富士通EXIT 城繁幸「知ってしまった以上、言わないとダメだと思った」
「年功序列の大企業で自分がやりたいことができるのは、運が良くても20年後だった」と語る城氏 →ブログ『Joe's Labo』 |
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- 自分を追い込む
- スポンサータブーで4社が通らず
- 2年先は考えない
- 失うものなんて、何もない
- 現場を知ることにこだわる
- 役員室に呼び出される
- 外資に転職しても日本は変えられない
- ここでやらなきゃ、一生やらないな、と思った
- 大企業でやりたいことができるのは20年後
- そんなに納めるんですか?
- 賃貸契約で大手が相手にしてくれない
- 経済や哲学の基本書を読んでおけば…
- キャリア年表
自分を追い込む
富士通に辞表を出した31歳の春、貯金は200~300万円。再就職のあてもなく、さりとて本を出したい構想はあったが、出してくれる出版社も決まっていない。前年秋から取り掛かった原稿は半分も書けておらず、記者や編集者の知り合いもゼロ。傍から見ると、無謀を絵に描いたような辞め方だ。
残業は当り前で自分の時間もとりにくいため、辞表を出して自分を追い込む形をとったのだ。溜め込んだ有休を消化する最後の1ヶ月間が勝負だった。社員の身分はあるので、IDカードで自由に全国の事業所に入れる。休日に社員に会って話を聞くのは個人の自由だ。リストラに揺れた長野工場なども訪れ、合法的に社内を取材し、執筆も進めた。
貯金はどんどん底をついていく。そこで、治験ボランティアに応募することにした。「周りの人たちを見ても、まさに“終着駅”的なものを感じましたが、いいカネになったんです」。花粉症治療薬の治験で、月に2回通って注射を打たれ、経過を観察される“人体実験”の被験者だ。
節約のため、食事はもちろん、全て自炊。白米は高いので麦を半分混ぜ、おかずも(精進料理の)高野豆腐や、おからを豆腐屋で1キロ200円など大量に買い込んでやりくりした。そのため当時は62キロと、実に健康的な体重だった(今はプラス10キロ強と戻ってしまった)。
スポンサータブーで4社が通らず
執筆拠点は、在職時に独身寮を出てから住んでいた川崎工場近くの賃貸マンション。退職して執筆に集中できたことで、なんとか原稿は形になった。問題は、コネが何もないなか、どこが本にしてくれるか、だ。自分で出版社の代表電話にかけて内容を説明し、企画概要を送付した。
世間的にも、ちょうど成果主義の功罪が話題になりかけていた頃で、それなりの反応は期待していた。だが10社に送ったところ、4社は全く興味を示さない。なかでも中央公論新社は「自費出版でやってください」と言い放ったほどだ。
企画会議などで検討されることになった6社のうち、日本経済新聞社、東洋経済新報社を含む4社は、富士通が大手広告主ということで断られる。
結局、OKが出たのは光文社とPHPの2社だけで、レスポンスが速かった光文社ペーパーバックスに決まった。同シリーズを立ち上げた山田順編集長はフットワークが軽く、決断が速いことで知られる。企画概要を送ってから6時間後にOKが出るというスピード決裁だった。
7月に発売となった『内側から見た富士通』(右参照)は、たちまちベストセラーとなる。5万部でベストセラーといわれるビジネス単行本の世界で、現在26万部に達している。売れたあと、企画会議を通せなかった扶桑社の担当者からは、丁重なお詫びのメールがきた。「売れたもの勝ち」の世界なのだ。
とはいえ数ヶ月は印税も入ってこない。2004年の春から秋まで生活は厳しかった。独立の成否をかけた決戦の半年間は、ひとまず大勝利を収め、幸先よいスタートをきった。
2年先は考えない
そもそも、出版は水ものだ。ノンフィクション系のベテラン編集者は「とにかく本が売れない、何が売れるのか、出してみないと分からない」と口を揃える。当面の生活とキャリアを1冊の本に託すのは、かなりリスキーなEXIT計画にも見える。
「失敗したときのことは、あまり考えなかった。本が売れなかったら、他社で人事をやっていたか、人事系のコンサルにでも行けばいい、くらいに思っていた」。確かに本が売れなければ名前も知られないから、転職にも差し障りは少ない。実際、人事の同期14人のうち、既に半数が辞め、下の代では全員辞めている代もあり、コンサルティング会社などに転職していた。
とはいえ在職中に転職活動をするのに比べると、辞めて時間が経つほど足もとを見られ、不利になる。かなり大胆な辞め方だ。「2年先のビジョンなんて、今でも考えていない。そのときのテーマで完全燃焼していれば、結構、開けてくるもの」。中長期の先を見越した損得では考えないのである。
親が反対することは分かっていた。最初に会社を辞めたことを告げたのは、本が売れてしばらく経った頃だった。本が売れていようが、昭和的価値観に染まった団塊世代の親は、子供が大企業を辞めると言えば、自動的に反対する。『若者はなぜ3年で辞めるのか?』に、辞める件を手紙で伝えた際の様子が描かれている。
「絶対にダメよ!なんのためにあんたをいままで育ててきたんかね!」
月曜日の朝一番。実家からの電話で、母親が泣き叫ぶように口走ったセリフだ。(中略)少なくとも自分自身については、大企業で定年を迎えるために育て上げられたということだ。特に団塊ジュニアと団塊世代には、私と似たような家庭が多いように思う。
失うものなんて、何もない
冷静に考えると、訴訟リスクもなかったわけではない。本のなかでは、賞与分布表など社内文書も散見される。ジャーナリストが取材源を秘匿して世に問うケースは普通にあるが、著者自らが元人事部社員という身元を明かしているとなると、勇気ある行動といえる。
「失うものなんて何もない、というのが当時の感覚。映画『コマンドー』のジョン(シュワルツネッガー)じゃないけど、『来いよ、ベネット!銃なんか棄てて、かかってこい!』くらいの
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『若者はなぜ3年で辞めるのか?』(光文社新書)。本のタイトルは、「いつも出版社側が出してきたもので決まって、結果的に成功している」
バー「cacoi」にて取材
EXIT成功事例のポイント一覧
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読者コメント
城繁幸『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか─新アウトサイダーズの誕生』(ちくま新書)2008年3月5日発売。
記者からの追加情報
本文:全約10,900字のうち約8,100字が
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