原田信助はなぜ命を絶ったか―3 事件通報者は語る 痴漢冤罪の青年は「一方的に暴行されていた」
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JAXA(宇宙航空研究開発機構)に内定した信助さんは、種子島で内定者研修に参加した。その休み時間の一コマ。彼本人だけでなく一緒に写っている同僚たちの表情もとても楽しそうなのだが、こうした多くの写真を公開できないのは残念だ。 |
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- 転職成功 送別会と歓迎会の幸福感に浸った帰路に悲劇が
- 一方的に暴行されていた
- 事件のことを当日ブログに書いていた
- 髪を染めたフリーター風、大学生風に見える人が・・
- 暴行の様子は警察主張とだいぶ違う
転職成功 送別会と歓迎会の幸福感に浸った帰路に悲劇が
一冊のアルバムがある。亡くなった原田信助(享年25歳)さんが大学卒業後に就職したJAXA(宇宙航空研究開発機構)の同期社員が作り、思い出の写真に個人を忍ぶメッセージが添えられたものだ。
青、緑、黄などの薄い台紙に写真を貼り付けて、一枚一枚に説明が書かれている。仕事中や研修中、同僚の自宅での飲み会などでさわやかな笑顔を見せる信助さんと同僚たちの姿で溢れるアルバム全体からは、生命力のようなものを感じる。
JAXA勤務はわずか1年半だったが、信助さんは頻繁に飲み会を催し、友人と食事し、個人宅を訪ねて語らう機会が多かったことが窺える。かなり忙しかったはずだが、あきれるほど人との交流に時間を割いていた。
一番新しい写真は2009年10月25日撮影。「本来やりたい仕事が見つかった」と女子美術大学に転職がきまり、JAXAの同僚たちが「原田君を送る会」を開いたときの10枚だ。彼の転職を祝う友人達に囲まれた笑みは、それから48 日後に起きた悲劇を一層際だたせる。
アルバムを開いた最初の部分には、同僚らによる28枚のメッセージハガキで埋められている。
「ムードメーカー的存在だった」「私のことを笑わせてくれてありがとう・・原田君は同期が揉めた時、朝までずっと話を聞いてくれたし相手の気持ちをすごく理解してくれる人でした」
「新人歓迎会では会計と司会という一晩大変な役をやってくれて・・」
「私より大変な思いをしている原田くんがわたしを励ましてくれてメールでも『仲間がいるから大丈夫って思えた』って言ってくれてすごくうれしかった」
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新人研修で自己紹介をする故原田信助さん。2008年JAXA入社同期が作成したアルバムより。![]() |
「・・の業務に絶望してもうJAXAを辞めようと思ったときも、原田君がイヤな仕事をみんな進んで引き受けてずっと僕のことを励ましてくれたから、僕はこれまでやって来れました」
どのハガキも丁寧な文字でエピソードがびっしりと書かれている。
新しい門出を祝う送別会で送り出されてから2か月と経たない12月10日、今度は新しい職場で「歓迎会」を開いてもらい、幸福感を伴っての帰路で事件に巻き込まれたのだった。
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(左)事件が起きた当日は工事中であり、この階段の下あたりで信助さんと学生がもみ合ったとされている。(右)工事後の階段。![]() |
事件から3カ月経った2010年3月から原田尚美さんは、事件現場付近で息子と大学生との接触、暴行の目撃者を捜し始めた。その甲斐あって複数の目撃者が現れたが、暴行の様子・場所・時刻が比較的はっきり証言していたのは3人。そのうち、至近距離で学生と信助さんのトラブルを目撃し、駅員を呼んだという目撃者を訪ねた。
待ち合わせ場所のJR中央線の駅前に現れた目撃者Aさんは、いかにも仕事ができそうなタイプの女性に見える。30代か。きちんとした答え方をしてくれる。あのとき、何があったのか。しばらくAさんの貴重な目撃証言を聞いてみる。
一方的に暴行されていた
「実は、次の週の12月19日に引っ越し予定だったので、事件の起きた12月10日には、高田馬場の不動産業者からカギをもらい、引っ越し先の部屋を見に行こうとしていたのです。
ところが、大家さんから契約書が届いていなかったという事情もあり、カギを受け取れなかったのです。そこで友達と会い、新宿駅東口で一緒に食事をし、その帰宅途中に事件を見たわけです。
友人と食事をしていて『アッ11時になるから早く店をでなくちゃ』と思い、おそらく11時ぐらいに店を出て、まっすぐ新宿駅に向かったのです。家に帰って見たい番組があったので、だいたいの時刻を憶えていました。
新宿駅の山手線と総武線(三鷹方面)があるホーム(15番線と16番線)へ登る階段の下まできたときのことです。
最初、学生か何かのケンカだろうか、と思いました。忘年会の季節であの時間だし、酔っ払いの争いというイメージもありましたね。2メートルくらいの距離から見ていたのですが、一人が一方的に暴行を受けていたのです
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JR新宿駅西口改札。暴行現場を2mの距離から目撃したAさんは、すぐに収まりそうにないので、この改札付近にいた駅員に事件を伝えたという。改札を通れば数十メートルで西口交番。そこから警察官が現場に駆け付けた。
信助さんが身を投げた地下鉄早稲田駅。毎月11日には母親の尚美さんが献花していたが、一周忌からは年に一度に花を手向けることにした。写真は一周忌の2010年12月11日。
信助さんは新宿警察署を出て、鞄など私物をJR新宿駅のコインロッカーに預けた。その鞄には、事件後(新宿警察署内でか)に書きなぐったノートがあった。「話が合わないんだよ、こうなった以上・・」と走り書きがある。また15番線と16番線に挟まれたホームから降りる階段と思われる図も描かれている。
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黒木さんが最後に関わっていた件、まだまだ道は険しいようです。被害者のお母さんのブログは http://bit.ly/y4B0LI
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カルティエクロノプッシャー拡張クラウン構造に挿入すると、非常にエレガントに見えた。
実際には、あなたは現在あなたがクロノプッシャーを含むその地域に気がつきます、程度の3つの版を見るならば、たとえそれが現れるとして設計された最初からプッシャーは最終的にそこにいるだろうと計画した。
それは多分実際のケース。
2012年度の口径のクロノグラフ、42 mmの広幅鋼または18 kピンクゴールドケースとブレスレットまたはストラップオプションは、初めから入手可能で利用される。
辻さんの指はすらりと繊細で長く、その細やかな動きを見ているだけでも、息子の徹さんが「これはまだ、オヤジしか作れへんのです」と言う意味がわかるような気がします%
訳のわからない事件に巻き込まれなければ命を絶つ事もなかったろう。同世代の人間として心からご冥福をお祈りいたします。
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繰り返される冤罪の背景・・警察と司法の問題点を考える
~警察はなぜ証拠を提出できないのか~
日時:2012年2月4日(土)14:00~ 開場13:30
場所: 「たんぽぽ舎」JR水道橋駅下車 徒歩5分
東京都千代田区三崎町2-6-2ダイナミックビル5階
℡ 03-3238-9035
司会:清水勉(原田信助さん国賠訴訟 主任弁護士)
発言者:寺澤有、林克明(ともにフリージャーナリスト)
参加費:1000円(資料代含む)
主催: 原田信助さんの国賠を支援する会
■第5回口頭弁論 2012年3月6(火)午前11時 東京地裁第709号法廷
■事件に関連する情報、関連情報などの提供をお待ちしております。
ご連絡先E-mail:info@mynewsjapan.com