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表現することを断念させる街、コルカタ

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抜群の馬力を誇るツノヤギ(?)荷車
 「マドラス、ボンベイ、カルカッタ」というイギリス植民地時代の3つの地名は受験の「世界史」で呪文のように覚えさせられたものだ。いまさらチェンナイ、ムンバイ、コルカタと地場の地名に変えられたのは迷惑な話。どれもブランドが確立している超有名な地名だし、もったいないと思う。特に、マドラス→チェンナイ(タミル語らしい)の改名は、全く音の響きが違うじゃないか…。
Digest
  • ジョージタウンの衝撃
  • 表現するのを諦めさせた「コルカタの路地」
  • 民族衣装が生活に根付く国

今回は、そんな大都市を中心に反時計周りに旅した(ムンバイ→バンガロール→チェンナイ→コルカタ→バラナシ→ニューデリー)わけだが、そのなかで印象深い街を3ヶ所あげるとすると、チェンナイ(マドラス)のジョージ・タウン、コルカタの旧市街、もう1つは聖地バラナシの街全体である。

ジョージタウンの衝撃

フォート駅の北側に、旧市街「ジョージ・タウン」(1911年に英国王ジョージ5世が訪れたそうだ)が広がっている。イギリス植民地時代に、チェンナイ港に出入りする商船を相手に、インド人商人たちが造った街だという。

17時ごろに着いて歩くと、未だに当時の面影が色濃く残る、活気あふれた街だった。植民地時代に建った巨大なレンガ色の建造物もいくつか散見されるが、おおかたは鉄筋4階建くらいの、何の変哲もないボロビル群が延々と続く。ただ、中心部へ近づくほど、あたり一帯がバザールになっていて、とんでもなく混雑してくる。

まだ自動車がない時代の街だから、道は狭く、片道一車線。そこを舗装し、自動車やオートリキシャも入れるようにしたものだから、あらゆる輸送手段がごちゃまぜに1つの道路を行き交っている。

自動車、トラック、オートリキシャ、バイク、自転車、人力車…。そして、これがすごいのだが、現役の長く鋭い角を持った白いヤギのような動物が、ムチを入れられながら、どデカい荷物を引っ張っていく姿が、ごく普通の風景となっている。この、過去と現在のごちゃまぜぶり、何でもアリなところがインドらしくていい。「ごちゃまぜのインド」である。

この「ツノヤギ(?)荷車」には数時間の間に10回ほどすれ違ったので、もちろん観光用に残しているわけではない。輸送戦力として現役バリバリである。ツノの長さだけで人間の顔の3倍はあり、怒らせたら一撃で人を殺せそうだった。

日常的に、動物が荷物引きとして、自動車と同じ道を行き交うのだからすごい。おそらくこのツノヤギ荷車の風景はイギリス植民地時代から変わっていないのだろう。これらに、歩行中の人間を加え、幅5メートルほどの道を入り混じって行き交う。この動物は馬力がすごいが、糞もデカい。文字通り、クソまみれで、道路はぐちゃぐちゃ。すごい異臭だ。渋滞で、進行速度は、徒歩とさほど変わらなくなっている。

歩道は荷物置き場や駐輪場と化し、バイクが立ち並ぶ。歩くのもしんどい。いつぶつけられてもおかしくない。築地もそんな感じだった。交通手段の発達を想定していない時代に作った道なので、道が狭いのである。だから、近代化が進んだ今となっては、特に人が歩くのが大変なのだが、見ている分には飽きない街である。

表現するのを諦めさせた「コルカタの路地」

南インドのチェンナイの次は、北のコルカタに飛んだ。チェンナイは圧倒的にオートリキシャばかりで自動車のタクシーはあまり見かけなかったが、植民地時代の首都・コルカタは、黄色いタクシーがけっこう目に付く。メトロ(地下鉄)もあるが、券売機がなくすべて人手でやっているのがインドらしい。料金も異様に安く、4駅乗って4ルピー(7円)。日本の20分の1だ。タクシーのメーターも10ルピーからスタートする。

この街を訪れるのは、念願だった。30年以上前の話ながら、沢木がこう書いていたのがずっと印象に残っていたからだ。

 カルカッタという街はほんのワン・ブロックを歩いただけで、人が一生かかっても遭遇できないような凄まじい光景にぶち当たり、一生かかっても考え切れないような激しく複雑な想念が沸き起こってくる。なんという刺激的な街なのだろう。いったい自分はどのくらいこの街にいたら満足するのだろう…。
--『深夜特急3―インド・ネパール―』より

何を大げさな、という感じもしたものだが、現地に行かずに判断するわけにもいかない。裏路地に入れば、まだこういった世界は残っているのではないか。そこで、市内中心部から、マザー・テレサが活動拠点としていた「マザーハウス」まで歩いてみることにした。マザーテレサは、カルカッタのスラムを見て、そこに住む人たちを助けることに生涯を捧げる決意をしたそうだ。

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「喜捨」を求める聖人だか物乞いだか分からない人たち

マザーハウスは、安宿街「サダルストリート」の東側1キロメートルのあたりにある。このサダルとマザーの2つの地点をつなぐ地帯は、ひどいスラムというわけでもない下町の住宅街なのだが、そこには息を呑むような光景が広がっていた。生活感が剥き出し、丸出しなのだ。

野良牛こそ少ないが、つながれている牛はたくさんいる。よく目にするのが、首輪につながれたヤギだ。犬は普通に寝転び、歩道の真ん中で死んだように眠りこけている。

この地域では、10メートル歩くごとに、驚きの光景が飛び込んでくるのだった。牛、 ヤギ、犬、鳥、子供、水浴び、洗濯、モノ売り、物乞い、ごみ溜め。強烈な臭いと、人間や動物(ヤギがうるさい)の肉声、車やバイクの交通音、風。もはや、現地で五感で感じるほかになかろう、という世界なのだ。

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ヤギやトリを、普通に路上や店内で屠畜して、その場で売っている。魚とかと同じ感覚らしい。

視覚、聴覚、触覚、臭覚、それぞれが強烈すぎて、どう書いてよいかわからない。特に、数秒ごとに移り変わる臭いがキツい。各種動物の臭い、糞の臭い、食べ物の臭い、砂ぼこりの臭い、そして生ゴミ、木材、洗濯物…。

「言葉では表現しようがない世界だな」と思ったのは、ここが初めてだった。写真だけでも、映像だけでも、無理。生活臭はデジタルガシェットでは伝えられない。この生暑苦しさは、現場にいないとわからない。一言でいうと、猥雑。だからこそ「来てよかった」と思った。

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ヤギがかなり一般的に飼われている模様

祈っているのか物乞いなのか分からない者、道端で鳥をシめて売っている者、ナマズの皮を剥いでいる者、さとうきびジュースを作っている者、カンナで木材を削っている者、道端でサリーを売る者、散髪している者、通学する生徒・・・ありとあらゆる生活が、路上で、オープンに繰り広げられていた。

それらが、10メートル歩くたびに移り変わる。日本の昭和30年代の下町なんかは、結構、これと似たような風景だったのではないだろうか。

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「よろず洗い場」と勝手に命名した井戸まわりは、常ににぎわっている

なかでも、一定の距離ごとに現れる「水汲み場」のようなところは賑やかだった。「よろず洗い場」とでも呼べる場所で、井戸の周りで水浴び・水汲み・洗濯、洗車、水遊びと、なんでもアリ。ときには銭湯のような空気が流れ、くつろぎの社交場のようでもある。

そして、道にはもちろん、オートリキシャにタクシーにバイクに人力車、荷車、すべてがごちゃまぜに行き交う。

翌日も再び、マザーハウス裏手を歩いた。惹きつけるものがあった。表現することを諦めさせるほどのインパクト。かつては、もっとすごかったのだろう。

「ほんのワン・ブロックを歩いただけで、人が一生かかっても遭遇できないような凄まじい光景にぶち当たり」というのも、あながち言いすぎではない、大げさでもないな、と確信することができた

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民族衣装専門店がたくさんあるのが日本と違って羨ましい

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