのは、それが、少なくとも新聞記者5年、フリージャーナリストを約20年経験した私の目から見て、「特定の東進衛星予備校における過酷な労働実態を記した体験ルポであることが、いっさいの誤解なく明確にわかるよう丁寧に書かれたもの」であったことだ。

なにより「私は」という一人称で書かれていて、取材源を守るため匿名としながらも、情報源を最大限、明示している。新聞テレビをながめれば、深刻な事実誤認を招くような事件記事や根拠不明の観測記事など怪しい記事であふれている。それらに比べれば限りなく良心的な記事といえよう。

この記事に対してナガセは、見出しを含めて読めば、直営の東進ハイスクールとFC方式の東進衛星予備校のすべてかその多くで、うつ病に罹患するような過酷な労働が強いられているような印象を与える、だから虚偽だ。そういってきた。

どこの部分のどういう記述が「虚偽」なのかをはっきりと示さない。ひたすら使わるのが「印象」という言葉だった。

当り前のことだが、事実と印象はまったくの別ものだ。記事として事実を書く。その記事を読んだ者はなんらかの印象を受ける。モノを考える。すなわち、虚偽という指摘をなし得るのは「事実」に対してのみ、ということになる。読み手の内心に発生した印象について、それが虚偽だとかどうとかいうことは、判定しようがない。

ナガセの理屈によれば、書かれた事実がどうであれ、読者の印象次第でなんでも「虚偽」になりかねない。特定の「衛星予備校」での体験であるとはっきりと事実を書いているのに、読み手が「ほかの東進でも似たことがあるのだろう」という印象を持てば、「虚偽の記事だ」というわけだ。「印象」を「事実」にすり替えた論理である。ほとんど詭弁の類といってよいだろう。原克也という裁判官の、論理的思考力の欠落ぶりが明確にわかる判決文だ。

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ナガセ社長・永瀬昭幸氏。ナガセホームページより。

事実と印象のすり替え

ナガセは訴えのなかで、問題になった長文の記事すべてについて、上の「印象」を「事実」にすり替える論法で、「記事は虚偽だ」と主張した。個々の事実を指摘して「ここで記述されている事実はない。虚偽だ」というのではない。記事に書かれた特定の東進衛星予備校での過酷な労働実態そのものについては争わず、全国の東進全体が過酷な労働環境にあるような「印象」を受けるから「記事は虚偽だ」というのだ。

無理のある主張だ、と筆者は思った。案の定、裁判がはじまったものの、どこがどう虚偽なのかナガセ側は具体的に指摘できず、やがて争点の多数を取り下げた

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ナガセ本社(東京都武蔵野市吉祥寺)。

ナガセ本社(東京都武蔵野市吉祥寺)。

FC方式で運営する東進衛星予備校のひとつ。本文とは直接関係ありません。

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Nean2017/08/26 13:44

ナガセ(東進)の件。

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編集長2017/07/01 14:12会員
高裁はMNJ逆転勝訴2017/07/01 14:11会員
ホーリー2016/12/10 14:49
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