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勝つか負けるか!武富士裁判を占う 銀座の父「負けても、ドバっとお金が入ってきちゃう」!?

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筆者の手。「頑固だけどロマンチストだな…孤独性が入ってるね」と銀座の父。
 1億1,000万円で訴えられた当初、同情し、また面白がってもいた周りの人たち。だが筆者の頭の中は、武富士一色。口を開けば「武富士は悪い」の繰り返しで、世界の中心に武富士と自分がいるかのごとく“武富士依存症”然となった貧乏ジャーナリストは、やがて疎ましがられ、現在に至る。銀座の母に「武富士はウソ言うに決まっている」と言われ、ちょっと嬉しくなった筆者に対し、“銀座の父”は、想像を絶する世界を語るのだった。
Digest
  • いざ、夜の銀座へ
  • 武富士一色の3年半
  • 感覚違う、母、父、姉、姪
  • メキシコ、スペイン、アフリカ…家族迷惑の過去
  • 女子大生を紹介してもらっていたら・・・
  • あなた、注意力がないね
  • モノ書いたらやりすぎちゃう
  • 心当たりある「情にもろい」
  • まるで精神科医のカウンセリング
  • 世の中は、訴えられたい人であふれ返る?

いざ、夜の銀座へ

 今日は、“銀座の父”の診察日だ。

「銀座の三菱東京UFJ銀行の前に、7時半から集まっているようだから、明日の待ち合わせは和光の前に19時ね。今度はなにを言われるかしらね(笑)」

昨晩、銀座の母に占ってもらった後、占いの”先輩”、山中さんが待ち合わせ時間と場所を筆者に指定した。

昨日は早朝の銀座、今日は夜の銀座と、占ってもらうのも体力がいる。

先輩によると、「銀座の父」も、メディアによく出ているカリスマ占い師らしい。夜の鑑定は、月から土曜の午後7: 30から。喫茶店「仏蘭西屋」でやるのだ。

鑑定料は7分3,000円。手相と四柱推命中心。希望者は2,000円増しでパソコンを使った西洋占星術もやるとあった。

「喫茶店?」「パソコン?」 

路地の片隅に座って、行灯(あんどん)の薄暗い明かりを頼りに、ジャラジャラと竹串を鳴らす--筆者の脳裏にあるそんな易者のイメージが、また崩れた。

昨日は、占いか人生相談かよく分からない“銀座の母”の“初体験”だったが、新鮮だったことは事実だ。

バリバリ仕事するぞ、と翌朝から机に向かった。だが原稿は難航している。呻吟(しんぎん=苦しみうめくこと)しているところに、携帯電話が鳴る。

「三宅さん? 金曜日のキタムラです(北村肇編集長)。えーっと、判決の日の資料なんですが…忙しいけど」

 「ああ、ハイハイすみません…」

もうずいぶん前からの頼まれごとである。

 電話を切って、再びワープロ画面に戻ると、すぐさま○×ニュースのHさんから原稿の催促だ。

「ミヤケちゃん!」

ああやばい…締め切りすぎている!

そんなことをしているうちに日は高く昇り、取材で出かける時間が迫ってきた。バタバタと外に出ようしたら「鍵がない」。汗だくになって探し回ること半時間。結局、カバンの奥から出てくる。嗚呼、また遅刻だ。

“銀座の母”のご利益も、こうした喧騒の中で早くも忘却の彼方に消えようとしていた。

「一生のうちにどれくらい信号待ちで時間を浪費するのだろうか」と考えたことがあるが、最近では「どれくらい探し物で時間をつぶすのだろうか」と思ってしまう。忘れっぽくなった。

 「普通でも1日数十万個の脳細胞が死ぬらしい。俺たちはもっと死んでいるはずだ」

筆者が大学の剣道部にいたとき、先輩がそんなことを言ったことがある。ボコボコとメンを打たれた後遺症が今ごろ出てきたのか?

それでも武富士に訴えられて勝訴するまでの1年あまりは、争点の細かい事実関係をかなり正確に覚えていた。勝訴が確定し、一連の話を『武富士追及』(リム出版新社)にまとめたのが05年11月。脱稿したとたんに、なぜか健忘症のように、小さな事実はどんどん忘れていった。

“銀座の母”の話で、たぶんしばらくは忘れないであろう言葉が、「武富士はウソ言うに決まっている」。

 そんなすっきりした言い方は、実家の家族はおろか、弁護士の口からも聞いたことがない。正直、うれしかった。
 

夜の銀座、山中さんとふたり、三菱東京UFJ銀行の前で、「銀座の父」を待つ。

「三宅さん。訴えられたり、裁判になると、まわりがいろいろと見えてきたでしょ?」と山中さんが言う。行く人、来る人、来ては去る人、去っては来る人--確かに、いろんな人間模様があった。

武富士一色の3年半

武富士と闘ってきた3年半は、筆者自身が感情の波に翻弄された年月でもあった。気分が上がったり下がったり。怒ったり、喜んだり。

 「あの武富士の記事は、やっぱりやばいよ」

「訴えられるのは当たり前」

訴えれた当初、そんな噂が耳に入ってくるたびに、ムキになって怒ったものである。たとえば剣道部の後輩で、大手都銀に勤めるA君は、あるときこんなことを言った。

「事実と反したことを書いて名誉毀損すれば、提訴されるのは当たり前ですよ。私なんか、しょっちゅう何件もの訴訟抱えて裁判所行ってますよ」

高給をもらいながら銀行の取り立て裁判を手伝っている行員と、生身で武富士を相手にしている筆者を一緒にされてはたまらない。筆者は、先輩という立場を忘れて、容赦なく彼に怒りをぶつけた。彼は素直に「すみません」と謝ったが、後味はよくない。

いつしか、筆者の頭の中は武富士一色。口を開けば武富士の話しか出てこなくなった。武富士がすべて。世界の中心に武富士と自分がいるような状態だ。

親友とお茶を飲むときも、まず武富士の話から。

 「武富士っちゅう会社はすごいらしい。リンテンで、店長がブロック長をバキるんだ」

タケフジ? 隣の客が振り返る。

リンテンとは「臨店」。鉄拳指導も辞さないという“竹の子”たちにとっては泣く子も黙る抜き打ちの業績査察だ。バキとは「罵声」と「激」が合体した怒鳴り声。故・武井保雄元会長の次男健晃(たけてる)専務のバキは有名だ。

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退職時覚書。武井前会長が健在だったころ、武富士社員には徹底した緘口令が敷かれた。退職後も社員との接触は禁止。第三者に情報提供禁止。弁護士にメールをしたことが原因で、退職させられた社員も多い。

「ん、なー! 回収いくらだ?」

「2460でございます!」

「なんだそりゃ? ぜんぜん足りねージャン!」

「申し訳ございません!」

 リンテンやゲキについて調子に乗ってしゃべっていると、親友が眉をひそめる。

「三宅…声でかい。タケフジじゃなくてT社と言え…」

「あ、T社。そのT社の店長が管理ミタツしてマリモで支社行って、対策書書いて朝まで未達会議でツメられた。ひどい会社でしょう」

「はあ??」

ミタツとは「未達」と書く。回収のノルマが達成できないという意味の武富士用語である。マリモは、釧路と札幌を結ぶ「寝台特急まりも」。ノルマを未達した支店長は、手書きで反省文を書かされる。それが「対策書」だ。

回収ノルマを達成できなかった支店長が、特急まりもで釧路から札幌支社に呼び出され、車内で反省文を書かされた挙句に、拷問のような“会議”で朝まで絞られた。

そういう意味である。

武富士の社員以外、こんな会話が理解できるはずもない。

「1億円。1億くれるのか? いつや?」 

最初は同情したり、面白がっていた友人たちも、“武富士依存症”然とした筆者に、次第に辟易してきた。

誰かに話を聞いてほしい。ストレスがたまって、古い年賀状を探す。目にとまったのは、昔の女友だち。平日の深夜に電話する。

「ああ三宅さん、お元気?」

例によって武富士のことを一方的にしゃべりまくること1時間超。しばらく経って女友だちから抗議の長文メールが届く。

「久しぶりだと思って我慢して話を聞いていたが、あなたは自分のことしか考えていない。私も忙しいのよ!」

感覚違う、母、父、姉、姪

直接の利害が関わる家族となれば、もっと難しい。

「あんた、武富士から訴えられたんかな? もういい加減にしときねえ。危ないことはよして。エエ人はおらんのかな?」

70歳になる倉敷の実の母は、そう繰り返す。76歳の父親には、「怒るから黙っといて」と、何も教えないよう、口止めされている。父は文字が嫌いで絵ばかり描いている人だが、「息子は東京で『週刊金曜日』という一流の雑誌で働いている。山陽新聞より待遇はいいらしい」と勘違いを信じている。

 身内で唯一、本音で話せるのは姉なのだが、引きこもり気味の息子と長女の大学受験で、てんやわんや。いい年をした不肖の弟を構う余裕などない。

「姉ちゃん、ワシ、あの武富士と裁判で闘ようるんで(闘っているのですよ)」

一族の誉れなんだよお姉ちゃん--と言わんばかりに得意げに話したつもりが、まるで逆効果。

「あんたは心配ばかりかけて。そのしわ寄せが誰にくるかわかっている? こないだもお母ちゃんが…」と手厳しい。

親のことを出されるのは辛い。

「せっかく入った新聞社におればよかったのに。たまには子どもに小遣いくらいやってよ。あんたが年とったらウチの子どもが面倒みにゃおえんのんよ。わかっとる? 好きなことばかりして…。ねえプリンちゃん」

“プリンちゃん”とは、姉一家のお座敷犬だ。甘やかされて育ったために、筆者が食事していると抱きついてきて、皿を狙ってくる。

「こりゃ!」と叱ると、姉がすかさず、「ちょっと、怒らんでよ!」。

東京では、「武富士VSフリージャーナリスト&反サラ金弁護士」の、緊迫したバトルが続いているというのに、なんという感覚の違いか。つくづく、がっかりする。ろくすっぽ新聞も読んでいないのだから仕方がない。

「おっちゃんも、大変じゃなあ…でも(テレビCMで見る)チワワは、かわいいよ」

一縷(いちる)の望みを抱かせてくれるのが、高校生の姪だ。だが、筆者はチワワと聞いただけで冷静さを失い、つい余計なことを口走ってしまう。

メキシコ、スペイン、アフリカ…家族迷惑の過去

「チワワ? チワワのことなら叔父さん詳しいで。メキシコ北部にチワワ州というのがあって。メキシコ革命では…それはともかく、アイフルというのは武富士と並んで、ひどい会社なんじゃ」

姪がまだ小学生のころなら、「おっちゃんは偉大だ」と、キラキラした瞳で聞いてくれていたことだろう。だが時代は変わった。

“偉大なオジさん”の大演説を姪は退屈そうに「ふーん」と一蹴、携帯電話をピコピコやり始めた。

実は、筆者の家族にとって、「メキシコ」「スペイン」「ニカラグア」「アンゴラ」は、独特の響きを持っている。今回、その語彙群に、「武富士」が加わった。

かれこれ20年前。筆者が大阪の大学で学問に苦しんでいたころ、学業の不出来さのあまり休学して国外に逃げ出したことがある。逃亡先はスペイン。親にはいっさい相談せず、台所の机に書置き一本残しての旅立ちだった。

 「お父さん、お母さん、わたしは旅に出ます。1年したら帰ってきます……」

無論、一族郎党は大騒ぎとなった。

留学など優雅なものではなく、目的なしの貧乏旅行。金がないから、観光地を回るわけでもない。結局、パキスタン人にだまされて有り金を奪われ、マドリッドでレストランの皿洗いをするはめになる。おかげでスペイン語の魚の名前には多少詳しい。

勉強くらいできなくても、いろんな生き方があるんだ。そんな自信をつけて帰国した筆者は、「勉強して、とっとと卒業するぞ」と意気込んだ。

しかし、夏休み前にあえなく挫折。今度は、中米(メキシコ)で一年間を過ごすことになる。

留年と休学の繰り返し。気がつけば8年生となっていた。

今なら放校ものだろうが、当時は筆者のごとく出来の悪い学生にも、就職口があった。温かく迎えてくれたのは『神戸新聞』だった。淡路島の支局に勤務することが決まり(いわゆる「内定」だ)、見合いの話まで来て、“人生絶好調”。ハイになっていた矢先の春先に、下宿に一本の電話が掛かってきた--。

 「三宅君か。学部の○○だが」
 「ああ、センセ、お世話になります」
 「それがな…君、単位が足れへんのや」
 「え! どうすれば」

「うん、どうしようもないなあ…」

一般教養の単位が落第していた。就職計画は振り出しに。

がっかりする母親をよそに、筆者はこれぞチャンスとばかり、カメラを持ってアフリカに出かけた。目指すは内戦中のアンゴラである。何ヶ月も連絡が取れなくなって、家族は大騒ぎ。ようやく帰国してきたと思ったら、アメーバ赤痢という伝染病を持っていることが分かって、強制入院騒ぎとなった。

実家も姉一家も、消毒液を撒き散らされた挙句に、検便検査。結果が出るまで外出禁止だ。大阪の下宿も、大家さんの家も、同様の“被害”に遭った。

一方、当の本人は市民病院の隔離病棟で、のんきに看護士らとだべっていた。

「あなたがアメーバ赤痢のミヤケさんですか? アフリカの話、聞かせてください」

 看護士たちも、一般病棟より楽なのか、三々五々訪れては、仕事の悩みなどを打ち明けていった。

こんないきさつを経ている故、姉にしてみれば、さんざ迷惑を掛けてきた問題の弟が「武富士から訴えられた」と泣きついてきても同情できないというわけである。

女子大生を紹介してもらっていたら・・・

怖いもの知らず、恥知らずの20代のころだったが、武富士に訴えられてからというもの、気弱になることが増えた。

「あのなあ、ミヤケ! 野生ツキノワグマいうのは、ひとりじゃ生きられん動物なんじゃ。飲め!」

孤独を感じるたびに、『山陽新聞』の新人時代に担当していた動物研究家・矢吹章さんの言葉を思い出した。

矢吹さんは、岡山のツキノワグマ研究の第一人者である。岡山の野生ツキノワグマは、絶滅の危機にある。

矢吹さんによると、ツキノワグマは、普段は単独行動しているが、必ずほかのクマの痕跡を確認して、安心している、というのだ。

 「仲間がおらんようになったら、ノイローゼになるんじゃ。お前も、結婚せえ。いい女紹介してやる。動物好きの女子大生や」

その言葉に素直に従っていればどうなっていただろう…。成人式のボコボコ事件、武富士との裁判、--気がつけば、山中先輩を前にサエナイ人生話を延々と話していた。

これほど辛抱強く聞いてくれる人も珍しい。

「そこまでくると、やっぱり開運しかないわ(笑)」

話し疲れた筆者に、先輩はあっさりそう言った。

あなた、注意力がないね

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「銀座の父」に占ってもらっている著者

 銀座の父は、7時半に現れた。

わたしたちは、銀座の父の後ろをついて、狭い階段を降りて、「仏蘭西屋」という名の洒落た喫茶店に向かった。父は、昼は六本木で、夜はこの店で占っているという。

今晩占ってもらうのは、筆者と山中先輩の二人だけのようだ。まず筆者から、占ってもらうことにする。果たして、筆者の過去、そして近未来を、どこまで言い当ててくれるのだろうか?

少し離れた席から、先輩が様子を観察している。

 「じゃ、どうぞ」

父は席に着き、筆者も向かい合って座った。父がメニューに目を落とす。ウエートレスが近づいてくる。

 「じゃあ、トマトジュース」

茨城弁でまくし立てる“銀座の母”とは、うって変わり、標準語で悠然とした話しぶりだ。都会人の雰囲気が漂っている。紳士然としてかっこいい。

 「わたしはコーヒーを」

筆者も努めて“紳士的”に注文する。

--かしこまりました。

 アルトサックスに乗せてジャズボーカルが響く店内で、父が穏やかに言う。
--左手出してごらん。

まず、手相からだ。

--ああ、頑固で好き嫌いが激しいから、ちょっと厳しいよね、いろいろね。大変だよ。

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高裁判決を不服として上告した際の、上告理由書。筆者・三宅に対して「社会的立場も不明な1人のフリーライターにすぎない」「取材に応じないから真実と見なすなどということは、己の立場をわきまえない誠に不遜な態度というべき」などとこき下ろしている

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読者コメント

面白い2008/02/01 02:50
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勝つか負けるか!武富士裁判を占う 新宿の母「大凶から大吉へ 今月から開運する!」
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