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罵声数時間に完全シカト…いじめ苦に警部が自殺 神奈川県警の虐待体質

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自殺したA元地域3課長が所属していた神奈川県警幸警察署(上)と管内の掲示板に張られた地域課の防犯ポスター(下)。直属上司の次長から連日罵声を浴びたり無視されるなどの嫌がらせを受けたという。更衣室で拳銃自殺未遂事件も起きたが、外には出ないまま隠蔽された。
 2008年12月9日、神奈川県警幸署(川崎市幸区)の地域3課長・A警部(享年52歳)が自宅で首をつって自殺した。「お前はだめだ」などと長時間罵声を浴びせられる、飲み会の席で完全に無視される――生前Aさんは、上司の嫌がらせに悩んでいることを家族にもらしていた。だが県警からは、関係者の処分や公式謝罪はおろか事実調査の報告もない。苦悩した遺族は、国賠訴訟を決断する。その口頭弁論がこのほど横浜地裁ではじまった。法廷で浮き彫りになりつつあるのは、責任のがれにやっきになる警察組織の非情な姿である。
Digest
  • 転機はI次長の着任、罵声浴びる毎日が…
  • 部下30人分の勤務評定・査定書を書き直せ
  • 隠蔽された幸署拳銃自殺未遂事件
◇ “パワハラ死”訴える遺族に「全面的に争う」と県警
 A警部の遺族が神奈川県警を相手取って起こした国賠訴訟が、4月8日午後13時20分、横浜地方裁判所の5階502号法廷で始まった。原告はAさんの妻と2人の息子。被告は、いじめの加害者だとされる元幸署次長・I氏(現在は伊勢佐木署地域課長)、監督者の青木壽治・元幸署長(退職)、そして神奈川県――の3者である。

 「被告は答弁書…、原告側は準備書面1を…陳述ということでいいですか」

 手元の書類に目を落としながら裁判長がいう。

 「はい」

 原告弁護団長の御器谷修弁護士が答える。
 
 淡々とした事務的なやりとりが、ぼそぼそとした声で続く。傍聴者の目に映る一見穏やかな光景とは裏腹に、裁判の内容はきわめて深刻だ。提訴は今年2月18日付、訴状の骨子は次のとおりである。

 〈神奈川県警幸署地域3課長だったAさんは、上司のI次長から人格を無視した執拗なパワーハラスメント(パワハラ)受け続けてうつ病に罹患し、休職や自殺未遂を繰り返したうえ、2008年12月9日、自宅で首をつって自殺をはかり死亡した。Aさんの自殺とI氏のパワハラは因果関係がある。I氏と当時の青木壽治・幸署署長、ならびに神奈川県は、連帯してAさんの相続人である原告3名(妻と息子2人)に対して、逸失利益や生前の治療費、慰謝料計約1億2880万円を支払え――〉

遺族の悲痛な訴えに対して、被告側はこの日の弁論で、以下のような答弁書を出した。

〈請求をいずれも棄却する、との判決を求める〉

 具体的なパワハラの事実については、「事実関係調査中」(神奈川県答弁書)と明答を避けたが、全面的に争う姿勢をみせたのだ。上司のパワハラで自殺に追いやられた――と訴える遺族と、それを否定する神奈川県警との法廷闘争が、こうしてはじまった。

 代理人弁護士によれば、遺族は当初、提訴するつもりはなかったという。願いを聞いてほしいだけだった。その願いとは次の3点である。

 ①「誠意ある謝罪文と損害賠償を行うこと」
 ②「上司Iに対して厳正なる懲戒処分を行うこと」
 ③「神奈川県警察として再発防止策を実施すること」

 弁護団を通じてこれらを県警側に申し入れたのは昨年12月だった。遺族は誠意ある回答を待った。だが何ヶ月待っても警察から連絡はなかった。中間報告の類もいっさいない。やがてAさんの死からやがて1年がすぎた。それでも連絡はない。遺族は不安に駆られた。

 事件が風化してしまうのではないか――。

 裁判という選択は、遺族が悩んだ末に選んだ最後の手段だった。

転機はI次長の着任、罵声浴びる毎日が…

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上司のパワハラが原因で自殺に追いやられたとして、警部の遺族が国賠訴訟を起こした横浜地裁。次回第2回口頭弁論は6月10日10時15分から開かれる。
 肉親の悲劇的な死によって、遺族はショックを受けている。取材を受けることは精神的苦痛を伴うという。弁護団のアドバイスに従って今回はインタビューを断念した。以下は、おもに弁護団の話や訴訟記録を通じて振り返った事件の経緯である。
 
 Aさんはいわゆるノンキャリアと呼ばれる通常枠で採用された警察官だ。地元の高校を卒業して神奈川県警に入ったのは1975年。相模原南署を振り出しに、機動隊や県警本部広報課などを経て2006年9月、警部昇進と同時に幸署地域3課の課長となった。

 地域課とは主に交番勤務の警官が所属する部署である。

 幸署が管轄するのは川崎市幸区。10キロ平方メートルほどの範囲に15万人以上が居住する人口密集地で、犯罪やトラブルが比較的多い。職場は多忙だったと思われる。

 それでも着任後1年ほどは順調に仕事に励んでいたという。現に着任4ヵ月後の2007年1月1日には優秀な警官として表彰され、昇給を受けている。

 仕事以外でも、休日には地元の中学校で剣道のボランティアコーチをするなど、忙しく充実した毎日を送っていた。家族を大事にし、幸せな家庭生活を送っていたと、遺族は述べている。胴着はかまに防具をつけ、日に焼けた柔和な顔でカメラに向かって笑うAさんの写真が残っている。その姿はいたって健康そうだ。

 そんなAさんの身に異変がはじまったのは、地域3課の課長に着任してからちょうど1年目、2007年9月のことだった。地域担当次長が交替し、新しくI氏という男性がやってきた。後に遺族から提訴されることになる直属の上司である。

 I氏は、宮前署警備課長や相模方面本部警備部担当補佐官を歴任してきた警備畑の警察官だ。幸署にくる前は栄警察署の調査官だった。

 階級は栄署時代まではAさんと同じ警部で、幸署に着任すると同時に警視に昇任した。栄転である。ノンキャリアとしては順調な出世だといえる。

 だが、このI氏の次長着任直後からA課長は、その人間関係に苦悩するようになる。最初は「罵声」だった。その様子は、原告側の訴状や準備書面によればおよそ次のようなものだったという。

 〈Aは当時、3日に1日程度の割合で当直の勤務を行っていた。当直明けの朝は、上司のIに口頭で報告してから帰宅することになっていた。その報告の際、IはAに向かって、

 「A、お前はだめだ!」

 「だからお前はだめだ!」
 
 などと繰り返し叱責した。報告する際に言葉が詰まった、といってしかる。空き巣の検挙実績が上がらない、といってしかる。周囲には部下ら20人ほどの署員が働いていた。それでもIは構わず、机の前にAを立たせたまま1時間以上にわたって大声で怒鳴り続けた

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神奈川県警本部。上司の処分や謝罪を求める遺族の求めに対し、1年5ヶ月を経たいまも何の回答もしていないという。

市民を守る巡査をかたどった神奈川県警本部前の像。A警部に罵声を浴びせていたという次長は、事件後遺族に謝罪をした。しかし県警の小笠原晃監察官室長は議会で、「元上司が遺族に謝罪したのは、パワハラを認めたからではない」と、責任を否定する答弁を行った。責任逃れの姿勢がありありと浮かぶ。

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山本兼吉2015/05/12 00:37
田中 2015/05/10 11:54
2010/05/16 02:59
山田2010/05/04 04:19
2010/05/04 01:25
警察大好き?2010/05/03 19:31
2010/05/03 17:23
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次回弁論は6月10日午前10時15分から横浜地裁502号法廷で開かれる。
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