「利益出てる店は1割だけ」上海の日本人和食店経営、厳しい現実
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『うどんすき河村』総料理長の春名敦貴さん |
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- 29才、月収100万円でヘッドハント
- ネットの人材募集で今の店に
- 仕入れルートは「銅川路」市場
- 高級店は「長崎鮮魚」を使う
- 「重さをごまかすのが当り前」の市場
- 日本人経営の店で利益が出ているのは1割だけ
29才、月収100万円でヘッドハント
もとは岡山県津山市の生まれで、大学を1年で中退して1年サラリーマンをやったあと、20歳から料理人の世界に入りました。だから回り道をしていて、この世界ではスタートが遅いほうです。今はもう潰れてしまった岡山の茶事懐石の店で、8年ほど料理人のキャリアを積みました。
中国にやってきたのは、今から9年前、29才のときです。決断に踏み切った理由として一番大きかったのは、待遇面でした。月8万元、つまり日本円で月収100万円ほどを提示されたのです。香港に接し経済特区として発展著しい深圳(しんせん)市にある、『南海酒店』という5スターホテルのレストラン料理長ポストでした。
希望を胸にやってきた中国でしたが、結論から言うと、この店では7ヶ月しか持たなかった。
ある日、事件が起きました。出勤すると、レストランの全従業員が出勤していませんでした。ストを起こされたのです。私は自分なりに、より良い料理を出すため、料理長の権限で納入業者を替えようとしたのですが、それが従業員の既得権に触れたのでした。
今となってはよく分かりますが、中国人は、調達担当者が、納入業者から個人的に一定の比率でリベートを貰うのが当り前という慣習なので、勝手に新参者の料理長が業者を替えるのは、大変なことなのです。
そのレストランは日本人がオーナーでしたが、私は従業員の前で土下座させられ、オーナーからビンタされました。中国人は面子を重視しますから、そうしないと従業員の心をつかめず、ストが収まらないのです。結局、業者は替えられませんでした。
こうした事件もあって、カルチャーの違いにすっかり精神的に参ってしまい、半年で胃に穴があいて、東莞(とんがん)市(=深せんと広州の中間にある都市)の病院に入院。結局、7ヶ月で仕事をやめることになったのです。
ネットの人材募集で今の店に
体調が戻り、上海の日本料理屋に転職することにして、『一千』『庭』という店で働きはじめました。30歳のころです。仕事は順調でしたが、ここで忘れられないのは、2005年に起きた反日デモです。日本料理店の老舗だった『味蔵』は全滅で、冷蔵庫やエアコンなども、全部盗られていました。
私は暴動が起きたとき『一千』の2階にいて、急いで裏口から逃げました。外から見ると、自転車を投げつけて店を壊しているところでした。怖くて、涙を流したのを覚えています。『庭』のほうもやられて、閉店せざるをえなくなり
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浦東新区にある古い「銅川路」市場。廃止になるはずが未だに中心。延々と商店街のように小さな店が並んでいる。
原始的な店がほとんど。夏なのに、氷で適当に冷やしているだけ、という印象。
三文魚=サーモン。ノルウェーからの輸入ルートが安定しているのと、脂の多さが中国人の味覚に合ったらしい。
一定間隔で行政によって設置されている「公平秤」。店は重さをごまかすのが当り前だから、というすごいカルチャー。中には誰もおらず、ほとんど利用されていないようだった。
牛の脳みそスープ。白雪姫(偽)がまた中国らしい。市場内のレストランにて。
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上海の料理店の材料調達者も業者からリベートを受けるのが通常とか。日本の病院と同様。
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