ときどき、正当な報道やジャーナリズム活動を、まじめな顔で「暴露本」と表現する輩がいて困る。
BBTが、本サイトで
連載し日韓で出版もされた『
トヨタの闇』(筑摩書房より文庫化)を“暴露本”リストに挙げていたので、一応、指摘しておこう。
外国人には分からないと思うが、暴露という言葉や語感は、明らかによい意味、ポジティブな意味の日本語ではない。
大辞林によると「暴露」とは、
[1] 他人の秘密・悪事などをあばいて明るみに出すこと。 [2] 直接風雨にさらされること。また、有害物質や病原菌などにさらされること。 |
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だそうで、主に「他人」=人間に対して使う。
単なる有名人や芸能人の低俗な芸能スキャンダル、たとえば酒井法子や石原真理子の本は「暴露本」でいいと思うが、巨大企業の内幕を描いた、左記に列挙されたような本は、権力を監視するという目的に立った、ど真ん中のジャーナリズム活動なのであって、暴露などという低俗な表現を使うのは間違っている。
ジャーナリズム=言論表現の自由は、民主国家にとって必要不可欠なものであるから、神聖なプレーンバニラのジャーナリズム活動を暴露本と卑下し、見下すのは極めて失礼なことであって、民主主義に対する冒涜(※冒涜=崇高なものや神聖なもの、または大切なものを、貶める行為)とも言えるのである。
図にあるように、アパレル会社は途上国の児童労働が外部のメディアやNGOによって告発され、問題は改善され、世の中は前進した。これら最高レベルのジャーナリズム本が高く評価されないならば、民主国家としての日本社会の、成熟も発展もないだろう。